生まれてから今日まで、ほとんどの歳月を東京で過ごしてきた自分にとって、故郷は東京です。
学生時代は、遠くへ行きたくてアルバイトでお金を貯めて、4、5日貧乏旅行をしては、気持ちをリフレッシュして東京に戻ってきたものです。
北よりは西(南)の方に行きたいという思いが強く、行き先は、関西、北陸、南紀、九州などがほとんどでした。
乗り鉄、観光、時々撮り鉄という感じです。
そしていつも、旅も終わりの頃になると、1週間も経たないのに、妙に東京が懐かしくなりました。
「東京1975」という曲があります。
1975年に、広島から上京してきて普通に大学生活を送る学生の思いを歌ったものとして印象深い曲です。
♪「東京は とても淋しい街 そして愉快な街 今日もぼくは 生きようとしてる こんな大きな街で 」
そして、エンディングは、こう結ばれます。
♪「誰にでも あるけれど 淋しがり屋なぼくです」
9月半ば、この曲を歌った大久保一久さんが、この9月12日に亡くなられたということをニュースで知りました。
小さな記事でした。
大久保さんのボーカルは、そっと優しく包み込むような、さりげなく、少しか細い声で、穏やかな人柄を体現したものでしたので、10代から30代にかけて、自分の生き方のお手本にしたいとも、よく思いました。
今年、花見の頃に、「桜の道」という曲が好きだということをブログに書きました。
「東京1975」も「桜の道」も、どちらも「風 ファーストアルバム」に収められています。
大久保一久と伊勢正三、2人のアーチストが意気投合し、一気に書き上げられた曲が詰まったアルバムです。
まず出だしの1曲目、「ダンシングドール」を聴いたときに、曲作りが楽しくて仕方ないという雰囲気が感じられました。
その後、「風」の音楽は、アコースティックギターからエレキギターに持ち替えてAORというジャンルの音楽へと変わっていきましたが、どのアルバムもお気に入りでした。
そんな思いをもっていた大久保さんのことを考えながら、鉄道ファンの自分として、行動に移したことがあります。
東海道本線や新幹線に乗って西から東京駅に帰ってくる時、列車を迎え入れてくれるのは、東京都と神奈川県(川崎市)の都県境に架かる多摩川橋梁です。
本線では、横浜駅を過ぎ、右手に京浜急行の赤い電車が軽快に並走する光景が見えてくると、「さあ、終着駅東京駅ももうすぐだ」と思ったことだし、新幹線でも、中原街道に架かるアーチ橋とその奥(上流)に位置する東横線の橋梁が、そう思わせてくれました。(かつてのトラス橋の方が趣があったのですが…)
東横線の多摩川駅に降り立ち、新幹線や東横線が多摩川を渡る列車を見に行ってこようという思いが湧いてきたのです。
9月26日(水)、秋晴れの空に誘われて、小一時間、多摩川河川敷を歩いてみました。
静かに走り去る列車を何も考えず、ぼぉーと見送りながら、久しぶり「今日も僕は生きようとしている、この大きな街で」と心の中で口ずさみました。
丸子多摩川よりも下流を走る東海道本線の六郷川橋梁にも行ってみようと思っています。
(東急目黒線用の3000系電車が多摩川駅を発車。多摩川橋梁に差し掛かろうとしている)
(東急多摩川線用の1000系がやってきた)
(上り電車が樹木の間に見えた瞬間を捉えて撮った)
(メトロ10000系と東急5050系とのすれ違い)
(メトロ南北線用の9000系。太陽光に輝いて見えた)
(大久保さんが猫時代に作曲(共作)した「僕のエピローグ」には、「白い雲がぽっかり…」と歌われていた)
(新幹線と湘南新宿ラインが並走。橋梁上でさっと新幹線が追い抜いていった)
京浜急行には、今年の春、3月9日に川崎大師を訪ずれたときに撮影した写真があります。
それを貼り付けさせていただき、今日のところは失礼します。
(京急蒲田駅)
(京急1000系
これから、緊急事態宣言が解かれ、これからいよいよ、行楽の秋になります。
遠くにも出掛けてみたいと思っています。