内神社(高野宮)、参拝してみた【暑い、暑くなれよ(嫌)】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんばんはー、わたしです。

 

やっとブログ書くモチベが上がってきてアプリ開いたら

 

なんか実績を獲得しましたってでてまして、

 

「今月のアクセス数が先月を超えました」って。

 

 

今月書いてないのになんで…!?

 

ってなってました。

 

なのでまぁそういう流れができてしまったので今回は書こうと思います。

 

さて、それでは本日の神社へ参りましょう。

  県社 内神社

 

神社鎮座地:島根県松江市大垣町

 

神社御祭神:和加布都主命、下照姫命

 

神社旧社格:国幣小社(延喜式)右矢印県社(明治)

 

神社御朱印:あり

 

ということで本日は島根県の内神社です。

 

出雲国秋鹿郡鎮座として『延喜式』神名帳に記載されている式内社であり、

 

『出雲国風土記』にも「宇智社」の名で記載されています。

 

宍道湖の北側の高地にあり、もともとはこの本宮山と呼ばれる峠の山頂にあったようですが、

 

いつぞやにかこちらに遷座しました。

 

山頂には本宮山城跡があり、築城にあたり遷座したという可能性もあるようです。

 

 

鳥居がありますが、どうもこちらが一の鳥居ではなく、

 

ホントの一の鳥居は最寄りである(めっちゃ遠い)一畑電車北松江線「高ノ宮駅」のそばにあります。

 

通称の「高野宮」はこの本宮山の元々の名前が高野山だったところから来ており、

 

駅名もここから取られているみたいですね。

 

御祭神の和加布都主命、下照姫命さまはどちらも大国主命さまの御子神であり、

 

下照姫命さまは宗像三女神の長女・多紀理比売命さまとの娘で、

 

和加布都主命さまは『出雲国風土記』に名前が出てきますが、母神はどなたか分からないようです。

 

どうも出雲国全体を巡行し、この地では猪狩をしたそうですね。

 

祭事表が左下にありますが、「古伝茣蓙替神事」というのが気になりますね。

 

茣蓙(ござ)といえばあの上から敷ける簡易な畳みたいなやつですが、

 

どこかにこれが敷かれているということでしょうか?

 

 

 

 

 

表参道には社務所とその向かいには土俵らしきものがあります。

 

そしてこの土俵の屋根裏に紙垂がついてます。

 

注連縄のものではなく大麻についてる紙垂に見えますね。

 

水は近づいたらか、ずっと流れてたか忘れましたが、

 

綺麗な水が流れています。

 

 

 

 

 

神門を潜ると両側に「随社」と書かれたお社が両側にあります。

 

これが随身門における随神さんにあたりますね。

 

 

こちらが拝殿ですお願い

 

神紋には「五三桐紋」があしらわれています。

 

この「五三桐紋」は元々皇室が使っていた「五七桐紋」を下賜された家が、

 

その家臣に与えていた家紋とされています。

 

松江藩主の中で雲州松平家が廃藩置県まで務めており、

 

松平家がこの家紋使ってたようなのですが、神社に与えたのでしょうか?

 

 

由緒書きにもありましたが、この神社は毛利氏の祈願所として隆盛し、

 

明治になるまで出雲国の神社の中でも「出雲・佐太・日御碕・内」の一つとして数えられるほど、

 

かなり強い社勢を誇っていたようです。

 

出雲地方は特に式内社や風土記所載社は一宮だった出雲大社、

 

または二宮の佐太神社の所管下にあることが多いのですが、

 

それらに属していないというのはかなりすごいことです。

 

明治の社格で県社と官国幣社に及ばずながら、その次に列していることからも窺えますね。

 

 

こちらが本殿です。この出雲地方でよく見られる大社造の建築様式です。

 

こちらの本殿はなんと出雲大社、佐太神社、神魂神社に続く、

 

4番目に大きな社殿なんだそうです。

 

先ほどの由緒書きににも当社が毛利藩の4つの祈願所の1つとして崇敬されていたこと、

 

そして出雲国の式内社の中でも多くの神社が一宮である出雲大社、

 

二宮である佐太神社のどちらの所管社に入っていないことから、

 

近代まで長らく社勢を維持してきたことが窺えます。

 

60年に1度のペースで式年造替を行う出雲大社、

 

ご祭神三座分の三棟の本殿を持ち、唯一の左側の入り口のある佐太神社、

 

最古の大社造本殿といわれている神魂神社に続くと考えると、

 

その凄さがわかるのではないでしょうか。

 

こちらは末社の美保神社です。

 

立札にご祭神も書かれており、事代主命さまの名前がありますので、

 

本宮は美保関の美保神社で間違いないでしょう。

 

ちなみに春日造や大社造などの妻入りの建築様式の見分け方としては、

 

まず入り口が中央か左右どちらかに偏っているか、

 

そして社殿全体の柱が9本か4本かで区別することができます。

 

 

 

本殿裏にはかつての社殿に乗っていたであろう千木や、

 

屋根の縁等が展示?されています。

 

 

 

本殿の右奥には鳥居と末社が立っており、

 

その左奥にはこちらの社日碑が立っています。

 

こちらは私の過去の記事では「地神塚」という名で紹介したものと同じで、

 

5角形の各面ごとに五柱の神名が書かれている塔となっています。

 

こちらは一年の暦で雑節のひとつである「社日」に対する慣習やなどを説いていた

 

「社日講」が建てたものとされており、

 

主には徳島県を中心に香川、岡山、兵庫の淡路島の神社で多く見られます。

 

出雲地方の神社ではここくらいでしか見かけませんでしたが、

 

なぜか山陰地方の神社ではごく稀にあります。

 

 

その隣には稲荷神社があります。

 

何より特徴的なのは社殿の横に眷属さんの陶器の置物がたくさん置かれている棚があります。

 

これはこれまでの参拝者たちが奉納していったものなのでしょうか?

 

先ほどの美保神社と内神社を反対側には蘆原神社があります。

 

恐らく本社は西郷町にある蘆原神社であり、

 

こちらは『出雲国風土記』記載の神社です。

 

そしてその蘆原神社の隣にはこちらの禁則地と書かれた立札が・・・

 

この社叢すべてのことでしょうか・・・??

 

内神社の境内横の駐車場にはこちらの合祀殿があります。

 

 

授与所があり、社頭にはお守りやお札があり神主さんがいらっしゃるようですが、

 

残念ながら参拝当時は神主さんが外出していると電話にてお返事いただきました。

 

ちなみに御朱印は「出雲高宮」の朱印に「高野宮」の墨書きとなっています。

 

 

  あ と が き

 

という感じでいかがだったでしょうか。

 

そういえばついにツイッターがなんか「X」という名前になり、

 

アプリアイコンも青い鳥が引退してしまいましたね。

 

なんというか、あの鳥のアイコンがながいことなじみがあるため、

 

Facebookの「f」の文字や、インスタのピンクのカメラアイコンに並んで、

 

「X」の文字になっても違和感が当分ぬぐえない気がしますね。

 

青い鳥さん落ち込まんといて・・・アセアセアセアセ

 

ということでまた皆さんが「X」のアイコンに慣れ始めたころにまたお会いしましょう。

 

それではまたくるくるバイバイバイバイバイバイ

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