ウォーキング!ランニングやジョギングとの比較について考えてみた!

あきらんウォーク

「ウォーキングを習慣にしているんだ」という話をすると、必ず「ただ歩くより走ったほうがよくない?」とか「ウォーキングだけじゃヌルいだろ」「ジョギングのほうが運動になるよ」とか、そういうご意見を承ることがあります。

世間一般のイメージとしてもランニングはウォーキングの上位互換、というかステージが上の行為という捉え方をされていることが多いです。

では、果たして本当にそうなのか?ということを今回は考えていきたいと思います。

勘の良い読者の方はお察しかもしれません。このブログはウォーキングを推奨していますので、内容的には「ランニング」や「ジョギング」を引き立て役にして、その比較として「ウォーキングいいじゃん!」という流れにもっていく(笑)意図で書くことを、あらかじめここで宣言しておきます。

依怙贔屓ではあります。でも嘘ではないです。

ランニング推し、ジョギング推しの人は、そちらのほうの優位性というかメリットを強調して主張されますが、それもまた嘘ではないのと同じで、それぞれに、それぞれの良さがあるのは当然のことです。主義主張、視点の問題ですね。

今回は、その前提を理解いただいた上で読んでいって貰えましたら有難いです。

「ランニング」その定義と特徴

ランニングとは、文字通り「走る」行為です。
その代表的なものとして挙げられるのは、なんといってもマラソンですよね。

日本はマラソン熱の高い国民性の国だと言われています。
全国で年間、大小300もの市民マラソンイベントがあるといわれていて、どの大会も参加者は多く、抽選に当たらないと参加できないものもあります。
そして、どのマラソンも沿道に応援するひとが絶えないことからも「競技熱」「応援熱」ともに凄まじいものがあります。

さて、このマラソン、なんでこんなに人気があるのでしょうか?

走る人は、ストイックにタイム・順位を目標に定めて、それを目指して遮二無二努力します。
健康のため、とコーティングしていても、つまるところマラソンは競技であり、その目的は「勝つため」です。
だからこそ競技者は「ランナーズ・ハイ」になる限界までの力走を行ないます。
走る前日は睡眠にも気を使い、当日の朝食も控えて、水分補給しながらとことん持てる力を振り絞ります。
その努力が美しく映るため、感動の連鎖が起こり、沿道の応援者やテレビの視聴者も必死になってその姿に惜しみない声援を送るんです。

そもそも語源がギリシャのマラトンの戦いです。
マラトンの戦場からアテナイの司令部まで、伝令に走った戦士が「我れ勝てり!」と戦況報告して絶命した。その走った距離が約40Km。壮絶です。

駅伝なども、距離こそは短いですが「仲間のタスキをつなぐために死んでも走る」という極限のプレッシャーと悲壮な決意で、名選手たちは死闘を繰り広げます。

健康志向よりも「限界」「努力」「勝利」をキーワードとしたアスリートのためのスポーツです。

全くの余談ですが、私は「マラソン」と聞くと今でも中学時代の親友のK君を思い出します。
このK君、学校のマラソン大会の際、毎年スタートラインで周囲の生徒たちに「一緒にゆっくり走ろうな」と不安そうにつぶやいてくるのですが、スタートのピストルが鳴った瞬間「うぉぉぉ~」と目の前を加速していく、そういう人でした。

「ジョギング」その定義と特徴

ジョギングはマラソンと違って勝つための競技ではありません。エクササイズにカテゴライズされる運動です。
一分間の心拍数110~120くらい、つまり、横で一緒にジョギングする人と笑顔で息を弾ませながらでも会話できるくらいの状態を維持するペースで走ります。

もともとジョギングというコンセプトは「心臓疾患に対して有酸素運動が有効なのではないか?」という研究の中で誕生しました。
アメリカ空軍の医師が提唱したのが始まりで、つまりは健康維持のため。

そういえば、アメリカの戦争映画をみると隊列を組んで掛け声をかけながら二列縦隊でジョギングしている訓練のシーン、ありますよね。
「ハートブレイク・リッジ」とか。

身体に無理なく、血行をよくし、体脂肪燃焼にもなる、そもそもマラソンみたいな「死に物狂い」じゃないので安全性が担保されているところがお手軽です。

「ジョギング」はマラソンなどのランニングと同じく「走る」という領域だから「同じランニングじゃん?」と思われるかもしれませんが、厳密にいうとマラソンする人は「ランナー」ですが、ジョギングをする人は「ジョガー」と言われ、明確に区別されています。基本的に、そこに「限界」「努力」「勝利」のKPIはありません。

ここまでお話してきますと「健康志向が目的ならジョギング最高」と言えそうですが欠点もあります。

ジョギングは、分類としてはマラソンと完全に違うのですが、見た目、マラソンの下位互換のように錯覚されがちです。
つまり、もともとは「健康のために」「有酸素運動のために」という動機でジョギングを始めたかたは、やがてジョギングに慣れてくると、大海にあこがれて大海原へでていくように「ジョギングで慣れたから、そろそろ本格的にマラソンやってみるか」となりがちです。

「健康志向」から「限界めざして」へ、本来の目的をはき違え、知らないうちにシフト・チェンジしてしまい、筋肉や関節を痛めて討ち死にしていく、そういう推移を辿りがちになるのです。

「ウォーキング」その定義と特徴

ウォーキングはランニング、ジョギングなどの「走る」グループとは異なる「歩く」カテゴリです。

前項で述べましたように、ジョギングは継続して慣れていく過程で「よし!マラソンやるぞ!」と目的をはき違えた誘惑に駆られる懸念があるのに比べ、ウォーキングならば、もしもそれに慣れて自信がつき「もう少し激しい運動をやってみるか」と思ったとしても、隣接するカテゴリーは競歩やジョギングです。健康志向を目的とした範囲までの逸脱で収まるという点でもお薦めです。

マラソンが悪いと言っているわけではありません。「健康志向」というキーワードを目的とした場合、体力と気力の限界に挑んで、順位やタイムを競うマラソンは、当初の目的の延長上にあるべきものではないと思えるのです。

ウォーキングでしたら運動レベルとしてのハードルも低く、あくまでも人間としての基本動作である「歩行」の延長です。
ちょっとした移動や階段の上り下りなどでも、小刻みな時間を使って手軽に継続できます。

ランニングのように跳ねたりしないので関節や筋肉への衝撃も少なく、心臓への負担も僅少で、しかも速足で歩けばジョギングと同じ110~120の心拍数に達するため、運動効果も侮れません。

なによりも「運動するぞ!」と身構えることもないので、生涯スポーツとしてウォーキングは理想的です。

さいごに

「完全にウォーキング推しじゃん。おまえ無理やり感あるよ・・・」

って言われそう。言わないでね(笑)

冒頭にも書きましたように、今回はもともとそういう趣旨です。

もちろんマラソン、駅伝はストイックで感動を呼ぶし、ジョギングも効率的な有酸素運動の観点から、そのメリットは満載です。

でも、前項で言ったようにジョギングは「走る」スタイルのため、やがて勘違いしてマラソンへ、つまり、健康から勝ち負けへと流され、誘惑され、本来の「健康志向」から「限界アスリート」へ車線変更されやすい嫌いがあります。

健康志向のひとが高齢になってマラソンへ流れていくのはメリットよりもリスクが多いというのが私の意見です。

「歩く」というプリミティブな動作を究めて、楽しんで効率的に、継続的に実施していけば充分健康な生活を享受できると思うのです。

このブログでは「ウォーキングのメリット」について幾つもの記事を書いていますが、恰も「ウォーキングはランニングやジョギングより下」という言われ方をすることが多いため、今回はあえて、これらと比較してウォーキングのほうが優れていると思う部分をクローズアップしてみようと思った次第です。

最後に怖気づいて逃げを打ちますが(笑)決してランナーやジョガーの方々をディスる意図はありません。

人にとって目標や嗜好は様々です。自分自身が納得できる運動を納得できる手段で行うことが精神衛生上、ベストであることはいうまでもありませんから。

今回はこんなところです~。
それでは!また!

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