吉田神社についてサクッと紹介
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吉田神社は平安遷都から約100年後の859年に京都御所から見て北東の鬼門封じとして藤原山陰卿により創建。
御祭神は厄除・開運の神である健御賀豆知命、伊波比主命、学問の神である天之子八根命、女性守護・良縁結びの比売神の4柱。
全国の神々を祀る大元宮
![吉田神社 大元宮](https://kyoto-tourism-reccomend.com/wp-content/uploads/2025/01/IMG_0254-1200x900.jpeg)
本殿から少し坂を登ったところにある大元宮は普段は門が閉じていますが、正月や節分などの行事の日と、毎月1日には門が開き中に入ることができます。
大元宮の本殿はあまり見かけることのない八角形の形をしており、これは神道、仏教、陰陽道を習合させた吉田神道において理想の形になっています。
始まりの神とされる虚無大元尊神から生まれた全国の神々、八百万の神3132座が本殿を囲むように配置されており、ここに参拝することで全国全ての神社を参拝したと同じ神徳があるとされています。
京都に城を持たない織田信長は実は吉田山に築城計画をしていた?
織田信長といえば本能寺で討ち死にしたことは知られていますが、信長は本拠地は安土城でそこから京都に来て滞在するときは妙覚寺や本能寺などの寺院に宿泊していました。
豊臣秀吉が築城した聚楽第のように洛中に城を構えていると防御も固く討ち死にすることは無かったのかもしれません。
しかし吉田神社の資料によると、家臣の明智光秀の進言により吉田山への築城のために調査に来たとも言われています。
結局当時の神主である吉田兼見によりこの地は築城には不向きな地だと言われ築城計画は無くなりました。
神主としては自分の神社が無くなる可能性はもちろん、吉田山は元は神楽岡という神々が宿る岡として信仰されている地であったため築城計画を阻止したのかもしれません。
京都で最も有名な節分祭
![吉田神社 火炉祭](https://kyoto-tourism-reccomend.com/wp-content/uploads/2025/01/IMG_6940-1200x900.jpeg)
2月の節分は旧暦で言うと当時の正月とされているため、京都において節分は今の正月に次いで重要な日とされています。
京都では節分の日に京都御所の四方を守護する吉田神社、八坂神社、壬生寺、北野天満宮の順にお参りする四方参りを行うことで厄払い・招福の祈願を行います。
北東の鬼門にある吉田神社では「鬼やらい」という鬼を祓う儀式が行われます。
豪華賞品があたる抽選券付きの厄除福豆が授与されることも人気のイベントで、車や家電などよくある抽選イベントは規模の違う景品が用意されています。
御朱印
![吉田神社御朱印](https://kyoto-tourism-reccomend.com/wp-content/uploads/2025/01/吉田神社御朱印-648x900.jpg)
1枚300円で直接記入していただけます。
左上の大元宮は八百万の神々が祀られており、ここに参拝することで全国全ての神様に参拝したと同意義であるとされています。
御朱印をいただける場所
本殿左手の社務所
受付時間
9:00〜17:00
拝観料
無料
アクセス・交通情報
電車 | 京阪出町柳駅から徒歩20分 |
バス | 市バス京大正門前から徒歩5分 |
自転車 | 専用駐輪場なし |
車 | 専用駐車場あり |
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吉田神社の末社である竹中稲荷神社は桜の隠れスポットです。吉田神社とは吉田山を挟んで裏側に位置します。