そんなこんなで帰国しました。


娘は大はしゃぎ。かわいい。


着任先はこれまでゆかりのない地方国立大学の特任助教(4年任期更新なし)。もう少し粘っていいポジションを見つける選択肢もあったのかもしれないが、他に見つかる保証はないし、娘と暮らすことを最優先に考えるとこれでよかったんだと思う。


妻の職場と同じ場所には仕事は見つからなかったし、妻を説得できるほどいい大学の正規ポジションも得られなかった。妻はワンオペ育児と仕事の両立を私たちの両親からも遠いところでしていたが、体力の限界で生活が破綻しかけていた。そのため3月末で退職して、自分と暮らすことにした。


彼女の仕事だって結構いい条件で簡単に同等の職が見つかるようなものじゃない。でも体力的に自分の仕事が安定するのを待つことはできないし、もう一つの理由を持ってして、しょうがなく退職することになった。


もう一つは娘の発育。2歳半をすぎ、言葉の発達に遅れの懸念があると保育園の先生に指摘された。片親で祖父母達とも飛行機の距離でワンオペ育児で過ごしたからか、そもそも先天的なものからなのか、認めたくはないけどどうも発音と語彙の発達が遅いみたいだ。まだ健全の範囲であることも十分にありうるけど、娘のこの状況をみて別居を続けることに限界を感じた。


こういう研究と関係ない要因は、すべからく研究という茨の道をもう諦めた方がいいんじゃないかと促している気もした。一方で、研究はやればやるほど離れられるのが難しくなる。


この状況でも、まだ任期つき研究員を選択をする自分に自己嫌悪を覚えたり、ポスドク経験なく任期の長い正規助教になる人を見て羨んだり、自分では今さらどうしようもないことに悩んだりしてた。何かと複雑な心境だが、多分これが普通のアカデミアの現状なのだと思う。


そんなこんなで普通のポスドクのコロナ禍でスタートした海外研究は研究面では学びが多く成功だったしスイスにきてよかったと断言できますが、結果論としてその経験がいいポジションに繋がるわけじゃあないんだという、一発逆転とはいかない現実に終わりました。


そりゃあそうさ、助教になるのにポスドクをやらない人だって、そのまま博士をとったラボの助教になる人だってまだまだゴロゴロいる。海外でいい研究をした程度では、日本特有の意味不明でクソなシステムを打ち崩しポジションを取るには十分じゃあないのだろう。


以上、海外ポスドクという希少若手研究者はただ普通の国内任期付き研究員に戻り、このブログは終了となります。短い間でしたが、訪問してくださった皆様、励ましのコメントを書き込んでくださった皆様、大変ありがとうございました。


海外ポスドク経験は素晴らしい。研究力も向上し、コミュニケーション能力や英語力も上達し、コミュニティもぐっと広がる。一方で多分純然としたシステムの違いから日本のポジションには戻りづらくなる。でも、そんな事すらどうにでもできそうな自信と能力が身につくとおもいます。若人よ、海外ポスドクどうっすか?


さあて、このブログのオチでは若人に希望を与えにくいので近々封鎖しますかね…笑