えーこんばんは、わたしです。
新年度ですねぇ!!
いやー春は出会いたい別れの季節と申しますが、
3月に卒業とかそういうので別れと巣立ちの時期となりました。
そして4月、学校で、そして会社で新たな出会いが始まったと思います。
そしてうちにも来ました。
大型新人が
何が大型かって?物理的(身長的な)にも大型ですが、
なにより会社への愛がすごい
そしてわたしより有能😁
そもそもポンコツな私と比べる時点で間違いなのですが、
彼はまさしくホンモノです。
今後は彼の存在を脅威にしつつ、自分を磨いていこうと思います。
つーことで、今回は春!ということは桜ということでこの神社を紹介します。
村社 若櫻神社
鎮座地:奈良県桜井市谷
御祭神:伊和我加利命
旧社格:官幣小社(延喜式)→村社(明治)
御朱印:不明
はい、桜井市にある若桜神社でございます。
そうですね、桜、まんまです
しかし、この写真をご覧くださいいい
まさか名前通り桜が本当にあるとは。
しかも割といい時期に行けました。ちょっと時間が遅いので暗いのはご容赦いただきたい。
この神社は『延喜式』神名帳の大和国城上郡鎮座として名前の見える式内社なんですが、
同じ名前の神社があるので"論社"となっています。
御祭神の伊和我加利命さまは、記紀神話に登場する方ではなく、
実在した人物を祀る氏神系に属する神社です。
この伊和我加利命さまは若桜部朝臣や阿部朝臣の祖先とされていて、
その祖先には丹波国を平定した四大将軍の一人である大彦命さまがいます。
つまりはこの伊和我加利命さまも孝元天皇からわかれた皇別氏族ということになります。
ちなみに先程の子孫にあたる阿倍朝臣はのちに陰陽道を掌る安倍晴明さんが生まれます。
『日本書紀』に履中天皇さまとその皇后さまが「磐余の市幾池」で遊園している時に
酒を注いだ盃に季節外れの桜の花びらが落ち、その事例が珍しいことだとお喜びになり、
桜を清水の湧き出る泉のそばに植えられ、自らの御所も「磐余稚桜宮」と名乗ったそうです。
その御所の比定地に若桜神社が挙げられます。
そしてこの櫻と泉のある井戸が現在の奈良県桜井市の名前の由来になっています。
この道中までは桜の木が伸びていて、なかなか素敵でした
やっぱり日本人は桜が大好きなのは遺伝子に刻まれたものなんでしょうかね。
ちなみに先程の履中天皇さまですが、あの賢君として名高い仁徳天皇さまの嫡子で、
仁徳天皇さまがかなりの長命(記:83歳、紀:110歳崩御)だったため老齢にて即位し、
国史の作成や内蔵の整備など歴史と政治に関しての制度を整えましたがたった6年で崩御してしまいました。
授与所のような設備もないので普段から授与品などは出してないのかもしれません。
ここで若櫻神社記の看板に戻っていただきたい。
祭神の欄に西殿:大彦命、社格の欄に延喜式式内大社と書かれています。
実はここには若櫻神社ともう一つ、高屋安倍神社が鎮座しています。
こちらも大和国城上郡鎮座の「高屋安倍神社 三座」の名神大社として載っている式内社です。
さらっと若櫻神社より社格が高いですね。
高屋安倍神社は先程話題に出した阿部朝臣の祖神として大彦命さまを祀った神社で、
元々は阿部松本山と呼ばれる山にあったそうですが、18世紀に土砂崩れに巻き込まれ倒壊し、
この若櫻神社に遷座してきました。
元鎮座地には安倍文殊院と呼ばれる安倍一族の寺院があり、
このあたり一体が安倍氏ゆかりの土地であることがわかります。
この安倍文殊院にも晴明堂と呼ばれる安倍晴明さんを祀るお堂があります。
完全に石碑だけなのも珍しいですね。
どうやらここでは社ではなくお塚形式で末社があるようですね。
なぜかこの地域の神社は琴平神社をよく末社で祀っているんですよね。
大体こんぴらさん祀ってるのは海上安全なんかを目的として
海に近い神社に勧請されていることが多いのですが、
もちろん奈良県は関西唯一の内陸県です.
え、滋賀?ほら琵琶湖あるからノーカンでしょう
となると考えられるのは、同じ御祭神を祀る大神神社との関係ですかね。
上述の通り論社があります。
それがこちら。
村社 稚桜神社
御祭神:出雲色男命
旧社格:官幣小社(延喜式)村社(明治)
御朱印:不明
こちらは社名が’’若’’から’’稚’’の字になっています。
こちらの御祭神は若櫻神社と違って出雲色男命さまとなっています。
由緒的には先程と大方流れは同じですが、
履中天皇さまが桜の花びらの所在を臣下の物部長真胆連という方に命じ、
掖上室山というところで見つけて天皇へ献上し御所の名前を変えます。
出雲色男命さまはその物部長真胆連さんの4世前の先祖だそうで、
氏神系神社であるのは2社とも共通ですが、その土地に由来した若櫻神社に対して、
伝承に由来した稚桜神社といった感じなようです。
しかし桜は全く見えません。
この2社は社が立っているのですが、
祓戸がお塚型なのは共通していますね。
あとここにもこんぴらさんがあります。なぜなのか…
波間に兎が描かれたレリーフ?的なものがあります。
兎と海というならやはり「因幡の白兎」がまず浮かびますし、
御祭神の名前に「出雲」が入っていますしのその辺りが関係してそうですが、
出雲色男命さまはそもそも饒速日命さまの曽孫に当たるので関係はなさそうです。
この辺では珍しく建築様式が流造です。
奈良県は大半春日造を占めています。
こういうところで神社ごとにその土地の文化がわかりますね。
結局どこにも桜は見つけられませんでした。
逆にこちらは近くの子連れの親子が遊びに来ていて賑やかでしたね。
あとがき
という感じでいかがだったでしょうか。
桜に関係した神社を紹介しましたけど、投稿時にはもうすっかり葉桜になってしまいましたね。
来年の桜の時期には吉野の桜を見に行きたいですね。
できれば自分と誰か連れがいればいうこと無いんですが・・・
さて今回はこの辺で筆を置くことにします。
そういえば同期がギックリ腰になりましたね
皆さんも急な腰の負担には気をつけてくださいね
今回の神社の名前みたいに、
もう、若くはないんですから。
それではまた来週お会いしましょう
さいなら〜