「解説」
最後の「とかく敵に先をさせて勝也」の一語に、柳生新陰流の一つの核心がうかが
われる。宮本武蔵はその「五輪書」において「いつにても我方よりかかる事にはあ
らざるものなれども、同じくは我方よりかかりて敵をまはし度事也」といい、ま
た示現流流祖の東郷重位は「そもそも意地と打とは、斯道の精神にして、防守を
避け、攻略を主とし、煩瑣譎巧をしりぞけ、神速果断を尚ぶ」(野太刀示現流教
程)と述べている。こうした「攻撃こそ最良の防禦」という考え方のほうが、闘争の
哲学としては一般的なものであった。これらのなかにあって、柳生新陰流のみが
「受けて立つ」横綱相撲のような姿勢を堅持しているのである。
最後の「とかく敵に先をさせて勝也」の一語に、柳生新陰流の一つの核心がうかが
われる。宮本武蔵はその「五輪書」において「いつにても我方よりかかる事にはあ
らざるものなれども、同じくは我方よりかかりて敵をまはし度事也」といい、ま
た示現流流祖の東郷重位は「そもそも意地と打とは、斯道の精神にして、防守を
避け、攻略を主とし、煩瑣譎巧をしりぞけ、神速果断を尚ぶ」(野太刀示現流教
程)と述べている。こうした「攻撃こそ最良の防禦」という考え方のほうが、闘争の
哲学としては一般的なものであった。これらのなかにあって、柳生新陰流のみが
「受けて立つ」横綱相撲のような姿勢を堅持しているのである。