寒い季節が好きだ。インドアの季節だからである。

 

もっとも、私はひきこもりであるので、夏だろうが冬だろうが関係なくほとんどの日を自分の部屋で過ごしている。

 

 
アウトドア活動なんてもってのほかで、この世界で私の存在を覚えているのは家族と請求書だけである。
 
だったら季節による違いなんてないだろう、と思われるかもしれない。
 
それは大きな誤解である。
 

同じひきこもるにしても、季節によってこもりごこちの違いがあるのである。

 
なにしろ夏は暑く、空気も湿っている。エアコンにも限界があるし、電気代を気にしないわけにもいかない。世間もなにやら忙しない。行楽シーズンの中、人々は生き急ぐように動き回っている。
 
それに比べて、冬は過ごしやすい。空気が乾いているし、私の住む地域では寒さもさほどでなく、厚着やホットカーペットで対応できる。体への負担が小さいため疲れにくく、落ち着いてものごとに集中できる。
 
そしてなにより、冬の厚着は人を安心させる。別にひきこもりでなくても、起毛のスウェット、着る毛布、そういったものに落ち着く人は多いのではないだろうか?
 
まだ秋も始まったばかりなので、少し気の早い話をしてしまったかもしれない。
 
しかし既に外はにわかに秋を深め始め、窓を開ければ冬の匂いがする日も増えてきた(私は基本的に深夜に行動している)。
 
冬は日ごとに近づいている。
 
暖かい飲み物に適しているのもよい。私はコーヒー大好き人間なのでコーヒーばかり飲んでいるが、冷えたコーヒーはいまいち物足りない。
 
ホットコーヒーの匂いは私の錆びついた脳に蹴りを入れる。そのうちにゆっくりとエンジンがかかり始める。うさんくさい味のする安物のインスタントであってもである。
 
だからといって何か有意義なことをするわけでもないが、ともあれ停滞のどん底からは抜け出して、なにかしらが動き始める。
 
曲がりなりにも社会生活を送れていた頃を振り返って感じる当時と今との大きな違いのひとつに、さまざまな面での視野の狭さがある。
 
今では、本当に手近なことについてしか考えられなくなってしまった。
 
時間では一昨日から明後日までくらい、距離では半径2メートルくらいだろうか。それより遠くのことを考えるともやがかかったようになってしまう。無職なのに手帳が手放せない。
 
ひきこもっているからというのもあるのだろうが、その前も末期はこうだった気がする。つまり、結果というよりは原因であろう。
 
ともかく、寒い夜、暖かいコーヒーを飲みながら作業している時はこれがいくらか改善するのである。
 
春や夏と比べればであるが、充実した日々を送ることができる。少なくとも、建設的なことを考えられるようになる。
 
また一年の終わりが近づくという点では、季節の移り変わりは恐ろしいものである。
 
しかし、それでもなお、今から冬が待ち遠しい。