月花凪(TukikaNagi)

冷蔵庫の中を見て献立を立てる主婦の思考

1年前の8月3日に起きた交通事故のこと

08/03/2020 

私は、去年の8月3日に交通事故に遭い、隣で運転していた同居する祖父が亡くなりました。その時のことを思い出せる限り書きました。

 

13時頃に靴下を買うためにショッピングモールに向かおうとしていたら同居している父方の祖父が軽トラで送ってくれることになった

行く途中、珍しく猿が道を横断していた

 

普段は古く狭い街道を使っていたが、歩行者が飛び出して来たら怖いと思ってその道沿いの比較的新しい道を薦めた

祖父は初めて走る道

道路の幅が広く歩道もある

走っている道が基本的には優先道路だったが、3個目ぐらいの大きい交差点ではこちらが一時停止になる。信号はない

停止線100mぐらい前に一度ブレーキを浅く踏んだから見えていると思ったが、約40mぐらい手前になってなぜかアクセルを踏んで加速し始めた

一時停止の標識に祖父は気づいていなかった

声をかける間もなくそのまま交差点に突入し、右側から走ってきた4トントラックと衝突した

運転席の真横にトラックが当たって、タイヤ痕から推測するに車ごと宙に浮いて飛ばされたらしい

進行方向から左に90度以上車体の向きが変わっていた

歩道のコンクリートに当たって止まったと思う

衝突する直前に意識は失っていたから衝突する瞬間の痛みは感じなかった

直前の映像までは鮮明に覚えている

運転席側の窓からトラックの正面が見えた。よく見るマークがあった

窓から運転席は見えなかったから当たる1m〜2mぐらいの距離だったと思う

運動エネルギーの方向が90度以上変わっていることからも衝撃の大きさが窺える

交差点からは10m近く離れたところまで飛ばされていた

それぐらいの衝撃だったらしい

衝突から何分後かは分からないけど意識が戻ったときに全く違う方向が見えていて驚き、衝突したことを実感した

意識がない間は夢を見るわけでもなく本当に何も感じることができなかった

肺挫傷、その他臓器傷ついていたけど衝突の規模の割に意識はしっかりしていた

救急車が到着した時のことも覚えている

目は開いていなかったけど、頷いたり声を出して応答していた

意識がなかった祖父が先に救急車で近くの病院へ運ばれ、私は救急車で応急処置を受けつつドクターヘリの到着を待った

どちらを先に車から出すか話しているのも聞こえていた

祖父は頭から血も出ていたし一目見ればどちらが重症か判断できるし、即死だったらしいから脈がないことはすぐに確認していたと思う

その時の音の記憶がない

祖父の方がやばいから先に降ろすみたいな会話が聞こえたところまでは覚えているけど、その先が記憶にない

聞こえていた可能性はあるけど覚えていない

この時点で嫌な予感はしていたが、ただそれを信じたくなかったんだと思う

 

ヘリで運ばれている間も医者とドクターヘリ乗るの初めてですみたいな呑気な話をしていた

病院に到着し治療を受けているときのことはあまり覚えていない、内臓損傷してるせいで吐き気が止まらなくて辛かった

静脈と動脈に点滴を打った。動脈に刺した針は10㎝ぐらいの長さでたぶん今までで一番痛い針だったが、他が痛すぎて痛みを覚えていない

一通り検査を終えた後ICUに入った

ドラマでしか見たことがなかったICUに自分が入るとは思っていなかったし、なんかICUってかっこいい(小並)と思ってしまって嫌気がさした

馬鹿だよね、本当に

こんな状況なのにICUかっこいい(笑)みたいな感じのことを考えてしまうなんて

不謹慎でも頭に思い浮かんでしまうんだよね

個室だったからドラマのような機器が並んでいる光景は見ていないけどね

一般病棟とは違ってICUはテレビ見放題らしくて何もすることないけど身体は動けない状態だったからつけた

チャンネル切り替えて見るものを探していたら見覚えある車と場所が出てきた

偶然ニュースで事故のことをやっていて、この事故で運転していた男性が死亡しましたというところまで聞いてしまった

一瞬でチャンネルをかえればそこまで聞かずに事故の場所を見るだけで済んだのに、どうなったのか知りたいという欲求が勝った

その結果は、まあ予想通り

とりあえずテレビは消したけど落ち着いていられない

自分は何も見ていないと自分に言い聞かせていた

看護師や医者から祖父のことは聞かされていなかったから薄々察してはいた

そうしているうちに父が病室にきた

コロナで身内1人だけしか入れなかったらしい

父とどんな話をしたかは覚えていないけど、帰り際に祖父がどうなったか聞いた

聞かれるまでは言わないと母や他の家族と話して決めていたらしくて父からは触れてこなかった

ニュースで見ていたから祖父が死んでいることは知っているはずなのに聞いた

現実を受け入れられない自分を説得するために父を利用した

泣いたところを見たことがなかった父が、ダメだったと言いながら泣いたんだよ

その日はほとんど眠れなかった

全身痛いし、繋いでいる機械の音も慣れなくてうるさかった

8月3日の記録としてはこれぐらい

 

まだ誰にも言えていない心残りがある

衝突直後も思ったけど、一時停止があることを言えばよかった

祖父は初めて通る道だし、その道に誘導したのは自分だ

晴れていて前方の見通しは良かったから一時停止の標識を見えていると思っていたし、運転手が分かっているのに一時停止だとわざわざ言ったら余計なお世話なんじゃないかと思って言わなかった

一度速度を落としたときに見えていると思った

多少疎まれても言っていれば止まって事故を回避していた

この程度で孫を疎むような人ではないんだけどね

そもそもその道に誘導しなければ何度も通った道を走るはずだった

こんなこと言ってもどうしようもないことは分かってはいる

今まで、親含め誰にも言ってないし書きもできなかった

この先も言える日は来ないような気がする

言ったら絶対に、私のせいではないと言われるから

自分のせいではないと言って欲しいとは思っていないし、言われたくない

そんな言葉を言われてもなんの気休めにもならないし、むしろ責めてくれた方が気が楽になるような気さえする

それをしてくれる人はいないし、思っていても言えないでしょう

あと、避けたいのは死人の代弁

祖父はそう思っていないだとか、分かるはずのないことを言われたくない

葬式の日には退院できたから参列したが、来てくれた人たち、身内でさえも死人の気持ちを知りようがないのに語りだして気味が悪かった。

入院している期間のことはまた記憶が薄れないうちに記録しておこうと思う

 

退院してから死とは何か考えて書いた

死とは何か」これが結論ではない。まだこの先も自分が死ぬ時まで考えているだろう。

wilhelog.hatenablog.jp

 

そしてこれを見た鏡月さんが書いてくれた記事

chriskyogetu.jp

 

結局、感覚は嘘をつかないね

悲しいと感じたときの感覚から思い出すのはこの日のこと

事故の日からまだ一年しか経っていないけど、精神的な回復はかなり早いと思う

誰かを恨んだりせず、死とは何か考え感情を哲学に昇華させていることが回復を早めたのだと思う。

ただ、感情の整理はできてもそれに身体が追い付いてこなくてまだ完全復活とはいかなそう

PTSD鬱病になったり、自殺を考えていたこともあった。今はもう薬飲まなくてもよくなったし、最近は睡眠障害も治ってきている

あとは、急に来る頭痛など謎の体調不良がなくなれば完治といえるだろうけどこれはまだ何年もかかると思う

 

長いけどここまで読んでくれた人ありがとう

 

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