天賞堂のEF58ウォームの整備、残りの工作です。
⑤ケーディーカプラーに交換する。
⑥足回りを清掃する。
⑦台車のブレーキ引き棒を取り付ける。
⑤ケーディーカプラー化は、天賞堂から出ているKD#16タイプを無加工でビス留めし、あっさり終了です。
⑥足回りは、未整備の状態で線路上に乗せて走行させてみると、渋い走りですが、前後ともOK、これは意外でした。
車輪の踏面の汚れを除去。綿棒でこびり着いた汚れを拭き取りました。
それから、ギヤボックスを分解して、ベトついた粘度の濃い油分を拭き取り、エンドウのセラミックグリースを塗りました。
セラミックグリースは、棒モーターの整流子(コミュテータ)を綿棒で清掃してカーボンを取り除いた後、軸受にも少量塗っておきました。
その後、走行させてみると、ぐっとスムーズに0.6アンペアぐらいで安定してスタートしました。
最近買ったKATOのパワーパック、standardS(No.22-012).1.0Aでコントロールハンドルを真ん中ちょい行ったところです。?)
そして、今回の工作の最後のステップは、⑦ブレーキ引き棒の取付です。
ブレーキ引き棒は、手に入れた段階で、外れた残骸の一部が残されている状態でした。
製品と同じものを不足分だけ、同じように作ることは素人作業では出来ないので、真鍮丸線等で新規に作ることにしました。
(ここからは、試行錯誤の経過を記録するべく書いたものですので、忙しい方は飛ばしてください。)
実車のメカニズムに詳しくないと、模型として、どこをどのように省略しながらバランスの良い模型に仕上げられるか?踏ん切りがつかないことがよくあります。
作ろうとするブレーキ引き棒は、ブレーキシリンダから繫がれていて、制輪子にブレーキ力を伝えるために必要なもの、これがないとブレーキが掛けられない重要なパーツです。(こんな説明でいいのか、おっかなビックリ書いています。)
とにかく、その製作は、やってみるしかないと、真鍮丸線(φ0.5)とシューとのジョイント部(名称がわかりません)をブレーキシューパーツで作ってみました。
(ジョイントに使うため最初に買ったエコー製のパーツ、小さすぎてボツ。右、ノーブランドのパーツ)
(左:製品に付いていたパーツの残骸。右:不採用に終わった最初の自作パーツ)
角材に真鍮丸線を打ち込んでジグにするなど気を入れて作ったのですが、しっかりとした精度が出せず、全体が一本の直線状にならず、見苦しいものになってしまいました。
そのため装着は却下、作業は徒労に終わりました。
続いて考えたのは、とりあえずシューとのジョイント部分は省略し、後から追加工作すれば良いのではないかということです。
それならば、引き棒は一直線を保たれきれいな仕上がりになるはず。
引き棒とブレーキシューとの接続は脳内妄想で繋がっていることにする、どうせ模型なのだから。(モデラーとして全く誇れない態度です…)
そのようなことで、立ち直り早く、すぐに作業に入ります。
材料は、強度を考慮して真鍮丸線(φ0.6)と、珊瑚模型の古いブレーキシューパーツです。
台車枠とは、4箇所を瞬間接着剤で接着していますので、強度は得られています。
見た目はスッキリして、悪くないと思っています。
テーブルの上に置いて眺めていると、愛着が増してきて、実車の思い出が交錯し、見飽きることがありません。
最後に、この時代の天賞堂EF58のお顔について、不満な点も含めて総括を述べておきます。
EF58の車体形状の分類をするときには、前面窓の大きさによって、「大窓」、「小窓」に2分類するということがあります。
このEF5821の窓は、縦横比から明らかに「小窓」機のものです。
しかし、警戒色塗り分け線の位置からは、「大窓」機を彷彿とさせます。
当時の天賞堂製品は、この窓に庇の有無で東海道型と上越型の2つのバリエーション展開を図っていました。
もしかしたら、この小窓機を大窓機に見立てて、ナンバープレートを貼り替えて楽しむことも有りだったかもしれません。
そんな大らかな時代だったのではないかと思われます。
実際、前面窓を上下に各1ミリ広げて大窓機に改造するのがべすとではないかと考えてしまいます。
しかし、大らかな時代のモデルは、「似ていない」などと愚痴るのはやめて、大らかな心で楽しむべきものと思います。
そういう意味では、赤くペイントしただけのテールライトもそのままの方がバランスが保てます。
所属機関区、時代ごとに1輌1輌の装備等の違いを確かに再現するモデリングの時代にあって、あまり需要のないこのような補修の記事に最後までお付き合いいただき、有難うございました。
この後、直線区間を動かしても揺れが気になる掴み棒を車体側に取り付ける工作を別の未塗装キットの方で試してみたいと思っています。