【丑歳年末企画(後宮祭)】菅原天満宮、参拝してみた【番外②】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

おはようございます。わたしです。

 

新年が始まりましたね。みなさん初詣は行かれたでしょうか?

 

おそらく今年は政府も分散参拝の要請も出していなかったので、

 

これからコロナ感染者が出てくるかもしれませんが、

 

ちゃんと守ってくださってると思うので安心してくださいてへぺろ

 

{emoji:下矢印}寅年生まれの人はクリックしてくださいなNEW

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番外 菅原天満宮

 

 

 {emoji:神社}鎮座地:奈良県奈良市菅原町

 

{emoji:神社}御祭神:天穂日命、野見宿禰命、菅原道真公

 

{emoji:神社}例祭日:10月体育の日の前日

 

{emoji:神社}旧社格:官幣小社(延喜式)右矢印郷社(明治)

 

{emoji:神社}御朱印:あり

 

おめぇまだ天満宮出すんかよ{emoji:!}{emoji:!}{emoji:!}{emoji:!}{emoji:!}

 

とお思いの方、これ最後なんで!!多分!!

 

まぁ実際、菅公聖蹟二十五拝を1ヶ月に突っ込むだけでも31日では収まらないのでこれは仕方のないことなのです。

 

そしてこの二十五拝を追ってきてくれていた方はご存知だと思いますが、

 

元ネタの双六のコマの順に投稿し、番号を振っています。

 

しかし、今回のブログでは順番が最後にもかかわらず、抜けていた番外の②を振っています。

 

この理由は後ほどグッ

 

電球え、なにそのブログ知らないんだけど、というそこのあなた!!!!

 

下矢印企画概要はこちらに

 

 

由緒書きです。

 

実はこの神社は他の菅公聖蹟二十五拝の天満宮と違って、

 

『延喜式』神名帳に載っている神社なのですびっくりマークびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

つまりは式内社ということですね。

 

実は31社+αほど紹介しましたが、実は式内社は一社もありませんガーン

 

『延喜式』の施行が967年で、北野天満宮の創建が947年と間が20年しかなく、

 

天満宮は当時歴史的に浅く、また怨霊として道真さんが扱われたためか、載っていないのですもやもや

 

お寺の要素が強かったのも大きいかもしれませんね。

 

そのほかの天満宮も創建は不詳なほど古いですが、元は天満宮ではなかったり、

 

道真さんが来たことで著名になった神社が多いです。

 

そんななかこの菅原天満宮、神名帳には菅原神社として載っています。

 

 

とはいえ、元から天満宮だったわけではなく、御祭神を見てお分かりの通り、

 

天穂日命さま1柱のみでした。その後天神信仰の隆盛によって、

 

野見宿禰命さま、道真さんが祀られた、ということです。

 

 

 

 

手水社の奥には土蔵があります。

 

壁は補修されたのか割と白く維持されていますが、

 

真ん中の扉は明らかに年季があります。私の目は誤魔化せないZE(知らんけど)

 

 

 

こちらが拝殿ですお願い

 

横に広く、今までの天満宮に比べると装飾も少なく彩色も鮮やかではありませんが、

 

古き良き神社、という感じですねキラキラ

 

菅原神社はこの地を本拠にしていた土師氏の氏神さんとして創建されました。

 

この土師氏は何度か説明しているように、朝廷の葬送儀礼を司る一族で、

 

実は土師氏は「四腹」という4つの支族からなるんだそうです。

 

つまりはこの「土師氏」というのが現代の名字のような一族を表すものではなく、

 

役職を意味するもの、ということになります。

 

そしてその4つの支族はそれぞれ本拠地としていたところがあり、

 

wikiによると和泉国百舌鳥、河内国志貴郡・丹生郡、大和国秋篠、そしてここ菅原です。

 

そのうち河内国志貴郡・丹生郡には土師氏里天満宮と呼ばれた道明寺天満宮があります。

 

また、この4つの地域には共通点として、周りに古墳や遺跡がたくさん見つかっています。

 

和泉国百舌鳥なんて、あの大仙陵古墳がありますからねハッ

 

そしてこの菅原を本拠にした土師氏出身である土師古人という方が、

 

桓武天皇様に順って平安京に移った折、自らの出身である「菅原」を名字とすることを願い出て、

 

受理された結果、菅原家の誕生となりましたキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

地元を、故郷を忘れないように、ということでしょうかね・・・

 

 

本殿は流造の拝殿接続型ですね。奈良県は春日造の社殿が多いのですが、

 

その例には倣っていないですね。

 

まぁどうしても春日造は拝殿と接続した形にするには少々難しいでしょうか??

 

0ではないですがね。佐太天神宮さんは春日造の接続型でしたし。

 

しかしこの神社、割と木壁より白壁がメインですね。囲いも白壁だし。

 

 

こちらの末社は3社あり、どれがどれかは具体的にわからなかったですが、

 

おそらく拝殿の右手にあった一番近くの末社、これが春彦神社ではないかと予想してます。

 

春彦はみなさんおなじみ、忠臣オブ忠心で我々大好きな度会春彦さんですラブラブ

 

他の神社では白太夫さんとして祀られていますね。

 

 

そしてこちらは消去法で左が厳島神社で、右が稲荷神社です。

 

おいなりさんは確定ですね。眷属さんおられますし。

 

しかしこの2社は本殿の建築様式がばらついてますね。

 

厳島さんの方は本社の本殿に合わせています。

 

もしかしたらこちらが白太夫社か・・・??

 

また本殿の裏手に回ってみるとまた見事に紅葉しているモミジが・・・紅葉紅葉紅葉

 

本当に真っ赤ですね。今年は紅葉が遅かったのもありますが、真っ只中といったところでしょうか。

 

寒い時期に紅葉って・・・時間のずれを感じさせますね。

 

そういや福島の蚕養國神社で春にもかかわらず紅葉していたモミジっぽいのがあったんですが、

 

そういう品種があるんでしょうかね紅葉

こちらも天満宮おなじみの筆塚があります。

 

筆塚は使い終わった筆を供養するために作られたものですが、

 

今も供養できるんでしょうか。

 

針供養はしてるところ見たことありますけどね。

 

元は天穂日命さまの神社でありますが、道真さんが祀られたことで牛像もあります。

 

道真さんのお家である菅原家の発祥の場所ということから道真さんの生誕地とも言われており、

 

「日本最古の天満宮」を称する一社でもありますキラキラ

 

他に同じく名乗っているのは南丹市の生身天満宮と山口の防府天満宮がありますが、

 

やはりそれぞれ「最古」に関しての根拠が違います。

 

生身天満宮は道真さんが生前のうちに祀られたということで生前創祀で「最古」

 

防府天満宮は道真さんの死後、1年後に神社として創建された没後創祀で「最古」

 

当社は天満宮としてではなく、式内社としての歴史もあって神社としての「最古」

 

とまぁこんな感じでしょうか笑い

 

もちろん一般的に見たら普通に天満宮ですので、絵馬はたくさん・・・

 

そういえばこの記事投稿した数日前に共通テストの日でしたね。

 

なんやねんそれって思ってましたが、元センター試験のことですね。

 

皆さんしっかりとベストを尽くしてくださいね・・・魂

 

社務所は友人で、普段から祈祷や守札などの授与品、御朱印が受けられます。

 

立地的にも住宅街の中にあるタイプの神社なのもあるかもですが、

 

私が参拝した時は近所の人っぽい人が一人お参りに来ていた程度で、

 

ほんとに人気がありません。歴史的にみると三大天満宮に引けを取らないんですがね魂

 

恒例の絵馬を受けてきました。社会人になっても日に勉強ですからねうずまき

 

下矢印それでは最後にこちらのHP載せておきますね。

 

あ と が き

 

 

という感じでいかがだったでしょうか。

 

菅原道真から取って菅原神社、菅原天満宮と名乗る天満宮は全国にたくさんありますが、

 

ここの歴史は折り紙付きです。是非とも皆さん一度は行ってみていただきたいです。

 

個人的にはHPにあった盆梅展というものがとても気になります。

 

写真で見るとめちゃくちゃキレイですキラキラ

 

再参拝は春先ですね・・・

 

そしてこの天満宮の紹介をもって、今回の菅公聖蹟二十五拝シリーズを終了させていただきます。

 

皆さん長いことお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

何度か投稿が遅かったり、挫折しようかと思いましたがどうにか走り切りましたが、

 

ここで思ったのは、毎日投稿してる人すげぇわ・・・魂

 

次回からは習慣に戻ります。引き続きよろしくお願いいたします。

 

では本日はこの辺で筆を置きたいと思いますzzz

 

ほんだらまた来週くるくるバイバイ