日々傷つくことから自分を守るために

 


他人の言葉や言動を気にしすぎてしまう

他人の言葉や言動に傷つくことが多い私。
巷で最近言うところの「繊細さん」寄りだなと自覚している。

気にしない人、気づかない人にはわからないから、全員が理解してくれるとは思っていない。でも、細かな他人の表情や声色、仕草などを勝手に分析して、自分のことを嫌っているのかな?興味ないのかな?と、感じてしまう人は少なくないはず。

例えば、自分が友人Aと一緒に町を歩いていて、共通の友人Bとばったり遭遇する。3人で「久しぶり~!」と世間話を始めるが、友人Bの視線が友人Aばかりに向かうことに気づき、私ではなく友人Aに会えたことがうれしかったのかな?と疎外感を感じる・・・

かなり根暗感満載なエピソードだけど、実際このような状況で寂しさみたいなものを感じたことがある。

気にしなくできればいいのに、気づかなければいいのに、と何度思ったことか。
でも、一度気づいてしまったことは、気づかないフリはできても、気づかないことはできない。もしくは、勝手な思い込みでは?と言う人もいるかもしれない。確かに思い込みかもしれない。。そうわかっていても傷ついてしまう。

自分を大事にとか、その人にどう思われようと関係ない!とか
いろんな考え方を試してみたけど、傷つくときは傷つくし、マイナスな考えをやめることはできなかった。
そんな中、本を読んだりYoutubeを見たりして得た知識で、最近は心が軽くなった気がするので、記録しておく。

期待しないこと

よく言う、「他人に期待しないこと」。
「繊細さん」が気にする悩みの大半は、他人に期待しているから発生するのかもしれないと考えている。
例えば、上に書いた友人に遭遇した例では、私は友人Bに私にも視線を送ってくれることを期待していたから、そうではなかったので傷ついたのだ。もしかしたら私があまり会話に参加していなかったり、一歩後ろに下がっていたり?、視線を送らない要因を作っていたのは私だったかもしれない。

何か悩むこと、嫌だったことなどを考えるときに、自分はなぜそれが嫌だったか、なぜ傷ついたか?を考えていくと、無意識に他人に期待していたことに気づく。他人は他人、自分は自分なので、他人が全員自分が期待した通りに動いてくれるわけではないのに、それでがっかりして嫌な気持ちになる。そんな自分に気づくと余計自己嫌悪になりそうだが、他人に関する悩みについては、「私が期待しすぎていた側面もあったな~」と納得でき、少し気が楽になるのだ。

「他人に期待しない」はいろんな人が言っているしよくネットに書いてあるが、実際に悩んでいるときに意識して考えてみると、思っている以上に他人への期待をしていることが多い。これからも嫌なことがあれば、何が嫌だったか、何かに期待していなかったかを考えるよう心掛けたい。

傷つくことから自分を守るために


日常生活の中で、人と関わる以上は何かしら他人に期待するということは当たり前だと思う。
期待しては裏切られ、傷ついて、嫌になる。でもそれって自分が勝手に期待して傷ついているだけだと思うと、考えたり悩んだりする時間も、マイナスな感情も無駄なものなのかもしれない。
自分が他人に期待していることに気づく癖をつけると、生きるのが楽になるのではないかと思う。「あ、私こうしてほしいって、期待してた!」と気づけるだけで、「他人だしそうしてくれるかはわからないよね。してくれたらラッキーくらいに考えておこう!」と他人への期待のハードルを下げられるし、思い通りにならなくても、他人だから仕方ないと、半ば諦めることができて、それが精神衛生上大切なのではないかと感じる。期待しない、期待している自分に気づくことが、結果的に自分を大事にするということにつながるのかもしれない。

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