こんにちは。
気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ
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私のオーストラリアの人生経験、国際結婚、DV、国際離婚、裁判、鬱、カウンセリング……人生最大の激動の頃についてはコチラからどうぞ
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夏の空に綺麗に映えるピンクのプリメリア
クリスマスから年始にかけて、ゆっくり休んだのはクリスマスとその次の日のボクシングデー。この二日間は本当に何もしなかった。
27日、28日、29日の三日間と1月4日と5日の二日間の合計5日間はDIY。
昨年の元旦に崩れたドライブウェイの修理に費やした。
(この話はまた今度)
そして6日の月曜日から本業のマッサージの本格始動。
(シ、シンドイ……😵💫)
月、火、水、木の4日間でもう既に20時間を超えるマッサージ。
今週は日曜日に長距離出張マッサージが入っているので、このままいくと30時間を軽く超えてしまう。
肉体労働で土日を費やした、61歳の身体にはめっちゃキツイ
なので、今日は家に帰ってバタンキュー。
アリスが身体に優しい蕎麦を作ってくれたので、それを食べたらそのまま眠りに落ちた。
そして夢を見た。
それは、古い、昭和の時代のようなシーンだった。
古い家の二階に私は間借りしていて、下には大家であり飲食店のオーナーのママさんが住んでおり、私はママさんの店で働いていた。
ある日、ママさんが私にこう言った。
「ここあげる」
「え?」
「ここあげるから。好きに使っていいから。」
さすが夢なので話が唐突だが、ママさんはとても疲れていてリタイアしたかったのだ。
ということで、私はママさんとの共同生活になった。
或る夜、一緒にお出かけをする事に。
自分の準備を整えて一階の部屋に向かった。
「準備できた?」
「これでどうかな?」
部屋の中でそう言って両手を広げて姿を見せてくれたのは……母だった。
「それじゃちょっと寒いかも」
私はグレーのニットの上着を母に着せた。
とても小さな身体だった。
「うん、いいね。似合うよ。」
「そう?」
「お母さん」
そう言って母を抱きしめたところで夢から覚めた。
でも、母を抱きしめたその感触はそのまま残っていた。
それは、母が亡くなってから初めて会いにきてくれた時と同じだった。
母が亡くなったのが2022年の4月。翌2023年の11月に叔父が亡くなり、昨年の11月に一周忌を済ませた。
その直後に実家を訪ねた私は、父が実家に住んでいないことを知った。
妹は私に何も知らせず、父を実家から連れ出していたのだ。
そして、
「父が知られたくないと言っているので。」
と、居所も知らせない。
完全な『高齢親の囲い込み』をされ、私は電話で父の声を聞くことも出来なくなった。
最後に父に会ったのは2023年の叔父の葬儀の日。
父は血行が良くない状態で、足もよたよたしていた。
2023年の3月に入院してから足が弱くなったのだ。
介護認定も貰っていたのに、妹は父にヘルパーも付けていなかった。
2024年の8月に転んで足を怪我したという。
妹は2023年の入院の件も、2024年の8月に転んだ件も私に隠し、私が叔父の一周忌で日本に来ることを知っていながら父を私に会わせずに隠してしまった。
『類は友を呼ぶ』
という言葉がある。
結局、父と弟と妹は似たもの同士なのだ。
自分が正しいと信じ、自分の意にそぐわない人間を家族だろうが何だろうが貶して遠ざける。
DV家族の肖像だ。
弟妹には家族の情も失せた。
心が疲れていた。
だから、それを見て母は逢いに来てくれたのだと思った。
母が亡くなった直後に夢で逢いに来てくれて、それ以来2年振りだ。
「お母さん……ありがとう」
夢から覚めた後、私はひとしきり泣いた。
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