6月19日は「元号の日」です。
645年(大化元年)のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子(後の天智天皇)が、日本初の元号「大化(たいか)」を制定します。
(日本初の元号「大化」)
飛鳥時代の645年、乙巳の変で蘇我氏本家を滅亡させ孝徳天皇が即位すると、
その年の6月19日にこの年を大化元年と定めます。
これが現在の「令和」に続く日本の年号のスタートです。
日本初の年号となる645年の「大化」以後、今まで1400年近く年号が続いています。
最初の年号の「大化」は、5年後の650年(大化6年)2月15日に「白雉(はくち・びゃくち・しらきぎす)」に改元されます、
改元の理由は、孝徳天皇が崩御したわけでも譲位したわけでもありません。
穴戸国(あなとのくに、後の長門の国)から朝廷に白雉(しろきぎす、白いキジ)が
献上されたことによります。
明治以前は、このような理由で簡単に年号が変更になっていました。
(昔は頻繁に年号を変えていた時期も・・)
かつて年号は、彗星が接近したら不吉なので改元するとか、戦乱が長引くから気分一新で改元するとかいう理由や、また災害や戦乱などが起きるとそれを払しょくするために変えていました。1年に数回年号が変わったこともあります。
(年号豆知識)
現在の年号は令和です。これは初代の「大化」から数えると何番目になるでしょうか?
ご存じのように日本では室町時代初期の1336年から1392年までの57年間は南北朝時代で、それぞれ南朝・北朝とも別々の天皇を立て別々の年号を使用していました。
そこで、 南北朝時代の2つの年号を合算して数えと、「令和」までで248個になります。
そのうち 1番長い年号は「昭和」で62年14日。
逆に1番短いのは、鎌倉時代に1238年末から翌39年に使用された歴仁(りゃくにん)で74日。
なお、年をまたがないで、その年のうちに改元された最短の元号は、天平感宝(てんぴょう かんぽう)で奈良時代の749年4月14日から7月2日までです。
また、その地域で独自にできた私年号もあります。
幕末に奥羽越列藩同盟が使用した「大政」という私年号があります。
1869年の旧暦6月から9月あたりまで、一部地域で使用されたと思われています。
【奥羽越列藩同盟の東武天皇擁立について書いたブログはココです】
(一世一元の詔)
江戸時代までは、色んな理由で年号が変わっていましたが、それではあまりに軽すぎるということで1869年(慶応4年)9月8日を「明治元年」とし、同時に、天皇一代につき元号も一つにするという「一世一元の詔(いっせい いちげんの みことのり)」が
発せられました。
これは「天皇が即位して崩御するまで間、つまり天皇の一代の時は、元号は1つだけにする」という決まりです。
以後、明治、大正、昭和、平成、令和と1つの時代に1人の天皇となっています。
【乙巳の変について書いたブログはココ】
・・ということで
日本最初の元号で現在の「令和」の起源となった
「大化」は645年6月19日に制定されました。