こんにちは。

 

気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴22年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。おねがい

 

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私のオーストラリアの人生経験、国際結婚、DV、国際離婚、裁判、鬱、カウンセリング...人生最大の激動の頃についてはコチラからどうぞ

 

夕焼けが反射する、ブロードビーチに建設中のホリデーアパートメント。カジノが後ろにある。

 

 

 


 

今日のお客様は9年間の常連のお客様で、近年は腕と肩、そして腰の疲労が目立つ。

 

 

数年前に初孫が生まれて、とにかくお孫さんが可愛くてしょうがないようで、抱っこしたり、新しく生まれた二人目の孫にミルクを与えたりと、週に1~2回、ベビーシッターをしているからだ。👶

 

 

猫かわいがりっていうのはこういう事を言うのかな、って思う程目に入れても痛くないご様子。(でも、私より遥かにお若いので、「お祖母ちゃん」とは呼ばせていない(笑))

 

 

その一人目のお孫さんは今2歳半なので、『今現在の記憶は、もしかしたら記憶されないかも知れない』という話から、自分の幼児期の話になった。

 

 

 

私:「子供の頃の思い出で、一番昔の思い出って何歳でした?」

 

 

 

お客様も私も、一番昔の思い出は三歳だった。

 

 

やはり、人間の記憶は三歳頃から鮮明に残っていくらしい。

 

 

 

 

私の三歳の思い出は、幼稚園の頃。

 

 

私の両親は共稼ぎだったので、ウィークデーは朝に幼稚園に行き、幼稚園が終った後に幼稚園が経営している保育園で夕方まで預かって貰う。

 

 

そして、土曜日は朝から保育園で過ごしていた。

 

 

この幼稚園はカトリック教会が経営していて、保育園も赤ちゃんから預かっていた。

 

 

三歳から幼稚園に入る子供はそんなに多くなかったようで、三歳クラスは一つだけだったと思う。

 

 

私はチューリップ組だった。

 

 

四歳になるとクラスが増えていき、私はさくら組。

 

 

そして、五歳の時はきく組。(何気に覚えているな~)

 

 

 

その三歳の時の幼稚園での思い出で鮮明に残っているのが、

 

 

『廊下に出されてギャン泣きしていたえーんえーんえーん

 

 

事。あせるあせる

 

 

理由は覚えていないのだけど、先生の言う事を聞かなくてクラス内でぐずり、他の園児の影響を考えたのだろう。



先生が私を廊下に連れ出し、言い聞かせようとしていたのだろうが、私はとにかく腹の底から声を出して泣いていた。

 

 

そのチューリップ組の前の廊下でのギャン泣きシーンだけは、何故か鮮明に覚えている。

 

 

 

その後、四歳でさくら組になった頃から記憶が増えだして、五歳のきく組になった時に、

 

 

(きく組よりゆり組の方が花が綺麗でいいなーえー

 

 

と思っていた事や、2歳年下の弟と手を繋いで、二人で幼稚園に通っていた事などを覚えている。(幼稚園まで子供二人で歩いて通っていた。今の世では考えられない。)

 

 

 

 

さて、六歳になって小学校に上がり、2年生までは学校が終わると、教会が経営していた学童保育に行っていた。

 

 

ある日、何の用事だったのか知らないが、母が私を連れて幼稚園の園舎へ行った事があった。



記憶が結構鮮明なので、小学校2年生位だと思う。

 

 

小学校でいう、いわゆる教員室へ出向いた時、ある先生が私を見て、

 

 

先生:「あっら〜!あの桔梗ちゃん?まあ、大きくなって〜。」

 


 

と言った。

 


 

私:「コンチニハ」

 

 

と一応挨拶を返したのだが、

 


 

(誰だ?この先生、アタシ知らない...)

 

 

と、心の中で思っていた。

 

 

 

幼稚園には3年間いたケド、担任の先生以外の記憶は無かった。

 

 

幼稚園を出て、母に聞いた。

 

 

私:「あの先生だれ?アタシ知らないのに、何でアタシの事知ってるの?」

 

母:「そりゃああなた、幼稚園では有名だったもん。泣き声が園中に響き渡って、『あー、また桔梗ちゃんが泣いてる〜』ってわかる位だったらしいから、桔梗の事知らない先生はいなかったと思うわよ。よく先生に指摘されて、母さん恥ずかしかったわよ。」

 

 

 

(でぇ〜〜〜〜っ!ガーンガーンガーン

 

 

 

記憶にあるギャン泣きは一回だと思っていたが、どうやら何回もやってたらしい汗汗汗

 

 

メッチャ恥ずかしい。😓😓😓

 

 

 

 

我が娘アリスには、2歳の記憶が残っている。(3歳まであとちょっとだった)

 

 

日本に一緒に行った時、たまたま私の高校のバレーボール部の顧問だった先生のお祝いがあって、それに参加している間、母が温泉好きのアリスを連れて温泉に行ってくれた。

 

 

ところが、その温泉の露天風呂で、アリスはアブに刺されて大泣きしたらしい。

 

 

母はめっちゃ私に謝って来た。

 

 

私:「しょうがないじゃん。大丈夫だよ、アブに刺されたぐらい。別に今は何ともないじゃん。」

 


母:「アリスが温泉嫌いになったらどうしよう!叫び叫び叫び

 

 

私:「それは無いと思う😅」

 

 

 

そう、母の取り越し苦労であった。

 

 

今でもアリスは温泉大好きだ。♨️

 

 

でも、この温泉でアブに刺された事は今でも覚えている。

 

 

 

何かしら強烈なインパクトがあれば、脳はしっかりと記憶してくれるのだと思う。

 

 

 

 

私の場合、それは幼稚園でのギャン泣きであったえーんえーんえーん

 

 

 

 

 

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