ようやく安定した晴れの日が戻ってきたと思ったら、今日は時々突風が吹き、これはこれで荒れた天気です。
先週は雨続きの日々となり、クモニ13の塗装が出来ずにいました。
それで勢いを削がれてしまい、かわりに別の車両のレストアに目が行きました。
レストアしているのは、カワイモデルのCタンクです。
16番の鉄道模型メーカーの老舗にして、独特の手作り感を今に残すカワイモデルが昭和30年代から長い期間にわたり製造を続けてきた素朴なつくりのモデルです。
ヤフオクに出ていたこの車両、部品採り(主に動輪)にと考えて、車両そのものには全く興味がなかったのですが、ふとボディーを眺めていたら、戦中・戦後に製造された産業用の機関車(製鉄業、セメント工場等)に似ているものがありそうではないかと気付きました。
動輪はニッケルメッキが施されておらず、真鍮色丸出しだったので、部品採りまでする気持ちになれず、「このCタンクをなんとかしよう」とレストア推し進める方向へと変わっていきました。
それで、交友社刊行の「機関車の系譜図」第3巻(臼井茂信著 昭和51年12月)をめくって、かなりよく似た機関車を探し当てました。
その機関車は、雄別炭鉱茂尻砿103号機です。
立山重工業製造の40トン機になります。
似ているとするポイントは、(位置は少し違っていますが)床下に吊り下げられた空気溜めの存在です。
40トン級のこの手の機関車の中には、私の知るところ他に見当たりません。
撤去するのも一つの考えですが、カワイモデルのこのCタンクの特徴でもあるので、ここはどうしても生かそうと思うと、プロトタイプは雄別の103号機に決まりです。
機関車の系譜図には、公式側の写真1枚のみが掲掲載されているだけですので、他のSLの写真集を調べると…、ありました!
「昭和30年〜40年代北海道の鉄路」(星良助著 北海道新聞社 2019年9月)、これも貴重な資料満載の素晴らしい本です。
そこには、元大江山ニッケル 1950年譲渡とあり、三菱鉱業芦別専用鉄道所属となっていました。
雄別炭鉱と三菱鉱業…どちらが正しいのだろうか?
疑問に思い、ネットで検索を掛けると、ようやくわかりました。
炭鉄港推進協議会作成の「炭鉄港デジタル資料館」というサイトに次のように記載されています。
「茂尻炭鉱は、赤平の大手4炭鉱のうち最も早い大正7年(1918年)に大倉鉱業が開き、三菱鉱業を経て雄別炭鉱が引き継いだ。生産効率の向上を目指して建設した立坑は昭和42年(1967年)に完成し、翌年には51万トンと出炭量のピークを記録した。しかし、昭和44年(1969年)に19人が死亡する爆発事故が発生、閉山につながった。」
こうして調べていくうちに、レストアの意欲がもりもりと湧き上がってきます。(クモニ13は、そっちのけです。)
とは言え、腕が腕だけに完璧さを求め工作にのめり込まず、「ムードを再現できればそれで良し」という、いつものアバウトさで進めていきます。
それで、まず手始めに、ボディーの塗装の剥離を行いました。
この作業も甚だ好ましくない作業ですが、我慢です。
きれいになったところで、元空気溜めから伸びる中途半端な冷却管とナンバープレート台を撤去しました。
続いて、発電機と100w前照灯を購入し、取り付けました。発電機はサンドドームと安全弁の間が正解なのですが、余裕があまりなく、サンドドームとスチームドームの間に取り付けました。
(使用パーツ)
発電機 小型ウイストジャパンNo.2141
前照灯 普通型 レンズ付
ウィストジャパンNo.2145
乗務員ステップは、エンドウ電車用のパーツです。
煙室のサイドには、短いハンドレールを取り付けました。
太すぎる掴み棒も細いスケールサイズのものに交換しました。
(使用パーツ)
穴なし手すり棒座金付きIMON[品番] BD1191
さらに、このモデルを特徴づける、単式コンプレッサー、冷却管の工作に入っていきたいと思いますが、これは次回になります。