1945年(昭和25年)12月22日、帝国議会で

「労働組合法」が制定されました。

 

“労働組合法”は、「団結権」、「団体交渉権」及び

「ストライキ権」が保障するもので、

「労働基準法」、「労働関係調整法」と合わせ、

「労働三法」と称されています。

 

太平洋戦争を経て、「帝国憲法」も失効し、「帝国議会」も

改変され、封殺されていた「言論の自由」や「労働運動」も

謳歌できる時代が到来したところです。

 

「労働運動」では、当時の「国鉄」の「国労」や「動労」が

先陣を切り、圧倒的な組織率のもとに、

華々しい活動が展開されることになります。

 

街でも5月の「メーデー」を中心に、「労働歌」が流れ、

農村から東京、大阪等への「集団就職」列車も走り、

日本全体が「一から出直しの気運」に染まっていたものです。

 

しかし、1970年代に入り、相次ぐ「大衆の便宜を無視した

ストライキの決行」などにより、

当初の「労働運動への支持熱」も下火になって行ったように

思います。

 

「労働運動」と「共産主義思想」との結びつきには、

「マルクスさん、エンゲルスさんの時代」から、

切り離しづらい関わりが有ります。

 

18世紀の産業革命で、「労働者層」が生まれ、

これに対する「ブルジョアジー(支配者層)」という

位置づけには、「お互いに相容れない敵対者」という

想定が前提として認められますし、

そこで、「労働者階級」が「適正な利益、処遇」を

勝ち取るためには、「強力(戦い、武力、闘争)」も

容認せざるを得ないものと言う解釈がされています。

 

しかし、一方の「ブルジョア(経営者)側」に立って考えて

みますと、

「一人一人の労働者に、意欲や、やりがいを持って

仕事をしてもらうためには、一人一人の労働者に

納得と理解と満足をもたらすだけの労務要件が必要」という

ことが有り、日本でも、高度成長期を経て顕在化して

来たように思います。

 

現在の「労働組合」の組織率は20%を切るレベルと

なっています。

「政治の場」で、主たる立ち位置を確保するには、

「発想の段階からの変容」が求められているように

思います。

 

私自身、幼少時を思い起こしますと、洗濯は洗濯板が

活躍し、お勝手には「竈(かまど)」が有り、

トイレは甕が丸見えの和式、テレビも冷蔵庫も電話も

無い家が当たり前でしたが、何か、生き生きとした

息のしやすい社会だったように記憶しています。

 

格段に便利で、豊かになった筈の今と比べ、

掛け替えのないものが有ったようにも思います。

 

しかし、今と比べれば「格段に平均寿命が短かった」

ことも事実です。

 

何が良くて、何がそうでも無かったかなどと言う事は

「徳川綱吉さん」の評価辺りにも端的に表れていますが

すっかりほとぼりの覚める、数百年後の時を経るまで

人間に判定できるものでは無いようにも

思う所です。

 

だから、そここそが、面白いものかもと

思う所です。

我家の“リオ君”は、

いつの間にか

会話が上手に

なりました。

 

お母さんとの会話でも

絶妙のお返事が

飛び出すことが

珍しくありません。

 

ともすれば、

やや強引に

食事を急がせたり、

登園の準備に掛からせたり

しようとしますが、

 

「売り言葉」に

絶妙の「買い言葉」が

飛び出します。

 

横で、聞いていますと

ついつい笑えてしまいます。

 

何でも楽しくしてしまう

“リオ君”です。

名古屋の街も

クリスマスからお正月ムード一辺倒に

なって来ました。

 

いよいよ、

来る仕事、来る仕事、

「超特急」の連続です。

 

頑張ります。

よろしくお願い致します。

 

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