初めて購入した冷凍おせち
2022年10月中の超早割で、2~3人用9799円。45種3段重ね、容器は再利用できるプラスチックお重。ベルーナショッピングの「結」。
小さい料理がちまちまと詰められていてドカッと食べたい向きには足りないのではと思う。味付けは思ったより薄味で手作りに近い感じ。可もなく不可もない。またどうしても食べたいかというとそうでもない。生麩は美味しかった。
結論、
来年は、かまぼこと昆布巻きをスーパーで買ってきて、自分で作った甘い卵焼きとでおせちにしたほうがいいかな。そのほうが好きなものだけ食べられる。
半年前隣に入居してきた83歳父親と50代統合失調症の息子のこと
去年の7月に引っ越しのあいさつに来た50代と思われる男性は、開口一番「83歳の父親は眼が見えなくて足腰もたたない。ストレスから大声で怒鳴るかもしれないですがよろしくお願いします。ごはんの用意ができなくて困っているんですよ」と、私の顔を甘えるようにジトッと見てからおせんべいの箱を差し出してきた。。キモイ。
気持ち悪さを振り払い、「デイサービスかなんか行くんですか?」と聞く。
「訪問介護を使うつもりですが。」という答え。良かった、生活援助で食事作りを頼んでくれ。
私はHSP、鋭い音と強い光が苦手
隣がずーと空き家のままでいて欲しかったが、とうとう入居だとがっかり。「私は音に敏感で、HSPという障がい(厳密には障害でなく気質とされる)なのですみません」と返事すると、障害と聞いてその男性の眼に光がもどった。
「あ、僕は精神障がい者手帳を持ってます」とあっさり告白。ギョッとしたが顔に出さず「トーゴーですか?」と聞くと「トーゴーです」とのこと。
「お仕事は?」
「障がい者の作業所で働いていたんだけど、かったるくてもう行きたくない」と後半突然感情が高ぶる。
そこはスルーして「私はとにかく静かに暮らしたいだけなので、トラブルは起こさないようにお願いしますね」とやんわり返して挨拶は終了。
音に敏感で、特に引き戸を閉めるときのパーンという音に瞬間的に怒りがわいた過去
以前住んでいたマンションは隣の部屋の木製の重い引き戸を閉めるパーンという音に苛まれ、何度も苦情をいれた。その結果、入居した人が次々と退去した。なにも出ていかなくても。。
今回もその音が鳴りはしないかびくびくしていた。しかし、今いる家はふすまだった。開け閉めにパーンという音は出ない。ひと安心。
しかも音に敏感な障害と言ったために、同病相憐れみ息子は音を出さないように気を使ってくれている感じだ。有難い。
私は家事が大っ嫌いだ。まして男に飯作るなんざあ死んでも嫌なんだ
あのジト目がほんとに嫌だった。女だからって、ばあさんだからって、ご飯を作ってくれると思うな。期待すんじゃないよ。甘えるな。
飯炊き女、洗濯女という言葉はあっても、飯炊き男、洗濯男という言葉はない。女は男や子どもをケアするように抑圧され続けて、それでも足りなくて性暴力まで振るわれて、そうやって生きて死んでいけと言われてきたんだ。冗談じゃあない。
だから、私は大学を出て自営業をして結婚はしないで自分一人で家を2軒も買ったのだ。
それでも65歳完全リタイア後は料理をするようになった
厳密にいうと、65歳で完全リタイアしてから料理を勉強し始めて少しは面白くなっている。美味しくできるのは10回に1回程度だが、自分のためなら作るのは苦ではなくなった。
だけど、「女だろ、男に飯作れ」と言われるなら話は別。そんなこと言われようものなら、実父からの性虐待によるPTSDが発動し一瞬で凍り付いてへそを曲げる。と、そういうことなのだ。
夕方になると怒鳴り始める父親
週1回のペースで父親の怒鳴り声が響く。夕方になると「助けて、殺される」と金切り声をあげる。多分、入浴か夕食を促している息子に怒鳴るらしい。聞いている私からすると、父親は息子に甘えているように感じる。なだめる息子。父親と息子の立場が逆転している。息子のストレスも相当なものだろう。もしかしたら統合失調症の原因はこの父親ではないか。
息子に料理が大っきらいだと言うことにした
2か月経過した10月に、おせんべいのお礼という名目で1回目の訪問をする。
かつやのカツどん(梅)とかつや特製だいこんの漬物を持って行った(もらったおせんべいの代金と同じくらいの金額になるように)。
「この間のおせんべいのお返しです」というついでに、
「私は家事が大っ嫌いで、特に料理が嫌いなので買ってきましたよ。」と日常的に飯は作らないことを理解させた。「私は見た目はおばさんですが、中身はおじさんなのですみませんねえ」というと、息子は「いや、いいですよ」とにこやか。
「いいです」じゃあねんだよ、こういうことに関すると、私は被害妄想激しく脳内で怒りまくるのだ。顔には出さないが。
息子が戸を開けると玄関の外にむわっと煙草の煙が漂ってきた。毎晩咳こんでいるのにもうもうとなるくらい煙草を吸っているのか、やはり自己管理ができないのだなあ。
私の喘息再発はこの副流煙じゃなかろうか。
制度にうまくコミットできない
「ヘルパーさんは週何回来てるんですか?」
「いや、頼んでないです」
「ケアマネジャーさんはどこですか?」
「まだ決めてないです」
やっぱりな。訪問介護を使うと言っておきながら、援助を組み込んでQOLをあげることができないのだ。だからこそ、コーディネーターが必要な世界なのである。
幸い、あまり人と話したくないらしく、息子はドアを早々に閉めようとした。やれやれ、伝えることは伝えたようだ。
この半年の様子
父親の怒鳴り声はだんだんエスカレートし、「出ていけ、仕事しろ」、テーブルをドン。その都度息子のくぐもった声が「うるせえよ」と聞こえる。息子が出て行って困るのは父親本人だろうに、ご飯とお風呂をどうするのか。トイレは持ち上げ式の歩行器で行っているらしい。頻繁にコツコツという歩行音がする。
年末にかけていよいよエスカレート
年末ごろには壁をドンドンたたいてわめく頻度が多くなった。いつも父親がいるだろうと思われる増築部分の平屋の私の家に面している方の壁を叩いている。
声が甲高いから痩せた老人だと思うが、壁を叩く勢いは強くて近所中に響いている。
ケアマネ魂復活
父息子二人のストレスをこれ以上放置しておくわけにもいかない。本当に殺人事件になるかもしれない。とうとうケアマネ魂のおせっかいが発動してしまった。
地域では目立たないように何もしないように気をつけていたのに、とうとうコミットしてしまった。女性専用シェハウスを滞りなく運営するためにできるだけトラブルは避けていきたかったのに。。
大晦日におせちを持って訪問する
12月31日に2回目の訪問。大みそかの昼におせちの三分の一を持ってまた隣家を訪問する。海老が3尾あったから2尾をあげられた(私は海老が嫌い、足が気持ち悪くて触れない)。ついでに急に食べたくなって作ったちくわの磯辺揚げ焼きも付け足した。
ダメ押しで「私料理が大っ嫌いだから美味しくないですよ」と言ったら、息子は「大っ嫌いなんですよね」と既に知っているという風に笑った。おや、リラックスしているぞ。
地域包括支援センターへ電話するようアドバイス
パソコンから出してプリントした地域包括支援センターの地図に電話番号を書いて一緒に渡した。「お父さんの話し相手に月1回30分だけ来てもらったらどうですか?」「あ、いいですね。」
おお、素直に受け入れたぞ。私のケアプラン作成能力は健在だ。話し相手と称して、訪問してきた包括ケアマネはどこかにつなげようとするだろう。お手並み拝見。
息子は「良いお年を」と言ってくれた。
来年が楽しみだと思ったら
1月6日に救急車で父親が搬送された。思ったとおり小柄な老人だった。ストレッチャーの上で手が頭の方へ動いていたので意識はあるようだ。救急隊員の声掛けにうなづいていた。
ついつい気にかかる隣家の父息子は、つかずつかずで見守っていくよりない2023年の幕開けです
おせっかいは自分の首をしめることになるから、上手に対応していくことを心掛けるつもり。私はやり過ぎる傾向があるから自戒しながら。
年賀状終いをした最初の正月
ほんとうに1枚のはがきも来なかった。自分で宣言しておいて、なにか忘れ物をしたような物足りない気分だ。まあ、これにも慣れるだろう。