25. 高知にいます!

 高知坐神社。

「たかちにます」もしくは「たかちにいます」と読むらしいです。
でも、地元の人の中には「たかちざ」と呼ぶ人もいます。
呼び方いろいろ、なんてことだ 笑
字面も呼び方も気になります。
これは、行ってみなければ。




いつものように、下調べ無しで出発。
そして、いつものように迷います。
車でウロウロしていると、第一町人発見。
説明上手なおじさんだったので、すんなり到着できました。



なかなかの佇まいの入り口には、石に彫られた長い長い説明が。
とにかく、古い神社のようです。
創祀が第十代の崇神天皇の頃だと書いてあります。
3世紀後半、もう神話の世界ですよね。
ヤマトタケルよりも前なんですから。
神社ってそういうものだろ、ってツッコミが聞こえそう。



40段(目測)ほどある階段は、思ったより登りやすい優しめの階段。
登り切ると、ちょっと広い空間と、高知坐神社が御坐しまする。

本殿は素朴な雰囲気なのですが、漂う空気感は古い神社のもの(個人的見解)。
樹齢400年のイチイガシをはじめ、大きな木に囲まれた空間は静謐です。



怖さはないのですが、畏れというのかしら。
神隠しとか天狗とか、神秘的な想像してしまうような雰囲気でした。




階段を降りて、神社前の空き地で焚き火をしている2・3人の中から第二町人に声をかけてみました。
「それでは、ご説明しましょうか」
と、神社や近くの古墳について丁寧に教えてくれたその方は、高知坐神社の宮司さんでした!
なんとなんと。大当たりじゃないですか。



大和朝廷ができる前、この地方は『波多国』(はたこく)だったのだそうです。
高知の中央部の『都佐国』(とさこく)とは、別の文化が育ったようなのです。







波多国の中心は、神社のある宿毛市平田(すくもしひらた)。
(昔は、枚田と記していたらしい)
国造主として天韓襲命(アメノカオスノミコト)さんが派遣されてきたのだとか。

今でいうと、県知事さんみたいなものでしょうか。



そして、多分この方のお墓だったのではないかといわれるのが曽我山古墳だそうです。
神社の北西にあります。
高知県で唯一の前方後円墳だといわれていますが、今は消滅しています。
あー惜しいことを。



昭和50年代から作られはじめた工業団地の建設中に出土した、高岡山古墳という円墳もあるそうです。
どうやら、こちらの方が古いようです。
こちらは、首飾りなどが出ているので女の人のものではないかということらしいです。
卑弥呼のようなシャーマンだったといわれているようです。
こっちも残念ながら、残ってない。



高知坐神社、曽我山古墳、高岡山古墳でトライアングルができると、前の宮司さんがおっしゃってたらしいです。
トライアングルとか聞くと、ときめきます~。
トライアングルの中心にお宝が・・・そんな伝説はないんですかね?





ところで、高知県民はみんな『土佐弁』を使う、と思ってる方もたくさんいると思います。
実は、もう一つ言葉があるんです。
高知県西部(黒潮町から西)を幡多郡と言いますが、そこで使われている『幡多弁』です。
土佐弁よりも柔らかく、イントネーションは愛媛や広島に近いと思います。
例えば、土佐弁の「こじゃんと」が、幡多弁では「ざま」になります。
「こじゃんと」は絶滅危惧語ですが、「ざま」は、ざまに使われよります。



言葉だけでなく、文化も違いがあります。
“背負う”を“かるう”と言うとか、冷汁を食べるとか。
愛媛や海を越えて大分など、豊後水道をはさんだ地域との共通の部分が色々あるように思います。
風習・祭、妖怪なども、高知中央部とは異なっていることも多いのです。



それは、愛媛経由で文化が入ってきたためらしいです。
四国山脈を越えるより、愛媛からの方が早いというのは納得できる地形です。
当時は、波多国の方が都佐国より進んでいたといわれています。
幡多郡のルーツは、遠い昔の『波多国』なんでしょうね。



高知坐神社



遠い昔を想像させてくれる平田トライアングル。
高知にも、前方後円墳があったのかもしれない。

もう少し掘り下げてみたいですね、古墳だけに。(←うまいこと言ったつもり)

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