こんにちは。
気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴22年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。
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ブロードビーチで。夏の装い。
先週末、頭痛と吐き気に襲われて寝込んでいたが、すっかり回復した。
先々週末に泣きまくって目を腫らした次の週に頭痛と吐き気はついていない。
https://ameblo.jp/reikoecoguide/entry-12775839032.html
やっとゴールドコーストも夏の気配が漂い始め、3~4週間開花が遅れたジャカランダも散って緑の葉が枝に広がっている。通年、11月初めに咲き始める赤いポンチアーノの花がここに来てやっと咲き始めた。
ポンチアーノ大木である。原産は南米。
こっちがジャカランダやはり南米原産。
...と思ったら、今朝またいきなり気温が下がった。
(めっちゃ寒い~ 今日から暦の上では夏やのに。)
今週は風が強いのだけど、その風にプラス雨で今日は更に寒かった。一昨日から降り始めた雨が、今日も断続的に降り続いている。
とはいえ、日本に比べたらまだまだ暖かいゴールドコーストではあるのだが。
思い起こしてみれば、1991年の9月に再渡豪してから今年で32回目の夏のクリスマスを迎える。(どーりでクリスマス=夏が染み付いてしまったわけだ)
日本にいた頃は『北=寒い』だったのだが、オーストラリアに来てからは『南=寒い』が当たり前になってしまった。
南風が冷たくて(南極から吹いてくるから)北風が暖かい。そして、東から昇ったお日様は北から陽射しを照り付ける。そう、日中の影は南を向くのだ。そして日は西に沈む。(決して日は西からは昇らないのであーる。😁)
通年、クリスマスが近づくにつれ日に日に暑くなるだけど、今年は暑かった日が数えるほどしかない。
そういえば、前回10月に日本にいた時にアリスとビデオチャットしていて、娘アリスが、
アリス:「It’s bloody hot today!(今日は死ぬほど暑い!)」
って言ってた気がするのだけど、オーストラリアに戻って来てからはどちらかと言うと涼しく、時に寒さを感じる気候だった。
と、ここまで書いて寝落ちした😴。昨日、思考回路がギンギンで眠れなかったつけが一気に来たのだと思う。そして、起きたらなんと!日本がスペインに勝利して決勝トーナメント行きを決めていた(WOW)。オーストラリアも二度目の決勝トーナメント行きを決めたので、私にとってはメッチャ嬉しいニュースである。
ここから昨日の続き。
今から15年程前にメチャメチャ冷夏だった事があって、花火の打ち上げが中止になるくらい雨交じりの風が強くて寒い真夏のニューイヤーがあったのだけど、確かその時もラ・ニーニャだったような気がする。当時は観光ドライバーガイドをしてたので、そういう情報に詳しかった。(お客様との会話の為)
今年のニューイヤーもそんな風になりそうな予感がする。
さてそんな中、再び渡日する。
母が亡くなったのが4月。
思い起こせば、今回で今年6回目の渡日である。
前回から、渡日の目的が叔父夫婦にシフトした。
理由は、父が叔父夫婦に送った手紙である。
詳しくはコチラ
https://ameblo.jp/reikoecoguide/entry-12772079996.html
https://ameblo.jp/reikoecoguide/entry-12774093222.html
祖母が亡くなるまでの約6年間、CC県に住んでいた叔父夫婦が祖父母が建てた家に移り住んで在宅介護をしていた。(父の弟夫婦)
そのままCC県に帰らず、叔父夫婦は実家と仏壇を守っていたのだが、何を思ったのか父は今になって突然、
「俺の名義になっている家を、子供達に負担をかけさせないために死ぬ前に処分を考えている。」
「子供のいないお前達は、これからの身の置き方をしかるべき人間に頼んでおくように助言をしておく。」
などという内容の手紙を叔父夫婦に送った。
祖母が亡くなった直後ならともかく14年以上もたった今、叔母の介助が無いと自力でトイレにも行けない89歳の叔父と、87歳の叔母に対していきなりである。
私:「叔父さん達、CC県の家を売っちゃってるから行く所が無いんだよ。」
父:「施設にでも行けばいい。」(んな簡単に見つかるかい😠)
子供のいない弟夫婦を気遣う言葉など何もない。
まあ父に関しては、生まれつき人の気持ちを推し量れない発達障害があるから、『気遣い』という言葉は父の辞書には存在しているだろうが、どんなことをするのが『気遣い』なのかは知らないのである。
祖母も『気遣い』の出来る人では無かったから、父に教えていなかったのは明白。(今でいうモラハラ義母。母は苦労している😢)
そんな父は、母の言う事には耳も傾けず、蔑みの言葉のみを発し、母が亡くなった後に私が電話を掛けた時も母を気遣った言葉は一切無かった。
なので、自分の実の弟夫婦を心から気遣うことなんて、父にはどう転んでも出来やしないのである。
運が良い事に叔父夫婦は『気遣い』の出来るご夫婦なので、叔父夫婦を気遣ってくれる方々に囲まれている。
父は、「自分の身に何かあったら子供達に面倒を見てもらう」と叔父に送った手紙に書いてあったが、子供二人以外に父を気遣ってくれる人はこの世にいないことに気付いていない。
私は現在実家出禁だから、出入り出来ないし実家の掃除にも行けない。(実はかえってありがたかったりする😅)
子供に面倒を見てもらいたかったら、「面倒を見てあげたい」と子供に思わせるような人間になるのが前提だと私は思う。
叔父夫婦を見ていると、子供がいなくても訪問者が後を絶たない、私の近所に住んでいるイタリア人の老夫婦を思い出す。(めっちゃ良い夫婦)
介護施設を探している途中だが、おかげ様でケアマネさんや親戚の方々には大変お世話になっている。連絡も頂けるので本当にありがたい。
今回は、『いざ急に引っ越し!』の為に荷物整理をして、不要物の振り分けをする。
他にもやる事が一杯。
けれど、子供のいない叔父夫婦のことを亡くなった母は一番心配していた。
頑張るから安心してねお母さん。😉
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