こんにちは。
気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。
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山の上のカフェにもヒーターが入るような気候になった。季節は秋🍂
痛ましい事件の記事を読んだ。
ASD(自閉症スペクトラム)という発達障害の長男を含む3人の子供、自らも双極性障害(そううつ病)を抱えてのワンオペ状態の子育てで極限状態に陥って長男を殺してしまった母親の記事だ。
彼女の夫、家族、知人の誰も彼女の心の病を気遣えていなかった。それが私の心をえぐり、自分がうつを抱えていた頃を思い出させた。😢😢
1999年の年末に私の結婚生活が破綻し、うつ症状に加えて摂食障害を起こして、抗うつ剤のお世話にならなければ食事も摂れないような状態だったことは以前のブログに記している。
とにかく私はカウンセラー、公共の支援施設や弁護士、そして友人にも助けられた。
別居して新しい仕事場に受け入れてもらい新しい生活を始めたのだけど、ただ一つ当時の仲間や上司にも話していなかったことがある。それは、私が抗うつ薬を服用しなければならないくらい精神的に追い込まれていたことだ。
しかし、仕事中にそれが顔に出てクレームになったことがあり、精神的にいっぱいいっぱいだった私はボロボロ流れ出る涙を抑えることが出来なかった😢。恐らく、当時のボス達はギョッ😨としただろう。けれど、それを機に一週間休みを欲しいと申し出ると、私の精神状態を詳しく理解はしていなかったであろうけど、ボス達は気遣って休みを下さった。
娘とプチ旅行を楽しんで、一方でカウンセリングを受けて何とかその時は乗り切ったけれど、あの時ボス達の気遣いが無かったら私はどうなっていたか……。もしかしたら私は壊れてしまっていたかもしれない😱。それくらい、うつ病は他人の理解を得られないと危ない病気であることは確かだ。
私の何よりの心の支えはカウンセラーの理解だった。少なくとも世界に一人、私の心を理解してくれる人がいる。これだけでも救われた。
カウンセラーでなくとも、似たような経験をして苦難を乗り越えて来た人と話をしてもいいと思う。
(私は一人ぼっちじゃない🥲)
こう思える話し相手がたった一人いるだけでも、闇の中で不安で孤立している人にとっては命の支えになる。
私はこうやって自分のうつ病に向き合い、何とか危険な状態から脱出したが、それでも丸々2年は抗うつ剤💊のお世話になった。
今でもストレスに晒されると当時のような感覚に襲われることがあるが、そんな時はもうすかさず気分転換をする。今はドライブに出かけたり、アリスとカフェに行って話しこんだり、こうやってブログを書くことも私自身のカウンセリングになっている。
カウンセリングで学んだことは、精神的な病気に対して無知な人々の言葉のナイフ攻撃にも対処できるように私を強くしてくれた。
私はこれまでに二回、うつ病に対する偏見の意見に正面から向かい合ったことがある。一人目はオーストラリア人の知人、そしてもう一人は私の父だ。双方とも私の前でこう言い切った。
「うつになるのは心が弱いから。」
私の母は父と別居する以前からもう『カサンドラ症候群』の症状があった。
『カサンドラ症候群とは、パートナーや家族など身近な人に自閉スペクトラム症(ASD)があり、コミュニケーションがうまくいかず、またその困難さが周囲に理解されないことによって、身体や精神面に不調が現れている状態のことです。』
引用:
で、そのカサンドラ症候群の症状の一つにうつ病がある。
父のモラハラによってうつ病の症状が出ていた母のことを私が指摘した時、父はこう言い放った。
父:「うつっていうのは、心が弱い人間がなるもんだ。俺は心が弱くないからうつになんかならない。」(偉っそうに、無知丸出しやんか……)
私:「お父さん、悪いけど〜、アタシOO(DV元夫)と別れた時うつになったんよ。2年以上抗うつ剤飲んで、回復するのに3年かかった。お父さんアタシのこと心の弱い人間やと思う?」
父:「……。」
私:「それにね、実際にはうつは心の弱い人やなくて、人一倍責任感が強い人がなり易いんよ。お父さんみたいに何でも人に責任転嫁するような、自己中で人の気持ちを察することが出来ない人間は、そもそもうつにはならへん!覚えといた方がええよ。」
私は、父が生まれつき人の心を察することが出来ないASD系発達障害かパーソナリティ症であろうと気付いていた。私のDV元夫がパーソナリティ症と診断された時から本を読んで情報収集をしていたし、父の行動や言動には、このDV元夫とガチ重なる部分が多かったからだ。
ASD(Autism spectrum disorder)=自閉スペクトラム症
詰まり、母の精神的不安定は、父の問題性格(モラハラ)のために夫婦としてのコミュニケーションが取れず、それを周囲に理解されなかったために起きていたのである。心が弱いどころか、何とかして問題解決をしようと、責任感の強い母がたった一人で悩んでいた結果だったのだ。
当然ではあるが、私が子供のとき、そして結婚以前の20代前半の頃までは、私も母の気持ちを全く理解出来ていなかった。(ごめんね母さん😢)
その私が、何時間も電話で母の愚痴を聞いてあげられるようになったのも、父に電話を入れる度に父の行動や言動を諫めて母に感謝をするように言い続けられるようになったのも、DV元夫との結婚生活を経験して母の心の葛藤を理解出来るようになったからだ。
別居はしたものの離婚に踏み切れないでいたモラハラ被害者の母は、とにかく自分の心の内を理解して貰いたかったのである。
弟のホオズキは、「電話で母から何時間も父の愚痴を聞かされるこっちの身も考えて欲しい。😠」とメールに記していた。しかし父に電話を入れて、その言動や行為を諫めて母を労わるように諭すことはしていない……というか、電話さえ入れていなかった(とは、父談)。
私とアリスが日本を訪れた際、精神科に一緒に行って精神科医や臨床心理士と30分面談した結果父を再検査してもらうことになり、私達がオーストラリアに戻った後、父と母は二人でカウンセリングを受けていた。
母は結婚直後から祖母と父からモラハラを受けていて常に自分を責め続けていたのだが、精神科で父の発達障害が判明した時、母は本当に救われたのだそうだ。
(私が悪いわけじゃなかったんだ)
そうやって父の診断を仰いだことを、ホオズキは父が母に50年以上してきたモラハラの『仕返し』だと決めつけた😡(メールに書いていた証拠有)。カサンドラ症候群の母の心を全く理解していない発言であるが、それでいてイラクサは「母の一番の理解者はホオズキです。」と断言する。その根拠は一体どこから来ているのだろう?(母の言葉ではあらへんし……不思議🤔)
その後、超熟年離婚を決めた母だが、ホオズキとイラクサはモラハラ父側に付いて離婚を阻止しようとした。精神的に傷付いているモラハラ被害者の、母の心に更にナイフを突き刺すような行為だったと、同じくDV被害者である私は思っている。
心の病いは、周りの人間の病いに対する無知が病いを悪化させることもあるし、最悪の場合、自殺に追い込むことだってある。その時になって「だって知らなかったし……😰」では済まない。
精神的病いに悩んでいる皆さん。そんな無知な人々の言うことに傷ついて落ち込んでいたら、人生をメチャメチャにされてしまう。それこそこの世で最も恐ろしい『無知の病』に伝染してしまう(これはマジ恐ろしい😱)。
精神的病いは恥じることじゃない。がんや心疾患などの病いと何ら変わらない。
要は、自分の病気を知り病気を理解して、助けてくれる人の言葉を信じ、『無知な人々の言葉は無視すること』を学べばいい。
先ず、理解者の助けを得ながら事実に真摯に向き合う。事実を知り理解して、解決の道を自分で探る。助けを得ることは恥でも何でもない。助けに素直に感謝することで、人間同士の強い信頼関係を学ぶことが出来る。
そして、その学びが人生の幸せだと思える日が必ずやって来るはずだ。
私や母がそうだったように。