娘が通う附属小は基本的に夏休みの宿題がありません。
何故ですかね?
さて、この時期になると、毎年のように夏休みの宿題の是非が話題になりますね。
賛成派と反対派それぞれ理解できるし、堂々巡りで答えは出ないのではないでしょうか。
個人的には「夏休みの宿題の是非」を問うのではなく、「夏休みの宿題はどうあるべきか?」を問うたほうが建設的だと思います。
いわゆる「画一的」な夏休みの宿題であれば、ひろゆき氏と同じく反対派です。
「同じ漢字100回書かせるとかはマジで時間のムダ」
その通りですね。
まあ、そんな昭和的な宿題が今どきまだあるのかどうか知りませんが。
個人的には夏休みの宿題はあってもなくてもどちらでもよいですが、夏休みの宿題がある場合は、理想論ではありますが、こうあってほしいです。
- 児童の学力に適した宿題の質と量
小学校低学年を対象とした学習塾では、当たり前かもしれませんが、一人一人の学力に合った宿題が出ます。
娘が夏休みから通っているガウディアはそうです。
公文もそうですね。
小学校では、一人一人に合った宿題を出すのは非現実的なのかもしれませんが、やり方次第で簡単に出来そうな気もします。
- とりあえず、共通の夏休みの宿題を全ての児童に渡す
- 夏休みの宿題の提出条件を付ける
例えば、1学期のテストで間違った項目の宿題だけ提出とか。
1学期のテストで満点だった子は提出しなくても良いとか。
こうすることで児童一人一人に合った宿題の質と量になりますね。
でも、この方法だと宿題の量が極端に少なくなる子もいるだろうし、その場合、勉強の習慣化はどうなの?という疑問もあるかもしれません。
ただ、勉強の習慣化は夏休みに限ったことではないし、そもそも宿題の量が極端に少なくなる子、イコールその子に合った勉強方法が既に確立されているということなので何の問題もないと思います。
そういったわけで、児童一人一人に合った質と量の夏休みの宿題であれば、大いに賛成ですね。
それが難しい場合は娘が通う附属小のように夏休みの宿題無し!のほうがむしろ良いかもしれません。
まあ、夏休みの宿題が無い場合、親に(子どもにどう夏休みを過ごさせるか個別に考えなさいという)宿題を出されたようなものなので、それはそれで責任重大ですけど。
附属小で何故夏休みの宿題が無いのか答えが出ました。
答え:親に宿題を出しているから
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