横綱白鵬(はくほう)が打ち立てた数々の記録を抜く力士は、今後簡単には生まれてこないかもしれません。 幕内での1093勝という記録一つとっても、年間6場所、全90日間すべてに勝利しても、12年以上かかるのですから。
気が遠くなるような数字で、白鵬のすごさが分かります。
それでも横綱になってからの白鵬は、少しずつ変貌してきました。
2015年の初場所に、横綱大鵬(たいほう)の記録を抜く33回目の優勝を果たしますが、千秋楽翌日の一夜明け会見には凍りつきました。
いきなり審判批判を始めたのです。13日目の稀勢の里戦(きせのさと)戦で物言いがついたことについて「子どもでも(自分が勝ったと)わかる相撲。審判はもっと緊張感をもってやってもらいたい」と言い始めました。
朝方まで飲んでいて会見に遅れ、ろれつが回らない状態での審判批判には唖然としました。
2017年九州場所11日目でも驚かされました。嘉風(よしかぜ)と対戦し、白鵬が一瞬立ち遅れました。一気に寄りきられ、負けとなった判定を不服として、土俵下から執拗に抗議を続けました。
審判も人間、誤った判定が出ることだってあります。しかしこのときは、「待ったなし」と行司が声をかけ、すでに軍配がかえり、立ち合いは成立していたのです。信じがたい行動でした。
人の意見を素直に聞き、成長してきた力士の面影を、そこに見ることはできませんでした。
全勝優勝を遂げ、最後の場所となった名古屋場所のさなか、自分はこのブログで、張り手、かち上げやり放題の危険な相撲を批判した「白鵬関へ」という文章を書きました。
その中で力士生命を脅かし、怨念しか生まず、相撲を荒廃させる取り口は、横綱として考え直してほしいと進言しました。それは指導者になろうとしている現在も、変わりません。
あとを継ぐ力士たちは、横綱白鵬の成長時代の努力から学ぶことは大いに学ぶと同時に、負の遺産には決然と向かっていってほしい。切に願っています。
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