門田博光の在阪妄想(後編)〜会長記 | 堂島猛虎会のブログ

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タイガースファンの3人が綴る、猛虎愛ゆえの強く厳しい評論を発信していくブログです。

前記事で書いたとおり太平洋クラブライオンズは江藤慎一兼任監督のもと7年ぶりのAクラス入りを果たす。

 

この手腕を買わないでどうしようか。

 

来季も江藤兼任監督の一択である。

 

 

しかしながらクラウンガスライターもわずか2年で契約満了となり、国土計画に球団を売却した。

太平洋クラブも成績にかかわらず維持できなかったのだ。

 

・・・で、あるならば。

 

九州、いや北九州にゆかりのある企業。

 

できれば福岡に縁のあり企業に冠スポンサーになってもらいたい。

 

西鉄ライオンズの黒い霧イメージを晴らすクリーンな企業。

 

クリーン・・

 

Clean・・・

 

清潔・・・

 

きれい・・・

 

 

クリーンにするには・・・

 

きれいにするには・・・・

 

 

 

風呂。。。。。。。。

 

 

石鹸。。。。。。。。

 

 

 

シャボン玉。

 

シャボン玉石けん株式会社

 

本社:福岡県北九州市

明治43(1910)年創業。

 

1974年に無添加せっけんの製造・販売に切り替え翌年シャボン玉石けんが誕生する。

 

当時、公害問題に揺れていた北九州をシャボン玉石鹸のクリーンさで企業イメージをアップするには球団経営はまさにドンピシャのタイミング。

 

マスコットキャラクターである「シャボンちゃん」が誕生したのもまさにこの1975年だ。

 

 

 

現在、福岡PayPayドーム内のトイレにはシャボン玉石けんの石鹸が提供されている。

いずれはそこにつながることとなるのだ。

 

決まった。

 

 

100円ライターなんかに頼らない。

 

「シャボン玉ライオンズ」

 

爆誕だ。

 

 

 

 

 

 

 

なんか・・・泡と消えてしまいそうなネーミングではあるが・・・。

 

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初代監督はもちろん江藤慎一。

ひき続きのプレイングマネージャーではあるが2000本安打も達成したことでもありそろそろ専任監督の道もある。

 

加藤初の放出は痛かったがエース・東尾修は健在。

永射保は4完投の9勝。

 

 

真弓明信は1977年、バットを「タイ・カップ式」に変え116試合に出場、72安打6本塁打、.261と成長を見せる。

 

翌年には規定打席に到達。打率.280をマークし、オールスターに初選出。

ショートでベストナインにも選ばれる。

 

竹之内雅史も1977年には26本塁打を放ち、13本塁打の大田卓司、24本塁打の土井正博らとともに打線を牽引。

 

その年のドラフトで江川卓を強行指名する荒技を使うこともない。

同年、夏の甲子園で柳川商業を破って出場を果たした地元九州産業高校のエース・梅津茂美を1位指名する。

 

「九州は遠い」と指名を蹴ったのは江川卓だが、南海ホークスに1位指名を受けた梅津茂美にとっても「大阪は遠い」ではなかったか。

 

地元であるシャボン玉ライオンズであれば入団拒否とはならず契約に至ったのではないか。

 

江川卓は指名抽選で2番くじを引いた讀賣ジャイアンツが無事に1位指名。

小林繁の悲運のトレードによる阪神入りもなくなった。

 

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そしてその梅津茂美に(現実では)1位指名を蹴られた南海ホークス。

1977年はノムさん選手兼任監督の8年目のシーズンである。

 

前期を2位で通過するも後期に順位を落として3位に甘んじプレーオフ進出を逃す。

 

そのオフに愛人の(伊東)沙知代による現場介入が問題となり、解任が発表されるという激動の年。

 

翌年は広瀬叔功監督で最下位。

 

さらにはその翌1979年に門田博光がキャンプ中にアキレス腱を断裂し、長期の離脱となる。

チームは5位に低迷、そのあとはのちに阪神の監督となり、岡田“どんでん”彰布と遺恨を残すこととなるブレイザーが監督になるも同じく5位。

 

以後、杉浦忠監督で終焉を迎える1988年まで4位を最高位とし、5-6位を行ったり来たりする。

 

この1988年はホークスにとって球団創立50年という節目であった。

9月にダイエーに球団を売却することになるわけだが、現実であればダイエーホークスは国土計画に売却され、埼玉に本拠地を移したライオンズなきあと空席となった福岡・博多に目をつけるわけではあるが、この妄想ストーリーでは博多には「シャボン玉ライオンズ」がいる。

 

ではどうするか。

 

答えは簡単。

株式会社ダイエーは本社こそ東京であるが登記上は神戸市。

かつてのダイエーグループ本社ビルは大阪の吹田にあったのだ。

 

ダイエーホークスは大阪本拠地のまま球団を運営する。

のちに近鉄が大阪ドームに本拠地を移し「大阪」を冠につけるがここは早い者勝ち。

 

「大阪ダイエーホークス」

 

 

またもや爆誕。

 

新球場は天王寺。

前1987年に「天王寺博覧会」、通称「てんぱく」が開催された天王寺公園跡地という願ってもないタイミングで好条件のエリアがボールパークとなる。

 

なにしろ動物園を併設する球場など史上初。

敷地内には安藤忠雄設計の植物園もある。

美術館もあるし、10分歩けば通天閣だ。

 

その年本塁打王、打点王の二冠を獲得した門田博光は福岡移転に難を示し、オリックスに移籍するわけであるが、その必要もない。

 

オリックスに移籍しなければブーマーとのハイタッチで脱臼することもなかった。

門田博光はは在阪のまま現役を終えたはずである。

 

 

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1989年、ホークスは全面天然芝の「てんしばスタジアム」を開設。

 

1番には佐々木誠。 3番にバナザード。

4番門田に続く5番には山本和範。

 

「足に負担がかかるからホームランしか狙わん」といった門田博光が牽引する「新世界打線」は迫力満点だろう。

 

下位打線には現在ソフトバンク・ホークス監督の藤本博史やPL学園出身の若井基安がいる。

 

まさしく大阪らしい打ち勝つ野球でパ・リーグ の台風の目となる。

 

 

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国土計画=西武が球団を持つのは2004年のプロ野球再編まで待たなければならない。

 

埼玉西武ライオンズではない。

ライオンではなく猛牛。埼玉西武バファローズだ。

 

 

 

シャボン玉ライオンズはソフトバンクグループに買収されて「福岡ソフトバンクライオンズ」となる。前途したようにPayPayドーム内のトイレはいまでもシャボン玉せっけんが提供されている。

それはこの名残なのだ。

 

西武の黄金期に「福岡にライオンズば返せー!」と怒鳴っていたファンの方もこれで一安心だろう。

常勝球団が博多でライオンズとして残ったのだから。

 

 

書き忘れたが愛人問題で南海を追われた野村克也は「生涯一捕手」としてシャボン玉ライオンズに移籍しており、そのまま現役を終えている。

 

そしてそのヘルメットはタイガースが悲願の優勝を決めた1985年、入団した清原和博に受け継がれた。

 

一方、シャボン玉ライオンズ誕生の1978年に古沢憲司とともに真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史とのトレードで西武入りする田淵幸一。

新生ライオンズの目玉としての移籍であったことを思えばこのトレードもない。

 

真弓明信はもともと熊本生まれ、福岡県大牟田市育ちだから関西ではなくライオンズにいるのが正しい。熊本県八代出身の秋山幸二とともにルーキーの清原和博を従えて博多の地で夢ふたたびの「ライオンズ黄金期」を楽しめばいい。

 

 

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門田博光は大阪ダイエーホークス誕生から4年間、現役でプレイする。

 

4年間の成績は412試合に出場・1620打席に立ち1374打数386安打。

ホームランは89本を数え、打点は273。

 

最後は持病の糖尿病に屈するも44歳まで打席に立ち続けた。

 

 

 

 

 

・・・以上、長々と妄想にお付き合いいただきありがとうございます。

 

さあ。キャンプ・インです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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