壇ノ浦決戦を前に
源範頼・義経が戦勝祈願のために訪れた神社を
参拝してきました。
(壇ノ浦を前に源氏の勝利を祈願)
源平合戦の最終章・壇ノ浦の戦い。
1185年3月に行われたこの合戦を前に、鎌倉方の大将であった源範頼と副将の源義経の兄弟が参詣し、重藤弓と鏑矢を奉献して戦いの必勝を祈願した神社があります。
関門海峡・壇ノ浦の九州側、福岡県北九州市門司区にある甲宗八幡宮です。
この神社は平安時代の860年に創建されています。
【壇ノ浦の戦いに関しては下をクリックしてどうぞ】
壇ノ浦の合戦の壁画があります。
そして戦いに勝利した後には、その御礼として範頼・義経が社殿を新たに造営した、
との記録が社伝に残っています。
(平知盛の墓)
また、境内には壇ノ浦で敗れた側の平知盛のものと伝えられる墓があります。
平知盛は平清盛の四男で、8歳の時に五位、26歳で三位になり31歳には従二位権中納言になるなど平家政権の重鎮であり「新中納言知盛卿」として知られています。
1185年3月24日、源平両軍の最後決戦の壇ノ浦の合戦で敗れ、鎧二領を身に纏ったまま入水自殺をします。34歳でした。
知盛の遺体は門司側に漂着し、地元の人が壇ノ浦を見渡せる筆立山に葬ったそうです。しかし、1958年(昭和28年)の九州大水害で流出したため、ここ甲宗八幡宮に移されました。
(源氏の子孫・足利尊氏も戦勝祈願)
また1336年には源氏の血を引く足利尊氏が京都での合戦に敗れたあと九州で立直し、
再上洛を目指す途中、船上からこの甲宗八幡宮を拝み、戦勝を祈願しています。
【甲宗八幡宮公式HP】
<<甲宗八幡宮への行き方>>
JR門司港駅から徒歩約15分
西鉄バス停留所「甲宗八幡宮前」下車徒歩すぐ
無料駐車場有り
住所:福岡県北九州市門司区旧門司1丁目7-18