このところ、いろいろ思い返していて、
私は、母がずっと苦手だったのですが、
子供の頃から、母の気持ちが重く感じられるようなところがあって、
それは、たぶん、
気持ち的に頼る人が、
子供の私だったのかもしれない・・と、思い至りました

母の母は、
おそらく、終戦の少し前は、
地方都市も空襲がありましたので、
その空襲に遭遇したのかな・・とも思われます
母の父は、戦争に行っていたと考えられますが、
そうなると、どこへ・・なども、
日本に戻れたのかも、
全く分かりませんが・・

母は、戦争の記憶はないとは思いますが、
母の父の弟が後見人になっていましたが、
後見人の届けがあっても、
施設にいたということですし、
そして、母のお姉さんも、
連絡などがとれる状態だったのか・・
たぶん、取れていなかったのでしょうね・・

お姉さんの死亡届けも、
同居人の女性が出していて、
本当に、ますます、分からないことばかりです

そんなこともあり、
何となく、ずっと母が苦手でしたが、
母が生きている間は、
戦争で家族を亡くした母の気持ちは分かりませんでした

分からなかったのは、
私としては、祖父母もいて、
そして、今に至るまで、
体調を悪くしているものの、
それなりに普通に暮らしていているからで、
それは、祖父母のおかげだと思います

私としては、普通に感じているのですが、
他にも、複雑ないろいろがあって、
そのようなことがありながらも、
私も、母が苦手ななりに、
気にかかるところがずっとあり、
そして、私が体調を悪くした時に、
どこにいても体調が悪くて、
実家に2か月くらい滞在していた時がありました

その時に、何か変わるタイミングがきたのだな・・と、自分でも思えて、
その時から、
やっと、少し、普通な感じになった感じがあります

ですので、私が体調を悪くしなかったら、
気がかりなままだったかもしれません

そう思うと、
体調が悪くなったことは、
ずっとあった気がかりがなくなったことに繋がるのですが、
とは言いましても、
体調が良くないことで、
今の暮らしに支障もありますし・・

たぶん、良く分からなかったけれど、
母の気持ちをとても感じていたということなのかな・・と感じます

そのようなところが、
現実では、生きにくい・・というところかもしれませんが、
長く、良く分からなかったことが、分かった感じはあります

🍀

そして、そのような気づきと言うのは、
考えたから分かるという感じでもなく、
潜在意識の中で気になってきたことが、
急に繋がりを持って感じられる・・という感じと思います🍀