芝生の露の色 -4-










我が国がサラブレッド生産に取り組んだのは

井城直弼とパルー提督の歴史的会談の直後に

アベイリゴ合衆国から譲り受けた

20頭のサラブレッドを根幹に始まった

幕末からである


それまでの我が国の馬は


馬のような馬


と、アベイリゴ人に揶揄されたほど

犬より少し大きいくらいの和種しかおらず


日本(やまと)人の概念として

サラブレッドのような馬は化け物に近く

パルーの艦隊を見たほどの驚きを

当時の日本人は受けた


競馬という世界共通の娯楽があるのを

その時に知り

先進諸国に負けない国づくりを目標にした

帝国政府は軍馬育成にも適うとし

競馬の推奨、競走馬の生産、育成を奨励した





それから70年以上たち

今では庶民の最も愛する娯楽のひとつになった


帝国ダービーはその頂点に位置する。


まだ二十歳の愛織田涼子は

その第二の父と仰ぐ、師の中久保房松に

ダービーに勝てる逸材だと初めて思ったこの


「火の山号」


の事を猛烈に語り始めた


「調教師(せんせい)?」


中久保の事が大好きで溜まらない涼子は

誰かが止めないと

いつまでも房松に語り続けてしまうのだが

今回は自らで話しの腰を折った


「聴いてます?涼子のはなし」


他の競馬関係者からは

無愛想でしかめっ面で怖い

と思われている房松だが


涼子にだけはいつも笑顔で接するし

涼子も怖がらず本当の父の様に接している


「ああ、聴いてるよ」


その言葉とは裏腹に

房松は涼子の言葉が

途中から耳に入ってはいなかった



第一章の始まり