自信なんていらない
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(公認会計士試験合格者であり公認会計士有資格者である著者が解説)
自信なんて持たない方がいい。
自信を持つことは傲慢への第一歩だ。
そもそも自信とは自分をよく見せようとするものだ。
自信満々な人は頼りがいがあるように見えるし、
いきいきしているように見える。
人生を楽しんでいるように見える。
自信を持った人生はいかに素晴らしいのだろうと思うことは仕方の無いことなのかもしれない。
しかし自信というのはそもそもどこから湧いてくるのだろうか。
自分の過去の人生に比べて今は自信がありますなんて言葉は聞かない。
昔より自信を持って物事に取り組めることができますと語る人は、
それはあくまで何かの特定の物事に対しては自信を持っているだけであって、
自分自身すべてについて自信があるわけではない。
ではどこから自信は湧いてくるのか。
それは他人との比較の中で生まれてくるのだ。
自分が他の人よりも成功している、他の人よりも給料がいい、
他の人よりも家庭に恵まれている、
だいたいそんなところであろう。
自信がある。なぜなら○○さんよりも○○だからだ。
自信というのは、本当の自分、本来の自分がどうであれ
関係なく出てくる虚構ではないだろうか。
では自信を持たずにどうやって生きていけばいいのか。
このまま自信を持たずに生きていったって、劣等感にさいなまれ続けるだけではないかと君は考えるだろうか。
そんなときは自信の代わりに謙虚さを持つべきだ。
自信と謙虚さは対の関係にあると考えている。
謙虚とは本当の自分、本来の自分がどうであれ関係なく出てくる平穏な心である。
他人に褒められても他人に馬鹿にされてもそれらの言葉に耳を貸さず自分自身とのみ対話することができる賢い心である。
「私はまだまだです」「いや、私の方がまだまだです」という謙虚同士の言い争いは見てても平和である。
喧嘩や言い争いはすべてに謙虚さが失われている、心の貧しい者同士の戦いであり、とても見ていられるものでもない。
自己啓発本には「自信を持て」であるとか「こうすれば自信を持てる」であるとか書いているが
それらはすべて、人を傲慢にさせるだけである。
傲慢な人に謙虚な人はいない。
傲慢な人は皆、根拠無き小さき自信を持っている。
しかし、自信は「自分」を信じると書く。
皮肉なことに自分を信じることは大切だ。
他人と比較して落ち込んでいるときに自分を信じることで救われることがある。
むしろ自分を信じることでしか救われない。
つまり、自分を信じるという意味での本当の自信というものは、
未知の領域に挑むときは必要なものであると言える。
今までやったことがないことに挑戦するとき、自分を信じることができなければその一歩を進めることができない。
自信は未知の領域には必要不可欠であるが、
自信は既知・既存の領域においては不必要ということにはならないだろうか。
同じ組織で働くことに慣れ、根拠なき小さな自信で語ってくる上司がいれば
ふんぞり返った足元を蹴り上げ、転ばしてしまえばいい。
自信は何も守ってくれないということを思い知らせてやればいい。
今こそ、不必要な自信を捨て去り、必要な自信と謙虚さを選択せよ。
今こそ、心の断捨離をすべきときだ。
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