『日本国記』 限りなく真実に近いアナザーストーリー41C  アジスキタカヒコネの伯父たち(八王子)とその子供たち 21  オオドシとタケツノミとイワレヒコ 12  倭(ヤマト)の天照 6     ひじかたすいげつ 

 

 

 

 つづき

 

 出雲八千矛のことを古事記ではナムジとする。どこからきたかはわからない渡来人と。しかし、出雲向家とヒボコと海部との伝承は第6代大名持臣津野オミズヌの子吾田片隅の子である宗像三女神のひとり市杵島姫の夫を渡来人とする。古事記のナムジは何処から来たかわからない人で、スサノヲである天冬衣アメノフユギヌから殺されそうになるが、スサノヲの末子の事代主である須勢里姫に助けられる。出雲では市杵島姫の夫を饒速日ニギハヤヒ(天火明アメノホアカリ)とする。

 

 つまり、出雲では饒速日が渡来人である。そればかりか邇邇芸と同一人物とする。一方、古事記は饒速日を邇邇芸の兄とする。邇邇芸ニニギが渡来人であることは古事記も認めるところであるから、その兄なら当然のことながら饒速日も渡来人のはず。にもかかわらず、古事記の饒速日はヤマトの伝承ではスサノヲの子大年3男オオドシである。そこにも古事記とヤマトの伝承との矛盾がある。

 

 これらのことから、古事記やヤマトの伝承は、古事記の編纂者やヤマトの人にとって都合の良いように変えた可能性がある。そのためにいろいろな矛盾が起こっている。

 

 それに対して、出雲国風土記や出雲の伝承やヒボコの伝承や海部の伝承は矛盾しない。忌部氏の伝承も矛盾しない。これはなにか?

 

 いずれにしても、倭(ヤマト)が大和(オオワ)に来て以降には、倭(ヤマト)が勝ってしまったということであり、出雲の伝承やその他の伝承は忘れ去られたということに。そして、大和(オオワ)は大和(ヤマト)と読み替えるようになってしまった。

 

 今現在は、大和はヤマトになり、わずかに應和(オオワ)の文字が残っているだけ。

 

 

 つづく

 

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