今回の日本の旅のハイライトは



 

私が大変お世話になった

 

山形放送時代の大ボス

当時の報道局長である横山卓さんの90歳のお祝いをすること

 

でしたウインク

 

山形の上山温泉にある有名旅館『古窯』

 

私がアナウンサー時代も、古窯のコマーシャルは

たくさんあったので、それよりずっと以前から

有名だったのだとは思ったのですが

まさか、この『古窯』に大きく貢献したのが

私の大ボスだとは知りませんでした!

(大変失礼いたしました〜)

 

かの『裕次郎』が西部警察に出演していた頃、(というか、彼が主役ですから出演もなにも、彼がいなければ この番組はなかったわけですが)

横山局長が、山形での撮影を仕切ったそうなのですが、(これは週刊誌にもちゃ〜んと出ていました!)




裕次郎がヘリコプターで颯爽と古窯の前庭に登場!

その彼の姿を一目見たいと周囲2キロが大渋滞になったとか.....!!

 

そして、彼らはもちろん、古窯に泊まり、

番組の後  古窯は一躍有名になった???

 


のではなく、ここにはすでに

有名女将(おかみ)

しかも1代目も2代目も!!が

いたのであります。



この女将の話もしたい〜でもそれはちょっと後で

 

あ〜もう、どこから話せば良いのか

わからなくなりましたが

 

元に戻って、横山局長と奥様、美代さんのお話からスタート

 

お二人と古窯で待ち合わせをして

90歳だからきっと、ゆっくり静かに

(こんなコロナの時ですしね〜)

来られるのかと思っていたら

大間違い!

 


『えいこ〜〜〜よく来た、よく来た!』

大声でお二人が抱きついてきて

私の方がもうびっくり汗

 

記憶力も、ものすごかった〜


私がYBCに入社した時の大問題〜

(若気の至りで複数の放送関係者を振り回してしまった話です)

 

もう時効かな〜?


はっきり言えば、ちょうど私が大学3年生の春

山形放送(YBC)がアナウンサー試験を東京で

しかも全国で一番早く行ったのでした。


私は燃えに燃えていたので、全国どこにでも行くぞ〜、どこかのアナウンサーになってやる!


と最初から片っ端から試験を受けていくつもりでした。


それが!

なんと!


いきなり、山形放送に受かってしまったのです。

その時の採用担当者、当時の報道局長が横山局長だったのでした。

 

でも、私の中にはこれから東京のキー局やその他の地方放送局も受けないと

どうなるかまだわからないし、

まだ待ってよ〜決められないよ〜

という感じだったので

 

(山形放送には悪いけれど、とりあえず、okしておいて、他の放送局も続けて受けてみようっ)


と、今考えると大変浅はかな、大変失礼なことをしてしまったのでした。

 

結果、テレビ朝日のニュースステーションという番組に受かり

 

YBCの横山局長に土下座をして


『すみません!YBCには行けません、許してください』

 (半沢直樹よりずっと早く⁉️)



しかし答えは

 

『そうか、わかった。じゃあ、2度と他の放送局では働けなくなるからな』

 

え???

 

そうなんです。全国の放送局はネットワークというもので繋がっており

特にテレ朝とYBCはその頃、同じ系列でつながっていたのでした。

 

????

 

つまりは、

一度決まった就職先を蹴って

他のところに行こうとする

軽々しい娘っ子を

 

この小娘はなにを血迷っているのだ!

そんなことが許されるほど世の中は甘くないのだ

 

と、頭から


ガツンとやられたのでした


結果


テレ朝とYBCが話し合って「大岡裁き」


*ご存知ない方のために

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公正で人情味のある裁定・判決のこと。 [由来] 一般に「大岡政談」という名前で呼ばれている講談や脚本・小説などで、江戸中期の名奉行といわれた大岡 忠 ただ 相 すけ ( 越 えち 前 ぜんの 守 かみ )が下す判決のこと。

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(当時 テレ朝の天皇という異名で知られた小田 久榮門と横山局長とはマブダチだった??

なんという怖い関係)



 私は大学卒業までテレ朝の新しい番組

ニュースステーションで働き

卒業後は新卒採用でYBCアナウンサーとして

山形放送に就職することになった



そしてまた紆余曲折の末

2年半で退職し、アメリカへと旅立ったのだった



そのたった2年と半年の間に培った

局長とのYBCでの繋がりが

30数年後もなぜ続いているか?


これはひとえに


局長の人柄と情報力と

能力にある


私も世界どこに行こうと

日本に帰ってきた時は

山形に立ち寄って挨拶をしてきた


毎年の年賀状(アメリカに行ってからはクリスマスカード)は欠かさず


しかしすごいのは

横山局長は84歳の頃

パソコンを習いメールでやりとりできるようになり


しかもリスポンスも早い!


内容がジャーナリスト!


90歳にしてメールのやりとりがこれだけできる方にお目にかかったことはありません‼️


局長は

膿胸で70代後半に死と直面したことがあり

(それを支えて回復させたのは愛する妻、美代さん)


新しい命ということで

新たに多くのことに挑戦されてきたのです。


なんという逞しさ!



そして今回

ゆっくりと1泊しながら昔話に花が咲き


本当にいろいろあったからこそ

今このような深い繋がりがあるのだと

人生山あり谷ありで良かったんだ〜


納得!


だって30数年経っても


あの私のテレ朝とYBCの

逸話は彼の中でくっきりと

そしてなにも漏れなく

記憶に張り付いているんですから

.....

よっぽどの大問題だったんでしょうね

😅😅😅


こちらにとってもですが😂😂😂



というわけで


古窯のおもてなしも温泉もお食事も素晴らしく









とても楽しく

昔のボスの90歳のお祝いをすることができたのでした



最後に


古窯の2代目女将

「佐藤洋詩恵さん」

とお会いするチャンスがあり

(もちろん局長と女将は大の仲良し)

これまた話が盛り上がり


彼女から直筆のサインとメッセージ入りの

自著「古窯曼荼羅(こようまんだら)」

をいただきました。


なんと「瀬戸内寂聴さん」が

帯を書いていらっしゃる⁉️

すごすぎ🙇‍♀️🙇‍♀️



女将が私に言った言葉

「英子さん

全ては

「May I help you?」

の精神で人と接するのよ


はい!

私もそう思います❤️


山口県出身の一人っ子

一人娘が東京に出て

故郷に帰りたくないからとJALのCAになり

ハワイで出会った人と結婚

気がついたら全然知らない山形県の

旅館の女将になっていたという

強者女将




恐れ入りました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️


私の周りには


普通を通り越した

逸材がいることを実感した旅でもありました〜



局長、美代さん

そして女将


みんなお元気で❤️



局長が私にそっと囁いた


「英子、僕の好きなことはなんだと思う?」


.....????


「無から有を生み出すことだよ」


奥が深すぎです、局長🙏🙏🙏