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【目の前の分厚い壁】

『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴さん原作)の主人公 竈門炭治郎(=かまど たんじろう)は、家族を鬼に殺され、一命を取り留めた禰豆子(=ねずこ)も鬼と化す。その妹を人間に戻すため 鬼狩りの剣士となり 数々の試練(=分厚い壁)を乗り越え 成長してゆく。

作風がおどろおどろしくてビビるが、困難に立ち向かう姿に胸が熱くなり、また鬼たちの姿が 様々な問題を抱えるアダルトチルドレンと重なり 惹きつけられる。

例えば、鬼が損傷した身体を瞬時に再生したり(←ほぼ不死身)、血を分けて鬼を増やしたりする処が 負の連鎖に通じる。

また、ある少年は 暗闇を怖れ いつも兄に手を握ってもらっていた。が、鬼と化し 我を忘れ その兄を喰ってしまう。その姿は、虐待被害者が親となり 図らずも加害者になってしまう負のスパイラルを彷彿とさせる。

今回は、なぜ わが子を虐待してしまうのか? また、虐待してしまう人とそうでない人の境目について、脳(=主に学習)の仕組みに注目しつつ ブリキなりに考察する。

【幸せが壊れるときの匂い・・】

ブリキは、自分がアダルトチルドレンだと気づいたとき、この問題を調べ「負の連鎖」を知り、他者と関われなくなった。

(↑仮に あなたなら 自分が人食い鬼だと知りつつ、街中に出たり 家族と接したりできる?)

そこで、次の2つの方策を立てた。
① この病(?)を治し、人間に成ればイイ。
② 完治せず 鬼のままでも、感染経路を断ち 他者に移さなければイイ。

いずれかクリアーすれば、負の連鎖を断ち 他者と関わってもよくなる ハズだと。

なお 当時は 鬼が不治の病に思えたので ①は難しく、②の方に希望が持てるかも と予想した。

ところが、①は、長じる(←アンサンブル学習が進む)につれ 徐々に治まってゆくのに対し、②は、なぜ苦しみが連鎖するのか 皆目分からないままだった。・・

で、結論から言うと、②の道は 存在しない。・・つまり この問題を解くには、①の道を進むしかない。

(↑なお、この道を進めば 凸凹も定型も大差なく、「他者と関わってはダメ」は間違いだと気づくハズ。)

しかし、現代社会では、誰も この道に気づかない。

まるで 鬼に「この道を隠す夢」を見せられ、攻撃されているかのように。・・

【人を夢の中に閉じ込める血鬼術?】

Eテレ『ねほりんぱほりん』は、山里亮太さんYOUさんゲスト人形姿で出演し、TV&顔出しでは話しづらいテーマを、ねほりはほり 掘り下げてゆくトーク番組。


ゲストに「わが子を虐待した人」が登場し、「躾のために叩いて何が悪いの?」と話し、DVが日常化していたと明かす。(←現在は更生中。)

その残酷な内容に、YOUさんは「あたしも世代的に・みんな殴られてた・けど、あたしは殴らない。・・どこで分かれ目なんだろー?」と、相手との境目(←夢の端っこ?)に疑問を抱く。

二人とも、夢の中に閉じ込められているのか?

ここで「脳(=学習)の仕組み」に注目する。・・

学習は「入力信号・教師信号・評価関数」から成る。つまり「経験」に基づくと言える。だから、経験が異なれば、思考も異なる。よって、共通する経験を持たない相手とは 思考が重ならず 境目ができる。と導ける。(←補足)

この意味において、二人の間にはイイ/ワルイも、正常/異常もない。

学生が「僕も学校で英語を習ったけど、僕は喋れない。何がネイティブと違うの?」と話すのと変わらない。(←両者の経験は似て非なるモノだし、誰も異常じゃないでしょ。)

要は、双方が閉じ込められていたのは「夢」ではなく、「思考/経験」であり、その境目(≈エクセプション)は、正常/異常とは関係なく存在する。となる。

【どんな形であれ 鬼である限り首はある】

では、一体虐待の 何がワルイのか?・・

それを探るため、再び「脳(=学習)の仕組み」に注目する。「入力信号・教師信号・評価関数」を 子育てに当てはめてみる。

【パターンA】
(1) 幼い子が 歌を歌う。
(2) 親が「上手だね♪」と声をかける。(&愛撫も?)
(3) 子は嬉しそうに歌を歌う。

【パターンB】
(1) 幼い子が 歌を歌う。
(2) 親が「うるさい!」と声をかける。(&折檻も?)
(3) 子は委縮し黙る。

パターンAでは、子は歌う行為をコツコツと繰り返し、どんどん上手になってゆく。つまり、アンサンブル学習が進む。一方、パターンBでは、子は歌うコトを止め、学習が進まない

ここで、(1)が入力信号、(2)が教師信号、(3)が評価関数に当たる。で、親が働きかける(2)と(3)の部分がパターンAでは ポジティブ(←子が主体で 子にとって順境。)だが、パターンBでは ネガティブ(←親が主体で 子にとって逆境。)と真逆になっている

まるで 電池逆挿し (=Incorrect Attachment)。+極と-極を誤って挿せば 大概ブッ壊れるので、どっちがワルイかは自明でしょ。

(↑なお、コレは全てのハラスメントに通底し、人権侵害の正体(=判別式)と言える。)

では、何で こんなコトになっているのか?

答えは、現代人が「子を 大人の価値観に従わせ 適合(=同調)させるコト」が「躾 や 子育て」だと思っているから。(←たぶん「感情を 理性に従わせるべき」と言う ストア学派の影響。で、過剰(=ストイック)になると わが子を叩いてしまう。)

暴力の有無にかかわらず、子は パターンBに傾倒した養育環境(=マルトリートメント・逆境的小児期体験)の下で育つと、(2)で大人視点の信号ばかりが入力され 子どもらしさを失い、(3)で自分の感情が無視されるので 心を失う。つまり、アダルトチルドレン (=Attachment Disorder) になる。

すなわち ワルイのは、「脳(=学習)の仕組み」を理解せず「子育て」をしている われわれの未熟さ(=パラダイムの低さ)にあると言える。

(↑ただし、誰にも悪意も異常性もない。単に 脳の仕組みを学んでないだけ。で、皆 この経験がないから ①の道が見えない。見えないから 恥じない。恥じないから 成長(=再学習)しない。成長しないから ソコから抜け出せない。また、判別式が 負なので 解もない。・・って 永劫回帰?!と思うかもしれないが、ただ局所解にハマってるだけ。)

【精神の核、ビリーフ】

さて、鬼と人間・凸凹と定型・虐待者と被虐待者・一線を越える人とそうでない人の間に何か違いはあっただろーか?・・どちらかが正常で、どちらかが異常だった?

では 見方を正常/異常から成熟/未熟へ変えると、どーなる?・・「学習の仕組みを正しく理解し 脳を適切に使いこなしている人」と「そうでない人」の間に何か違いはあった?

仮に隊士の様に 階級を付けたら、あなたはどの辺り?・・癸(みずのと:一番下) / 庚(かのえ:下から四番目) / 柱(はしら:甲(きのえ)の更に上)?

で、あなたの「無意識領域」は それをど~思ってる?・・「俺は山の王だ ついて来い子分ども / 不甲斐なし 穴があったら入りたい / 鬼が来ようと こんころり?」(←誇り/恥じ/何とも思わない?)・・

この考察を通じて、あなたが抱える悪夢のような問題から目覚め・抜け出すために「切るべきモノ(=覚醒条件)は見つかっただろーか?

(ちなみに、ブリキには、全てのヒトが「脳を適切に使う経験」を共有できるようになったとき、人々を分断する境目はなくなり、戦争も、貧困も、イジメも、虐待もなくなる。と思える。

なぜなら、脳を適切に使う経験は、地域・時代・老若男女を問わず普遍的に有用で、この経験を持たなくてイイ者など一人も居ないハズだから。←補足)

【凸凹サバイバーの責務】

最後に、炭治郎らの先輩で最上級の剣士、炎柱の 煉獄杏寿郎(=れんごく きょうじゅろう)さんの言葉を借り(一部アレンジして) 、心を燃やしてみる。・・

もっと集中して。【思考】の精度を上げるんだ。・・【思考】を極めれば、様々なコトができるようになる。何でもできるわけではないが、昨日の自分より確実に強い自分になれる。

もう一度言う。俺は【機能不全社会】が嫌いだ。俺は【負の連鎖のキャリア】には、ならない。・・俺は俺の責務を全うする。ココに居る【子ら】は、誰も【アダルトチルドレン】にしない。

(みんなには)自分の心のまま、正しいと思う道を進(んでほしい)。

己の弱さや不甲斐なさ(←恥じ)にどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ! 歯を食いしばって前を向け。もっともっと成長しろ!  そして今度は、君たちが【負の連鎖 無くし隊】を支える柱となるのだ。俺は信じる。君たちを信じる。

・・<おわり>

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【補足:逃げるなー。逃げるなバカやろー。】

クルマで右折/左折するとき、サイドミラーに映ってないモノに 車体をぶつけてしまうことがある。ミラーに映ってなければ、モノが無いと思ってしまうから。

同じ様に、ヒトは この世界を、自分の「経験(=思考、いわゆるビリーフ)」という手鏡に照らして捉えている。(←無論攻撃じゃなく、真逆の 経験を活かして生き延び易くするために。)

各々の手鏡は、大きさも・向きも・表面の歪み(=凹凸)も一人一人異なる。

で、この世界は無限(=諸行無常・万物流転)だけど、ヒトの手鏡は有限(=人間は老いたり死んだりする儚い生き物)なので、映る範囲も有限となる。つまり、誰にも必ず「死角」はある。(←なければ「神」でしょ。)

この死角を含む 双方の手鏡の映り方のズレを「認知バイアス」というのだろう。

では、認知バイアスは、厄介で不要なモノなのか?・・(←コレも真逆でしょ。)・・

この無限の世界(=生存環境)を生き抜くため、一人一人が異なる経験を持ち、互いに補い合うコト(=アウフヘーベン)が強みになる。・・これは「人類(=ホモ・サピエンス)の生存戦略」と言えるだろう。

さて、われわれ(=人類)は今、自分たちの「脳」を適切に使いこなせていない状態(=機能不全)に陥っている。そして、その未熟な人々が造った機能不全社会に生きている。・・

では、人類は、コレに起因する目の前の分厚い壁(=諸問題)を どーやって乗り越えるのだろーか?・・やはり、煉獄さんの「心を燃やせ! もっともっと成長しろ!」を胸に刻み、前を向く必要がある。と思える。