ごぶさたしています。
前回は、確か高橋ユキヒロさんがお亡くなりになったのを受けて、その弔辞のようなものを投稿したのでした。
そしてその後、坂本龍一さんがお亡くなりになりました。
私は坂本さんの大ファンで、彼が公式に発表した音源は、ほぼ全て聞いております。坂本関連の本もほとんど読みました(タイトルは書きませんが、1万円近くする研究本も2冊読みました。つまらない本でした)ただ、コンサートにも通うような大ファンになったのは私が30歳代後半、坂本さんが40歳代になってからのことです。
YMOが「ライディーン」を発表した頃、よくラジオで耳にしていたのですが、その頃はディープ・パープルなどのハードロックにはまっていたので、「よく分からない音楽」としてしか感じませんでした。しかし、その「わかりにくさ」はよく覚えていて、中学校の帰り道にライディーンの音楽を頭の中でめぐらせた場所も覚えているほどです。今ではYMOの全てのアルバムをCDで持っており、レコードも数点持っていますが。
YMOの再結成後、特にNHKで再結成コンサートを観て、坂本さんのかっこよさにしびれ、YMOのファンになり、 sweet revengeという坂本さんが発表されたアルバムの1曲目 Tokyo Story を聞いた瞬間からのめり込みました。
その頃、滋賀県の近江八幡に遊びにちょくちょく行っていたのですが、その帰りに、JR近江八幡の駅に、近江八幡市民会館で、なんと坂本さんのワールド・ツアーの皮切り公演が行われると、sweet revengeのジャケットの写真をつかったポスターに記されていました。近江八幡市の方々には本当にもうしわけないのですが、「ええ、ここで??」と思いました(たぶん市政何十周年のイベントだったと思います。やるねえ、近江八幡!)。即チケットをとって、それに行き、坂本さんに間近に触れたことで(たぶん100メートル程度)、ますます坂本さんのファンになったのです。坂本さんに関しては、おそらく多くの人が語っていると思いますので、たぶんあまり語られていないそのコンサートの模様を中心に書くことで、追悼にかえたいと思います。
このコンサートの模様はsweet revenge tourというタイトルの映像や音源となって発売されていました(収録された会場は異なります)。近江八幡での演奏はほぼこれと同じなのですが、一つだけ大きく違ったことがあります。この映像を見ると、アンコールで演奏されたHeart Beatという楽曲の演奏の際にバックで映し出される映像(ペン書き風の人がカクカク踊る映像)がありますが、この近江八幡市の公演では間に合わなかったようで、当日はその映像がありませんでした。いかにもスタートのコンサートですねえ。
面白かったのは、近江八幡の客は良い意味で、ノリが良くなくて、つまり、じっくり曲を聴いている状態で(Love and Hateが終わった後、女の人が「かっこいいー!」と叫んだだけ)、ホントにアンコールの曲になるまで、誰も大きな手拍子もせず、立ち上がりもしませんでした。私もこのときが坂本さんのコンサートに初めて行ったので、どうしたらいいのかよくわからずにじっとしていました。アンコールで、Heart Beatのイントロが流れた瞬間に、耐えきれなくなった前から3列目の女の子が立ち上がって、手を叩きだし、ようやくみんな立ち上がって、大盛り上がりとなったのでした。ある意味、クラシックのコンサートのような感じでした。
その他、最前列のカップルが遅れてやってきたのに気付いて、「遅かったね。どうしたの?」って声をかけるなど、小さな会場だからこそ生じたこともあり、その後、私は坂本さんの公演に十数回行っていますが、客に直接コンサート中に声を掛けたのはこれだけなので、未だによく覚えています。
坂本さんの他のコンサートで記録として残しておいてもいいかと思う事は、名古屋のピアノコンサートの際に生じたことです。坂本さんがしゃべり出した時、「音楽家なんだから、しゃべらずに音楽をやれ!」と大声を出した男がいたことです。YMOのころの坂本さんなら、『写楽』コンサートの際のように、「うるさい、だまって聴け!」とでも言っていたと思いますが、その時は、「困ったなあ…」とだけ言って黙ってしまって、すぐにスタッフがその男のところに行って、どうにかしたようです。私も「俺たちは坂本さんの話も楽しみにしているんだ!」と言いたかったのですが、それで回りの人に迷惑をその男がかけたらと思うと、できませんでした。坂本さんも刺激してはいけないと思ったのだと思います。いやー、坂本さんも大人になったなあと感慨深いものがありました。
近江八幡コンサートの頃は、私は35歳頃ですから、坂本さんもまだ45歳頃ですね。いやー、かっこよかった。その後、私は坂本さんの髪型をマネしたり、同じ内容のピアノコンサートだとわかっていても、神戸、名古屋、仙台(この仙台公演はクリスマス前夜でした)と追っかけたりしました。ひどい時は、坂本さんのコンサートがあるからと言って、チーフを私がしているテキストの会議を早めに終わらせてもらったりしていました。いや、急いだだけで、途中で止めたわけではありません。スタッフのみなさんには迷惑かけましたが、いつもなら倍の時間がかかる会議が半分の時間で終わり、「やればできるもんだな」とみんな感心していたので、よかった(か?)。
そんな風にずっと追いかけてきた坂本さんが亡くなりました。NHKで坂本さん関連の番組をちょくちょく放送していますが、辛くてなかなか一挙に観ることができず、録画しています。Last Daysは特に。まだ見ることができません。
ただ、音楽の上では、坂本さんはSweet Revengeを頂点として、その後は音楽家としては難しかったと思います。これは芸術家にとっては、必然的なことであり、坂本さんの欠点でもなんでもないです。
かつて坂本さんは、高野寛さんが司会をしていた番組「ソリトン Part 2」で、「いつから音楽はメロディーを失ったのか」という内容の新聞記事を取り上げて話をしていました。当時は、ラップを中心とした音楽シーンの話になっていましたが、これは今、全ての音楽シーンにおいてそうなのだと、私は思っています。今、音楽で盛り上がっているのは、その演奏家たちの外見やパフォーマンスが中心になっていると思います。世界的な大ヒットというのがなくなりつつあります。日本においても、どの世代も知っているという新曲はほとんど存在しなくなっています。松原みきさんのリバイバルによって火が付いた「シティー・ポップ」の復活、その後の歌謡曲の復活なんてのは、そのことを証明しているように思えます。
坂本さんの実質的な最後のアルバムは asyncですが、これもなかなか「素晴らしいアルバム」と賞賛しきることは難しい曲で溢れています(仕事をしながら聴くには良いのですが)。芸術家が常に注目を浴びるのは、本当に難しいことです。その例はいくつもありますが、ゲルハルト・リヒターの最新作と初期のリアリズムをずらしたような作品とでは、どちらの方が魅力的ですか?私は後者です。つまり芸術は革新に大きな意味があり、それが無くなると魅力が薄れていくものです。今の若い人たちが、昔の歌謡曲に魅力を見いだすのは、今まで耳にしていなかったメロディーラインをもっている曲だからでしょう。
アイドルでありながら、歌唱力のある人、中森明菜や松田聖子もそうですが、そういう人たちが良いメロディーをもったヒット曲に恵まれていた時代は、もう来ないのでしょうねえ。私の中では、最後の「アイドル+名曲」となったのは、AKB48の『恋するフォーチュンクッキー』です。スマップのアルバムも多数買った私ですが、これ以降、アイドル系のCDは買っていません(高橋ユキヒロさんは、スマップの曲をカバーしたことがありましたが、「だって、良い曲なんだもん」って言っていました)。
ということで、坂本さんに関連することなら、バッハやドビュッシーなどに触れるべきなのかも知れませんが、あえて歌謡曲に流れました(彼がプロデュースした中谷美紀さんもいますしね)。坂本さんはかつて、自分が死ぬ時には「今まで愛してきた女性が全員回りにいてほしい」ということを言っていました。これが(当時の)最後の際の願いだったのです(実現しなかったでしょうけど。soraさんがいれば良いよね)。私はそういう坂本さんが好きでした。ぎらぎらした坂本さんが大好きでした。Beutyは良い、けど、海外版のBeutyは、クレジットには無い、そして日本版には収録されていない”You Do Me”が入っている。私は当然何も知らず、海外版も買っておこう、って感じで買い、最初に You Do Me が入っていて驚き、最後(だと思っていた)「ちんさぐの花」が終わったので、席を立ったら、You Do Me らしきイントロが聞こえてきて、急いでパンフレットを確認しても、そのことは掲載されていない、と、こういうことをする坂本さんが大好きでした。昔、マッキントッシュのソフトで、キーボードのあるボタンを押すと、開発者の名前が映画のラストのように下からせり上がってきたり、お正月にアップルのコンピュータを立ち上げると、「あけましておめでとうございます」と画面にでたりする、「遊び心」が感じられました。
ですから、本当は、「健康」や「環境保護」に目覚めた坂本さんは、実はあまり好きではありませんでした。坂本さんはぎらぎらしたそのままの姿で突っ走ってほしかった。環境保護に乗り出すのと、ピアノコンサートばかりになる時期は、一致しています。加齢が原因であるということもあるでしょうけど、なんとなく淋しく思っていました。
神宮外苑の木々が伐採されるのを憂慮する坂本さんも素敵ですけど、あの才能をもち、あの美貌を持って、昔、ピテカントロプスに出入りしていた坂本さんが私は大好きなのです。自身が創る音楽を「癒しの音楽」と言われるのを、大変嫌がっていた坂本さんが好きです。エナジー・フローは受けて、どうして「山崎」は受けないんだ!と憤慨している坂本さんが好きでした。
ピーター・バラカンさんは、NHKの自分の番組でいまだ坂本さんの追悼番組をすることができないのは「距離の取り方が難しい」からだそうですが、それもなんとなく理解できます。坂本さんの場合、かなり音楽に幅があるのですね。もう全く話題にならなかった「COMIKA」なんて、ほとんどノイズです。何を選べば良いのだろうかと考えていらっしゃるのではないかと思います(思いあまって、エナジー・フローをかけていらっしゃいましたが)。坂本さん名義のヒット曲は、『エナジー・フロー』『メリー・クリスマス・Mr.ローレンス』等ですが、『B2-unit』に収録されている曲などを聴いてもらえば、その「乖離」の感覚は分かっていただけると思います。私はB2系坂本が好きだったのですね。
坂本さんがリベラルな思考をしていたのはもちろん分かっています。彼は高校時代からそういう行動をしていたようです。よって、柄谷行人さん等が始めたNAMという活動にも、村上龍とともに名前は載せていた時があります。ただ、不思議なことに、マルクスの名前が坂本さんの書いたもので見掛けたことは一度もないのです。
私はコンサート会場では、アンコールの曲が終わると、「坂本~!」と呼び捨てにして叫んでいました。この「呼び捨て」の感じが、私の好きな坂本さんを表しているように思っていました(YMOの頃は呼び捨てが多かったね)。ですから、その呼び声をかけると、坂本さんがこちらに向かって手を振ってくれるように、心なしか思えました。
「坂本~!」