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不定調性論からの展開紀行~音楽と教育と経営と健康と

オーディションに落ちても諦めてはいけない理由?〜音楽制作で考える脳科学50

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音を群化する能力

人はその日のライブと翌日のライブは別なものと考えることができます。

スタジオの中で聞こえる音楽とスタジオの外で聴こえる音楽は違うものとみなすことができます。

本来楽器の音も無数の倍音が含まれていますが人はそれを一音と感じることができます。

これらは音を群化する能力、と表現するそうです。

「君が代」を途中から歌ってください。と言われて皆さんはどこから歌うでしょう。

「のーーーむーすーまーーで」とは歌い出さないと思います。

文脈や、強拍から、とか「文節のある塊」で思い出して歌うと思います。

記憶の仕組みらしいのですが、難しいので省略します。

1曲が終わればそれをグルーピングできます。2曲目が始まれば、新たの曲が始まった、と理解します。しかし科学的にはそれらはブレイクが挟まっただけで、違う曲、などと考える科学的理由はありません。

 

これらの音は宇宙がそうなっているのではなく人間の耳と脳がそのように感じ取るようにできていると言うだけです。

こうしたことも敵から身を守るため、味方の声を認識するため、危険が去ったのか、まだ威嚇されているのか、それらの変化を区別できるようになるためでしょう。

 

人間の耳は 同時性に敏感で2、3ミリ秒の違いでも聞き分けます。

実際こちらの記事でも聞き分けについてやっていました。

www.terrax.siteつまり同じタイミングで演奏される音に対して反応すると言うのは人間の耳の特性であって、それが音楽の良さとかスマートさという認識につながっていると感じます。

素晴らしいタイミングで演奏できる音楽が素晴らしいのではなく同時性を認識する性質がそれを素晴らしいと感じてしまうのであって、音楽のリズムの絶対的価値は所詮人間の習性に基づいたものであり人間の外にそうした芸術性が存在するというわけではなさそうです。 人間の体の習性や機能が主体的に良いと感じるものが芸術性です。個人の芸術性であるとさらに偏屈でしょう。

 

下記のような微妙にずれるLo-Fiドラムのハイハットのタイミングなどはこうした価値観を進化させるものです。同時性や規則性が快感である、というだけで、それをずらしても音楽的表現=切なさ、脆さ、儚さが生まれる、ということを教えてくれます。一定的不規則。

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そこから「意味を汲み取れる人」にとって音楽は無限の広がりを示すわけです。

それができない人にとってこのビートは(従来のビートと違い)「気持ち悪い」としか感じないかもしれません。

 

脳は状況の違いを理解します。車のクラクションとトランペットの音がたとえ同じでも状況が違うとそれに対する反応は全く違います。 音声が同じでも心がそれらの状況に違う意味を与えます。 犬が急に吠えたり、 雷のように突然大きな音がなったり すると言うのは人は危険を察知します。考える必要はありません。

生存本能から来る認識を瞬時に区別できる必要があるからです。考え込まないとわからないなら逃げ遅れます。

音情報が持つ意味は、時折言葉よりも素早いのです。

 

著書でもハイドンの「驚愕」交響曲が紹介されています。

 

居眠りする客を起こすため、と称される、このびっくり音は、天才ハイドンらしい視点と発想です。音楽表現としては異質かもしれませんが、ハイドンは、それが「面白い」と確かに感じたのでしょう。この時音楽表現と音楽的なクオリアがごっちゃになっていて面白いです。

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下記の動画の0:30のフレーズをご覧ください。

https://youtu.be/WEZKKf3Df-4?t=30

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高い音の連なりがゆっくりで優雅な別のメロディを作っているように感じます。

しかし、この部分をすごくゆっくり弾くと、このメロディは消えてしまいます。これも人の認知能力を活用したフレーズです。

 

速弾きフレーズで一斉を風靡したイングヴェイ・マルムスティーン。

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この頃は確かアルバムeclipseの後頃だから左手の再手術を控えて、調子良くなかったはずですが、わかりやすいフレーズを弾いていた頃です。上記の弾きまくりソロとかで、時折早く弾いてるんだけど浮かび上がってくるフレーズがあると思います(ちょっとですがtopを残して下がっていくフレーズ5:30、8:50、9:02、トップと共に下がるフレーズ10:01、13:15タッピング8:01、開放弦使用10:33、ミニエコノミーピッキング10:52、ボリューム奏法によるリック際立て12:55 )。

 

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上記の動画で言うと、1:16、1:51、2:55、3:13、4:00など、とにかくこういう浮かび上がるリックを通例の速弾きに混ぜてリックを作り、ギターキッズにそれを弾かせまくった、というのはもうすごい文化構築能力だと思います。

たとえ速く弾いても、指の動きに特化してどうしても目立ってしまう高い音があることで、人はその高い音だけをピックアップして聞いて、一つのフレーズを体感するので、イングヴェイの速弾きは飽きないんです。

そしてこれもバッハの時代からあった方法です。

ただごちゃごちゃ速く弾いてもバッハが世界にいる以上、「バッハが植え付けた美しさ」は強烈なので、ごちゃごちゃ弾くプレイは一見つまらない、と思われがちですのでご注意ください。

 

この群化のすごいところは

・多少アレンジした作品でも、元の曲がわかる

・調子っぱずれの歌でもなんの歌かわかる

・曲の途中の断片だけ聞いてもなんの曲かわかる

・音楽家は曲の途中から演奏できる

脳すごくないですか?

科学的には、音量が少しでも変わっても「別の存在」ですが、脳はそれが同じ曲のただ音量(再生スピードとかも!)が変わったものだ、と認識できるんです。

 

記憶システムには自動的に欠けたところを再構成したり、勝手に事実を作ってしまって補完する能力があります。

 

著者曰く、だから変なモノマネは面白いのだそうです。

本人が絶対言わないようなセリフを言うとますます面白い。

人は自分の中にある記憶と、相応する部分を照合し、その差異に対して、どのくらいそれがあり得るか、どういう違いがあるか、を確認します。その過程で「そうはならんやろ」という絶妙な非現実感に面白みを見出す、という素養があるわけです。

 

ある記憶喪失症にかかったある患者は、相手が笑うと、別の人間のように認識したそうです。顔の形が変わったから同じ人間だとは思えなかったそうです。

 

いかに人が脳の性能によって世界を認識しているかわかります。

逆に脳の性能が違えば、世界を全く違う価値観で認識していたことでしょう。

当たり前は全然当たり前じゃないんですね。

 

皆さんは

これが何色かわかりますよね、紫だ、って言えるはずです。

絶対音感を持つ人は、この色認識と同じように、聞いた音がなんであるかわかるのだそうです。脳の知覚機能の連鎖が色彩とのリンクに繋がっているからですね。

さらにランダムになると共感覚的な知覚になって、さまざまなものを別の感覚とリンクさせたりします。脳のバグなのか、特殊能力なのか。

さらに楽譜通り歌うには、楽譜の音と実際の音を照合させる「努力」の側面も必要です。

しかしながら本来は「色」自体が脳の中で作られるもので、脳の性質が皆似通っているから、上の紫はみんな紫に見えます。人種によって全くこれが違ったら、色の認識は成り立ちません。

 

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さて一つ最後に実験しましょう。

毎朝起きてすぐ「ハッピーバースデー」の冒頭3秒ぐらいを歌ってスマホに録音してみてください。

日によってキーは違いますか?それとも大体同じキーで歌えますか?

人の音楽的素養はさまざまで絶対音感がなくても、長期記憶がそのキーを覚えていたりするそうです。すぐ前に聞いた音に影響を受けてキーが変わる人もあるでしょう。三日連続同じキーだった、とか。

あなたの体調や調子、さまざまなことに歌のキーが関連しているかもしれませんよ??

子どもの自由研究とかにも最適です。

 

 

曲はなんでもいいので、自分が古くから歌っている曲、知っている曲でいいです。

逆に私などはビートルズなどは結構同じキーで歌えます。そのくらい思春期に聴きまくったからでしょう。ただ微妙に違うんです。半音より少し狭い範囲で高い、とか低いとか。絶対音感は全くありません。

 

ただ「君が代」だけは完全にいつでも同じキーで歌えました。

完全に洗脳されていました笑。

 

こういうキー感覚とかって実際の曲を聞くときや、新曲を初めて聞くときなど、これまでの楽曲に無意識に照合して聞いたり、パターンを無意識に思い出していたり、さまざまなそれぞれの個人の素養によって「聞いた印象」が変わると思います。国が変われば「君が代」は歌いませんから、音楽文化背景がそれだけでまるで違い、それが潜在的な音楽評価の違いに現れてこない、とは言えません。日本人だったら「君が代」みたいな曲を作ったら色々大変です。人は知らず知らずに評価の基準を社会の枠組みの中で育ててしまっています。

 

人がその音楽をどう聞くか、がそれぞれの個人の記憶データや音程感覚などに影響されるなら、オーディションとかに落ちても気にしないでください。

あなたとその時の審査員の音楽認識感覚が異なるだけです。

だとしたらオーディション受けまくって「たまたまあなたの感覚と類似している審査員」と出会うまで頑張ってください。系統を変えたり、ジャンルを変えたり、国籍を変えたり。まさに数打ちゃ当たるの世界です。

100回受けて100回落ちたらそれだけあなたは特殊なんです。

その100人にあなたは価値がなくても必ずあなたにとって価値のある人が現れます。

オーディションに受かるまでが映画であるとしたら、自分を見つけるまでが映画であるとしたら、100回落ちたことは、そのストーリーの半ばに過ぎません。

そのくらい自分が変わっている、ということを見つけたに過ぎません。

 

そしてもさしあなたが有名になってしまえば、あなたと同じ音楽感覚を持つ人は世界にたくさんいます。だって同じ人間ですから。血液型とまでは言わなくても似たように成長するタイプがあると感じます(あなたの社会的価値に従属してくる人に注意)。

さまざまなタイプがいて伝染病などでどの種が滅亡してもそれに打ち勝つ種が残されるよう生命の遺伝子は巧みに型を分けています。

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その行いが良いことであれば、あなたに共感できる人が必ず無数にいます。

 

先程のハッピーバースデーの話の続き、筆者はさらに歌われる時にテンポとか、何をイメージして歌ったかなどにも細かく言及しています。

ペリーと私は、大半の被験者が正しいテンポで歌うことにも気づいた。まず、すべての曲がそもそも同じテンポで歌われているのか、みんな1つの標準的なテンポを記憶に刻んでおけば済むのかどうかを調べた。しかしそうではなく、 曲によって幅広いテンポの違いがあった。しかも実験のときの被験者たちとの雑談によれば、頭の中にある「歌手の歌声」や「映像に合わせて歌った」と話していた。これは神経の観点からはどう説明できるだろうか?

 

記憶は音楽を聴くという経験に、あまりにも深淵の影響与えるため、記憶がなければ音楽はないと言っても過言ではない。

 

私の研究室で行ってきた神経画像の研究ではいつも、扁桃体は音楽に反応して活性化するのに、ただの音や音楽的な音を、でたらめに寄せ集めただけのものには反応しないと言う結果が出ている。大作曲家によって巧みに作り上げられた繰り返しが、私たちの感情的に満足させ、音楽を聴くと言う経験をこんなにも楽しいものにしている。

偉大な作曲家がいかに「繰り返し」を巧みに連鎖させ、関連づけて展開することができているかに注目してみましょう。人はそれらの記憶の連鎖によって音楽への心象を確かなものにしている、といえます。

 

面白いですね。こうなると脳科学の厳密な実験の話になってくるので、ご興味のある方は下記から。

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