大日本帝国概略史 -14-











国家への積極的忠誠と

国家への盲目的被支配


この違いがこの悲惨な現状の原因であるとの

パルーの言葉に直弼は衝撃を受けた


そしてこの悲惨な状態から

アベイリゴ合衆国のような強く豊かな国家へ


どこの国から侵略されようとも

それを跳ね返すだけの力を持った国家へ


富国強兵への道を今

この時から進まなければならない


直弼が決心したこの瞬間から

日本(やまと)は近代化への方向へ

舵を切る事になる


会議は最終的に

まず和親条約を締結する事になり

その後

修好通商条約へと移行する事が決定した










具体的には

横浜、函館、長崎の三カ所が開港され

アベイリゴ合衆国の領事館が開設された


無期限無条件でその港周辺の土地は

アベイリゴ合衆国の使用権を認可し


関税も圧倒的に

アベイリゴ合衆国の有利な関税となり

治外法権など完全に植民地的な

不平等条約を締結する事になった


そのような屈辱的条約になろうとも

直弼は


(どう足掻いても今の幕府には

アベイリゴ合衆国には絶対に適わない


ならば

完全な植民地になり

誇りも捨て去らなければならない状態よりも


少しでも誇りを保ちながら未来への為に

今の屈辱に耐え

富国強兵への道を進むのが最善だ)


と決心した。


ただ我が日本(やまと)の国は

政権は幕府が担っているが

その政権を担わしている体裁としての

朝廷という存在がある


その最高位に御座(おわ)す我が国の最高権威者


天皇


の勅許を得なければ何事も正式に決定されない


これまでは全ての案件に朝廷は認可してきた


政権を委ねている以上

反対する事自体あり得ない体裁だからだ


だが

今回は幕府始まって以来

外国との条約締結への案件であり

今までのような無条件での認可となるか

直弼にさえ楽観視は出来ていなかった


条約締結の道筋は立てながら

正式調印に1年の猶予を与えてもらった


パルーもその点は譲歩し

1年後に再び来日する事を宣言し

この会議は終了した


そして

この1年が激動の時代の始まりとなる







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潮騒遥か虹の彼方に -4-







「それでは会議を始める」


低い議事進行係の声で

部屋中の雰囲気が厳粛になる


冒頭、作戦参謀の何とかという

名前をまだ覚えていない上官の話で

既に心が折れ掛かっているのが

この会議の中で一番階級の低い

愛織田源太郎中尉である


(はあ、ほんと嫌だなあ)


わざと遅刻寸前に会議室に到着するほど

この会議を嫌悪する数多の理由のひとつに

彼にはこの会議の結論が

既に見えている事があるからだ


この会議に

統合作戦本部長代理の

山野縣有朋中将が出席している


この事自体がこの会議の結論が

既に決められていると言っても過言ではない


山野縣は軍の中でも規律を最も重視し

作戦の有効性よりも

その作戦の不備を見つけて修正を加える事が

過去に幾度もあり作戦立案課で

最も嫌われている高級幹部である


我が国は帝国建国以来

外国と戦争をしたことはない

だが内乱や仮想敵との戦いにおいて

それぞれに作戦立案をしてきており

現在は建国以来、初の開戦に軍全体に限らず

帝国臣民が緊張状態にいる


その緊張状態の最も凝縮した空間が

この会議室だと言われても

否定する者はほぼいないであろう


作戦立案課から提出されたこの作戦案は

端的に言えば先手必勝

相手が油断している時にまず最大の兵力で

敵の前線を突破する


この軍としては極めて当たり前で

且つ勝率の高い作戦案を否定されるのを

源太郎は既にわかってしまっていた


山野縣中将は

この作戦案自体は評価するだろうが

この作戦案が出された経緯に

必ず口出しをするだろうと。





この作戦案を主に計画したのは

何を隠そうこの愛織田源太郎なのだ


そして山野縣有朋中将は

源太郎を毛嫌いしている事は

既に軍では公然の秘密になっている



(はあ。昔、パルー提督と井城直弼の会談でも

これほど緊張状態な空気はなかったろうよ

そもそもあの時は青空会談だったらしいから

嫌な時は空を見て

気持ちを安らげる事も出来たろうが

今はただの部屋だから

どこ見ても気持ちが重たくなるばかりだよ。

はあ。はよ帰りたいよ。)


まだ二十代の前半の若者でありながら

老人のようにぼやく事が習慣になっている事を

本人だけが知らない源太郎であった




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大日本帝国概略史 -13-











政(まつりごと)は為政者だけでなく

国民にも責任がある


その痛点をついたパルーのセリフは

全く想定外だった為に直弼は言葉を失っていた


政の責任は全て為政者である幕府の責任であり

その責任を追求する者は

幕府に謀叛する者として討伐の対象となっていた


つまり責任は幕府が受けもちつつも

その批判は許さないという姿勢で

二百数十年、この国は生きてきた


だが

それは幼稚な姿で

責任を取っているとはいえないものだと

嘲われた直弼の心情は複雑だった


本質的に真理を見抜く力が卓越していた直弼は

実はパルーの言った事は


その通りだ


と理解してしまった


そう

理解してしまったのだ


わが国のあまりの後進性を理解してしまった


だが

二百数十年体制を支えてきた幕府の

最高権力者としての誇りと意地も

簡単に捨て去る事など出来はしない


そこで

直弼は感情を抑え

パルーの

何故負けたのか判っているか?との問いに

問いで答えた


我々は何故負けたのだと思うか?と...


パルーは冷静になって問いかける直弼を見て

叫びあげる事をやめ己も冷静になる事に努めた


この時のパルーの言葉が

ある意味これ以降の日本(やまと)の

国作りの基本となっていく


パルー曰く


貴方がたが負けた理由は

軍事力の弱さ

安全保障制度の脆弱さ

危機管理能力の幼稚さ

など数えあげればきりがないが

ひとつだけと言うなら


国民が国家に対して何をするかの自覚のなさ


これに尽きる!


国家が国民に対して何をするかではない

国民が国家に対して何を捧げるかだ!


その姿勢のない国など

滅びて当然である!


冷静に語るパルーの姿

冷静に聴く直弼の姿





この瞬間

後の大日本帝国(だいやまとていこく)の

礎が生まれた



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大日本帝国概略史 -12-

 

 

 

 

 

 

 





 

国家というものを維持するには

単純に言えば二つの方法しかない

 

一つは独裁者による強制的な維持

もう一つは多数の合議制による維持

 

滝川幕府は創設した時は

滝川家康の絶対的な武力による

独裁政権として管理されたが

家康亡き後は大老老中等の合議制で

国家を維持してきた

 

その基本方針は

幕府に従順な大名、民を創り上げる

反発する者は徹底的に弾圧する

 

ただ滝川家の繁栄の為にのみ存在を許す

 

そんな国家を

この三百年近くかけて築いてきたのが

滝川幕府であった

 

この幕府の目的はほぼ達成され

今では大名、民は幕府の従順な駒であり

反逆など思いもしなかった

 

それは幕府にとっては

非常に都合よく出来た洗脳の結果とも言えるが

重大な欠陥を誕生させていた

 

あまりにも幕府に従順が故に

政治に無関心な人間ばかりの

国家になり果てたのだ

 

国家運営に対しての批判能力はほぼなく

盲目的に幕府の行政指導を受け入れる

 

自分たちが考える事もなく

ありとあらゆる行政を幕府が指導するのだから

これほど被支配階級にとって楽な事はない

 

よほどの生活苦や重税でない限り

多少の困難があろうとも

幕府の命令に従っていれば

何とか暮らして行ける

 

政は民の為

 

幕府はそんな考えは実は最初はなかったが

滝川家の繁栄は滝川幕府の繁栄と同義語

滝川幕府の繁栄は民の繁栄が基礎

 

この絶対真理を自然と理解し

歴代幕府首脳陣は民の暮らしやすさを

最大の目標としてきた

それがひいては滝川家の安定に繋がるからだ

 

だが

 

民の方は政治的に痴呆化していった

 

その歪(いびつ)さを

パルーは容赦なく突いたのだ

 

「政に無関心な民は

場合によれば命で

償わなければならないのだ」と

 

「国家の安全保障に無関心な国民は

侵略されて当然!」

 

「武力で劣る国家は

武力に勝る国家の言いなりになって当然!

その被害による責任は

国家運営をする首脳陣と

それらに動かされた国民にある!」

 

「政治に痴呆化した国民を誕生させた

貴方がたの言い分は

全く持って聴くわけにはいかん!」

 

天に響くかと思われる大声で

パルーは直弼に日本(やまと)の

国家としての幼稚さを嘲い怒り呆れかえった

 

そして最後にこう述べた

 




「貴方がたは

何故負けたのか

何も判ってないのではないか?」と

 

 

 

 

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芝生の露の色 -4-










我が国がサラブレッド生産に取り組んだのは

井城直弼とパルー提督の歴史的会談の直後に

アベイリゴ合衆国から譲り受けた

20頭のサラブレッドを根幹に始まった

幕末からである


それまでの我が国の馬は


馬のような馬


と、アベイリゴ人に揶揄されたほど

犬より少し大きいくらいの和種しかおらず


日本(やまと)人の概念として

サラブレッドのような馬は化け物に近く

パルーの艦隊を見たほどの驚きを

当時の日本人は受けた


競馬という世界共通の娯楽があるのを

その時に知り

先進諸国に負けない国づくりを目標にした

帝国政府は軍馬育成にも適うとし

競馬の推奨、競走馬の生産、育成を奨励した





それから70年以上たち

今では庶民の最も愛する娯楽のひとつになった


帝国ダービーはその頂点に位置する。


まだ二十歳の愛織田涼子は

その第二の父と仰ぐ、師の中久保房松に

ダービーに勝てる逸材だと初めて思ったこの


「火の山号」


の事を猛烈に語り始めた


「調教師(せんせい)?」


中久保の事が大好きで溜まらない涼子は

誰かが止めないと

いつまでも房松に語り続けてしまうのだが

今回は自らで話しの腰を折った


「聴いてます?涼子のはなし」


他の競馬関係者からは

無愛想でしかめっ面で怖い

と思われている房松だが


涼子にだけはいつも笑顔で接するし

涼子も怖がらず本当の父の様に接している


「ああ、聴いてるよ」


その言葉とは裏腹に

房松は涼子の言葉が

途中から耳に入ってはいなかった



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大日本帝国概略史 -11-











この増城寺は


と、直弼がパルーに語る。

努めて冷静にと思いながら語る直弼の頭上に

哀しい

と後に下級役人が記した太陽があった


「この増城寺は

歴代将軍の御霊が眠る我が国の神聖な場所である


だがこの場所は我々幕府関係者だけでなく

江戸の民百姓どもにも親しまれているところであり

毎日、有志が墓掃除や

境内の清掃を無償で行っておる


我々幕府の政は誰の為にしておるのか


その答えを

ここではいつでも見ることが出来た

素晴らしい場所であった」





               (画像お借りしました)





パルーは

政は誰の為にしておるのかという一節を

通訳から聞いた時

(国民の為である)

と即座に思った


と、同時に

その国民の為という答えが見られたこの場所を

破壊、壊滅せしめた我々を

この幕府大老は許しはしないだろうと

暗澹たる気持ちになった


だが

この時代

帝国主義の時代に

許す許さないの許可は

常に大国強国が決める事だとの想いは

この新興国家の軍人であるパルーは人一倍持っていた


直弼語る。


この政の理想の姿が

いつでも見られたこの場所にいた民百姓は

果たして其方方の都合により報復されてもよいものなのか?と。


「いかに!」


直弼は最後の言葉を話し終わると

微動だにせずパルーの眼を外さなかった


パルー語る。


「政は国民の為にある。

と、同時に国民は国家に盲目であってはならぬ!

盲目である時点でその国民は責任がある。

場合によれば

命さえ失うほどの責任があるのだ!」


パルーの強者としての反撃が始まる。





第一章の始まり 










大日本帝国概略史 -10-













会談は大老井城直弼の発言から始まった


社交辞令も時候の挨拶もなく

いきなり刀を喉元に押し当てるかのような

鋭い質問を浴びせたのだ


「パルー提督に問う。

貴方が求めているのは平和か?戦争か?


平和であるならば

この江戸の惨状はなにゆえ起きたのか

説明をされたい。


戦争であるならば

我が日本(やまと)の武士は

一人残らず死ぬまで貴国と

本土決戦をする意向だが、いかに?」


言葉の激しさとは裏腹に

口調はとても静かに優しく語る直弼である


「大老殿

我々の望みはもちろん平和である。


しかし我々の要求を受け入れないのなら

戦争もやむを得ない。


我々はただ

食料や燃料などの補給港を欲しているだけで

しかるべき港を開いてくれたら

それでいいのだ。


この簡単な要求さえ

のらりくらりと返事をせずに時間稼ぎをする

誠意のない態度をした貴方がたを

我々は許すわけにはいかん。」


パルー提督も

直弼の切れ味鋭い言葉の刃に対して

真っ向から受け止め攻撃を仕掛けた


二人とも

言葉は激しいが

口調、態度はとても静かに

穏やかなものであった


そんな二人の

言葉だけが武器の戦争は

果てなく続くかと思われるほど

長く且つ静かに時は進んだ

だが直弼のこの発言で流れが変わる


「なるほど。この一ヶ月の幕府老中の誠意なき態度は確かに礼を失したものであろう。

だが、その無礼さに対しての報復が

江戸の町、民、百姓を壊滅させるほどであったか?」


直弼の眼に

怒りと哀しみを包んだ光るものが流れた


「民百姓の命や財産を凌辱するほどの無礼を

幕府老中でなく民百姓はしたのか?


否!


民百姓はこの件は全く知らぬ事であり

関係のない事である」


初めて直弼は、口調と言葉と感情が一致した

冷静さを保てなくなったのだ


「民百姓の命を

無残にも殺める理由になるのか?それが!」











増城寺を照らす太陽が何故か哀しく映ると

この場にいた下級役人が後に記している。




第一章の始まり 






大日本帝国概略史 -9-











増城寺


滝川幕府創設者、滝川家康が天下分け目の戦

鷺ヶ原の戦いに江戸から赴く途上で

時の住職が寺の権威を騰げようとする野望の末

自分の宗旨を捻じ曲げる勢いで

家康と懇意になり


その想いを受け取った家康が

「未来永劫滝川家の菩提寺は増城寺である」

と宣言した滝川幕府にとり

最も重要な寺院の一つである


その寺院もパルー艦隊の砲撃がきっかけの

この江戸の大火に巻き込まれ

本堂他、全ての建物が焼失してしまった


よってこの会談はいわゆる

青空会談とも言うべきもので


畳を敷いてその上に座るだけの

質素極まる会談であった




せめて座布団や

ものを書くときの机くらいは

あればよかったものなのだが

この時の江戸には

机も座布団も全くなかった


それほどに江戸の街は

今回の大火により傷つけられていた


椅子とテーブルくらいは

あるものと思っていたパルー提督一行は

この仕打ちは当初侮辱されたと思っていたが


胸を張り

パルーが来るのを

堂々とした姿で待っていた

井城直弼を見たパルーは


これは侮辱などではなく

誇りを持った待遇である


と悟り、一行に文句を言わさなかった


後にこの場にいた下級役人の日記に


「増城寺に入ってしばらくは

この畳だけの会談場所に

怒りを覚える者もいたが


パルー提督は大老殿の眼を見つめたあと

何やら部下たちに語りはじめ

何も言わずにその畳の上に座った


その姿は勝利者としての驕った姿ではなく

むしろ日本武士の魂に尊敬を示すかの様に

静かに座していた」


と、記している


パルー提督もまた

礼節は持っていた戦士であった




第一章の始まり 






大日本帝国概略史 -8-














焼け爛れた江戸の市街地

焦臭い街並みの恨みを背負いきれずに

重なり合う数え切れない遺体




大老井城直弼は鎮火の目途が立つと

有無をも言わさず

パルー提督に会談の要求を突きつけた


幕閣たちは加害者である彼らと

今更何を語り合う必要があるのかと

疑問、もしくは怒りさえ覚える者もいた


だが直弼には深謀遠慮があり

今のこの時期こそ

会談の時であるとの信念を持っていた


会談要求を聞いたパルー提督も

本国からの大統領命令を

このままでは遂行できないとの想いはあり

会談を拒否するほどの理由もなかったので

会談自体は受け入れた


だが

江戸の街は崩壊していたので

会談場所を

江戸ではない近在の都市とする事を要求した 


幕閣たちはその要求はごく自然なものとし

川崎や横浜あたりを検討し始めていたが

直弼は断固これを拒絶した


「会談場所は増城寺の本堂跡。

ここでなければ一戦も辞さず。

絶対にここだ!」


あまりの強い口調に

幕閣たちは反対や疑問の声をあげる事も出来ず

直弼の意思をパルー提督にそのまま伝えた


会談場所自体にはパルー提督に希望はなく

江戸の惨状から近隣を指定しただけ

であったので江戸であろうが横浜であろうが

構わなかった


だが増城寺という異教の寺院で会談するのは

クラリス教徒であるパルー提督には

なにやら軽い不快感に近いものがあった


だが

そこまで神経質になることもあるまいと思い

幕府側からの会談場所指定には応じる事とした


砲撃事件から八日目の朝に

パルー提督一行は焼け野原の中の

江戸の芝にある増城寺に向かっていた


同じ頃

大老井城直弼も

屋敷がある三宅坂から増城寺に向かっていた


日本(やまと)の未来を決する会談が

行われようとしていた






第一章の始まり 




響く歪んだ音色の向こうで 4















ある日のお昼休み


あまり運動が好きではない彼は

昼食後の休憩時間には図書室に行く事が多い


たまに同級生から野球や蹴球などの誘いがあり

天気の良い爽やかな日なら付き合う事もあるが

ほとんどは図書室で読書三昧な学園生活である







そんな彼が独りで読書してる時に

机の横から

優しい暖かみのある女の子の小さな声がした


「ちかおだくん」


声の主は

入学して最初に声を掛けてくれた令条美佳


人見知りの彼、愛織田裕次郎には

眩しすぎる女性であった


「あ、令条さん、こ、こんにちは」


「いつも図書室にいるの?」


「あ、いつもじゃないけど、だいたいはいるよ」


「そうなんだ。本、好きなんだね」


「そ、そうだね。

読んでる間は淋しくないからね」


その答えに美佳は少し違和感というか

裕次郎の中の

触れてはいけない部分があるのを

直感的に悟った


だから敢えてその答えには触れず

会話の中身の方向転換を無意識にした


「何を読んでるの?」


「あ、これなんだ」


そうして美佳に見せた表紙には


「大日本帝国概略史」


と、書かれていた


「だいやまとていこくがいりゃくし?

む、難しそうなの読んでるんだねぇ」


「最初は

食わず嫌いで読む気なかったんだけど

なんか自分の国の歴史を知らないのは

恥ずかしい事なんじゃないかなと思って

読み始めたんだ。」


なんとなくこの答えに美佳は

先日裕次郎が借りたあのレコードと

関連があるんじゃないかと思った


そこで

素直に聞いてみた


「ねぇ、ちかおだくん」


「はい?」


「それって、この間借りてた

高見沢省吾のレコードと関係があるの?」


裕次郎が美佳に強烈な想いを持ったのは

この瞬間かもしれなかった

何故なら

まさに高見沢省吾のアルバムがきっかけで

歴史に興味を持ったからである


「時は流れても痛みは消えない」

というこのアルバムの一曲目

「憎しみと怒りの一瞬の閃光」という曲は

日本人の歴史を

これまでにない解釈で

激しい音色の中で歌ったもので

裕次郎の心が激しく揺さぶられた曲であった


その曲の衝撃から彼が歴史に目覚めたのは

ある意味必然性を持った事だった


それを一瞬で見抜いた美佳に

裕次郎は好意と尊敬と

ある種の畏れさえ感じたのだ


「令条さんは凄いね。その通りなんだ」


裕次郎と美佳の青春時代は

まだ始まったばかりである



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