↑のつづき。
さて、大将軍神社から日吉大社へと向かう。
緩やかな坂道を歩いていく。
小川のせせらぎの音って良いなぁ。
せせらぎは「細流」と書く。
水が浅瀬を小さい音を立てて流れることを、「せせらぐ」というのだそうな。
日吉大社と比叡山延暦寺が並んでいる。
まさに神仏習合。
私個人としては、神仏が重なったのではなく、元々同じものが世界に散らばり、時を経て形を変え、日本に集合した、いわゆる「同窓会」的な側面もあるのではないかなぁと思っている。
とりあえず進む。
日吉山王宮曼陀羅。
早尾地蔵堂。
『求法寺 走井堂(ぐほうじはしらいどう)』。
ご本尊の元三大師は、おみくじの生みの親なのだそうな。
元三大師は良源という名の天台宗のお坊さん。
第18代天台座主という、天台宗最高の位を与えられた。
昔々、元三大師が鬼の姿となり疫病神を退散した時の姿を写し取ったものが『角大師(つのだいし)』。
大宮川。
松の木とは凄いものだ。。
『走井祓殿社(はしりいはらえしゃ)』
御祭神は祓戸四神である、
瀬織津姫
速秋津姫
気吹戸主
速佐須良姫
大宮橋。
鳥居かと思ってしまった。。
かの有名な『山王鳥居』である。
なぜに山王鳥居がこの形状かと言うと、合掌した三角形部分の上を開くと「山」の字になり、下を開くと「王」の字になるためなのだそうな。
神仏習合の信仰の象徴というわけである。
日吉神馬。 上賀茂神社のような生きている馬ではない。
神の使い『神猿(まさる)』さん。
ずっと毛繕いしていた。
邪魔しては失礼なので、こっそり眺める。
すごいよマサルさん。
素晴らしく広い境内の為、参拝順路図はありがたいです。
牛頭天王が宿る。
橋殿橋。
圧倒的な自然の力により、決壊。
『西本宮』楼門。
苔むした自然ってステキでございます。
さて、順路に戻り、、
包丁塚。
その横には『竈殿社』
祭神 奥津彦神・奥津姫神
『宇佐宮』
御祭神:田心姫神
『宇佐若宮』
旧称 聖女
祭神 下照姫神
聖女が下照姫…そして宇佐の若宮。
これも頭の片隅にインプットである。
『白山姫神社』
旧称:客人宮
御祭神 菊理姫命
客人宮…
各地の白山姫関連の神社に菊理姫が祀られていることから、白山姫と同一視されているが、一方、宮下文書ではイザナミのことだとされている。
イザナギとイザナミは富士山中央高天原の日向高千穂峰、小室の「アタツ山」の穴宮に住まわれ、周辺の国々を統治したとされている。
日向、高千穂などの九州の地名は元々富士山にあったという事が言いたかったのだろうか。
富士山を中心としたホツマツタヱとも内容が重なる部分がある。
「アタツ」はカムアタツヒメ(コノハナサクヤ姫)にも繋がる。
高千穂にコノハナサクヤと言えば、『ニニギノミコト』。
私の今回の旅の裏テーマである。
また、宮下文書のイザナギイザナミには三柱の御子神がいた。
娘 大市姫(別名をオオヒルメ)
(のちの天照大神)
息子 月峯命と蛭子(ヒルコ)命
大市姫とはカムオオイチヒメだろう。
月峰命をツクヨミと同一視するかは、深掘りが必要な為に置いておいて…
オオヒルメが平地、ツキミネが山岳、ヒルコは海をそれぞれ任された。
ヒルコの特徴はまるでスサノオである。
ホツマツタヱの『ワカ姫ヒルコ』や海神の娘神、そしてスサノオとコノハナサクヤ姫。
繋がりは深そうだ。
霊丈石。
小白山社 祭神 大己貴命
八坂社 祭神 素盞嗚神
北野社 祭神 菅原道真
そして、
『剱宮社』
祭神 瓊々杵尊。。
恵毘須社
祭神 事代主神
エビス様=ヒルコと言われることは多い。
どちらも「蛭子」という字が用いられるので、当然と言えば当然である。
エビス様は、七福神の中でも日本の神とされていたり、渡来の神とされていたりとはっきりしない。
海神とも言われ、クジラを神格化した「勇魚(イサナ)」だとも。
イサナキイサナミにも「イサナ」が入っている。
…また脱線の方向に「誘(イザナ)われている」(笑)
ともかく、エビス社に祀られている『事代主』は、実はエビス信仰が始まるよりも昔から祀られていることは確かだと思う。
どちらも釣りをしているが、それならコノハナサクヤ姫の御子神である海幸彦山幸彦も注目されてしかるべきだ。
神話の面白さのひとつに、『習合された神や歴史』と『分離された神や歴史』を勝手に結んだり紐解いていく…ということが挙げられると思う。
『三宮遥拝所』
祭神 鴨玉依姫神荒魂
荒魂。。
『牛尾宮遥拝所』
祭神 大山咋神荒魂
荒魂。。。
摂社ひとつ取っても気になることが多すぎる。。
ここから日吉大社の奥宮である牛尾宮・三宮宮 へと続く道。
日吉大社の御神体「八王子山」。
時間の都合で登れなくて残念。。
山頂の巨大な磐座「金大巌(こがねおおいわ)」は、日吉大社創建より遥か昔からそこにあった。
『大山咋神』と妻神『鴨玉依姫神』。
その「荒魂」が祀られているというのはどういうことか。
「神を祀る」とは、「祟られないようにするため」に祀る…という側面もあるのだそうな。
ではなぜ「祟る」のか。
個人的には『大山咋神』は二柱いると思っている。
一柱は鴨玉依姫神の夫、
そしてもう一柱は「その夫婦神の御子神とされている」神様。
それは複数の丹塗矢伝承と「カモ」のキーワードで解けるはずである。
そして東元宮へ。
そこにはさらに衝撃的な出来事が待っていた。
それは、パンフレットにも載っていない一つの石碑である。
つづく。
ではまた❗
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