海外移住の地図帳 🏚 日本沈没が既に始まっていることが判明南海トラフ地震(西日本大震災.日本壊滅地震)とは

2024年04月18日

海外移住の地図帳 🏚 日本人の破滅的特性とは?


期間限定で特別に情報提供中。

情報提供期間中に 記事で書けない 『 超限定情報 』 を、非公開コメントから如何に多く引き出せるかが、『 未来の鍵 』



未来に埋め込まれた艱難辛苦に満ちた地雷群の数々を「 事前 」に知って回避したい人々のコメントに「 慈善 」の心で対峙。
( 期間&人数限定

未来を考えない人々によって、刻一刻と未来が消えてゆく・・・



青色の文字は重要な内容を含むリンクです。



新たな無償資金協力の枠組みを導入する



最短効率で日本を○○させる



平成10年に予言小説『 平成30年 ―何もしなかった日本 ― 』を書いた堺屋太一

当たりすぎていて本人も驚いた内容とは?




なるほど、あの今はなき海外移住サイトを運営していた方の
〝予告〟通りの地獄絵図の世界へとまっしぐらだな。




【海外移住の国選び】の中の→「『 人口減少社会 』あなたが知らない日本の真実 」なんか、あらためて行政は考え…るはずぁないか…。

重要な情報リンクがあるのに、大概の人間は、リンク先など読まないのは、このブログも同様。

大災難が起きて助かっても、その先の生活がどうなるのだろうか・・・



歴史は希望的観測が生んだ悲劇に満ちている



次の大地震と☢️発生までの時が過ぎてゆく。



「 できるだけ可能な☢️は動かしていきたい 」…再☢️働に前向きな考え



南海トラフで発生する地震


平均発生間隔: 88.2年



「 2030年問題 」 と 「 南海トラフ地震 」 は無縁ではない

日本が縮む一方で、世界の人口は85億人まで増加するとされます。

このため、世界的に、水や食料、エネルギーが不足すると思われます。

現在の日本のエネルギー自給率は8%、食料自給はカロリーベースで38%でしかありません。

今は、自動車などを輸出することで稼いだお金で、石油やLNG、石炭、農畜産品を海外から購入していますが、労働者人口が減り、製造業の国際競争力が低下すれば、
高騰が予想されるエネルギー源や食糧を海外から購入することが難しくなります。

土木学会は、最大クラスの南海トラフ地震が発生すると、最悪、20年間で1,410兆円、首都直下地震では778兆円の経済被害となる懸念があるとし、
日本は世界の最貧国になると警鐘を鳴らしています。

------

2019年の記事。物価高騰は、既に的中済み。



スーパー南海地震と富士山噴火 同時発生なら・・・



逆算思考のやり方

国と共に詰まないための目標実現に役立つ可能性も。



「人生100年時代」、日本の最悪シナリオ
社会保障制度のあり方、国民に問うべき




生活習慣だけでなく「 どこに住んでいるのか 」が寿命に大きな影響を与えるとの研究結果


  
冷やかし、興味本位ではなく、ご自身の人生にこれから起こるあまりにも過酷で壮絶な出来事を真剣に考える人のための期間限定ブログです。 (⌒-⌒)

ブログ閲覧の人数が多ければ、需要に応じて情報を大量追加。

情報は需要に応じて提供。

知りたい情報などの記事リクエストは < コメント > から。



コロナは少子化を18年早めた! 出生数急落、婚姻数激減で



正常性バイアス 「 自分は大丈夫 」 と思い込む、脳の危険なメカニズム



「 自分さえよければ 」 という生き方では、最終的には社会が壊れてしまう。

 『 世界がいい方向に進むようなビジョン 』 を一人ひとりが持つべきです。

ディストピアが来るか、「 悲惨だったけど少しはよくなったこともある 」 となるか、
いまはその瀬戸際ではないでしょうか。



「 今さえよければ、未来の自分がどうなろうと知ったことか 」

しかし、ごく短いタイムスパンでしかものを考えられないという縮減された時間意識になじんでしまうと、もう人間的成熟ということそのものが望めなくなる。

「 自己陶冶(とうや)」 というのは、長い時間をかけてじっくりと己を熟成させることです。

過去を振り返り、未来を遠く望み、今ここで自分は何をなすべきかを熟慮する。

もっと成熟した人は 「 世界の始まり 」 から 「 世界の終わり 」 に至る広漠たる宇宙的な時間の中に身を置くことさえできる。

己の一生が一瞬に過ぎないこと、
己が踏破できる空間が けし粒ほどのものに過ぎないことを覚知して、
そのはかなさ、卑小さの覚知を通じて、自分は今ここで何をなすべきかを考える。

それは時間意識が四半期にまで縮減した人には無理な話です。

「 農業的な時間 」 さえ実感できない人たちに「 宇宙的時間 」が実感できるはずもない。

ですから、「 自己陶冶 」 という言葉そのものが死語になってしまった。

陶器を焼き、金属を鋳造するようなゆったりした時間を経て、しだいに形成されてゆくものとして自分をとらえることがなくなった。

「 朝三暮四 」 の故事が教えるように、縮減した時間意識のうちに生きる人は、
「 朝方の自分 」 が「 夕方の自分 」 と同一であるという実感さえない。

「 今さえよければ、未来の自分がどうなろうと知ったことか 」 という刹那主義に陥り、
「 こんなことをいつまでも続けていたらいつかたいへんなことになる 」 とわかっていても 「 いつか 」 にリアリティーを感じられないので 「 こんなこと 」 をだらだらと続ける。

しかし、今の日本人はそれができません。

過去の失敗のことは忘れて、そこから何も学ばない。

不測の事態には備えない。

プランAが失敗した場合のプランB、プランCを考えておくということをしない。


「 参謀本部の立案した作戦がすべて成功したら皇軍大勝利 」 という

『 ノモンハン  』


『 インパール 』

以来のメンタリティから何も変わっていません。

「 最悪の事態 」 を想定して、どの場合にどうやって被害を最小化するかという議論を始めると 「 縁起でもないことをするな 」 と遮(さえぎ)られる。

そんなことを考えると、悲観的になり、 意気阻喪 するというのです。

そして、最悪の事態に備えるという発想そのものが 「 敗北主義 」 として退けられる。



「 リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない 」という集合的な無能は日本人が自分で選んだもの。

「 選んだもの 」 が言い過ぎなら、「 自分に許しているもの 」 です。

誰の身にも起きることであるわけですから、
早晩どこの国もそれに対する備えを始めなければならない。

でも、最も早くその危機に遭遇する日本では、
なぜかそれに対する備えが始められていない。

人々はそのことについては考えないようにしている。

駝鳥が砂に頭を突っ込むように、危機の接近に気づかないふりをしている。

「 最悪の事態 」 に備えてさまざまなプランを用意するということを日本人は嫌いますけれど、それはかなりの程度まで日本人の民族誌的奇習だと思います。

「 カタストロフが過去に一度も起きなかったということは、
それが将来において決して起きないということの根拠にならない 」

起こる確率の低い破局的事態については 「 考えないことにする 」。

それが本邦の伝統です。

日本社会では 「 最悪の事態を想定して、その対処法を考える 」 という態度そのものが
「 悲観的なふるまい 」 に類別されるということです。

だから、「 そういうこと 」 をしてはならないと厳命される。

悲観的になると人は 「 衰退宿命論 」 に取り憑かれ、「 なすべき対策を忘れ 」、
そのせいで 「 社会は転落する 」 からです。

「 悲観的になると、何も対策を思いつかない 」

悲観的になると日本人は愚鈍化する。

そして、その反対の 「 根拠のない楽観 」 にすがりついて、あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。

原☢️の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、五輪や万博やカジノのような 「 パンとサーカス 」 的イベントも、日銀の 「 異次元緩和 」 も官製相場も
どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、
どれについても関係者たちは一人として 「 考え得る最悪の事態についてどう対処するか 」 については一秒も頭を使いません。

思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、被害を最小化するかという話は誰もしない。

それは 「 うまくゆかなかった場合に備える 」 という態度は敗北主義であり、敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。

そして、この論法にしがみついている限り、将来的にどのようなリスクが予測されても何もしないでいることが許される。

その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部とマインドにおいてはほとんど変わりません。

いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。

けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、
そんな時に「 責任者は誰だ 」 というような他責的な言葉づかいで糾明する人間はもういない。

そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。

だったら、いっそ破局まで行った方が個人の責任が免ぜられる分だけ 「 得 」 だ。

それが 「 敗北主義が敗北を呼び込む 」 というロジックの裏側にある打算です。

この病的な心理機制はさきの敗戦の時に固有なものではありません。

今もそのままです。

手つかずのまま日本社会に残っている。


現に、今もわが国の指導層の人々は人口減がどういう 「 最悪の事態 」 をもたらすのか、その被害を最小化するためには今ここで何を始めればよいのかについては何も考えていません。

悲観的な未来について考えると思考が停止するからです。

自分がそうだということはわかっているのです。

それよりは無根拠に多幸症的な妄想に耽っている方が 「 まだまし 」 だと判断している。

楽観的でいられる限りは、統計データを都合よく解釈したり、
リスクを低く見積もったり、嘘をついたり、他人に罪をなすりつけたりする 「 知恵 」 だけはよく働くからです。

そうやって適当な嘘や言い逃れを思いつく限りは、しばらくはおのれ一人については地位を保全できるし、自己利益を確保できる。

でも、悲観的な未来を予測し、それを口にしたとたんに、
これまでの失敗や無作為について責任を問われ、採るべき対策の起案を求められる。

そんな責任を取りたくないし、そんなタスクを課せられたくない。

だから、悲観的なことは考えないことにする。

早めに失敗を認めて、被害がシステム全体には及ばないように気づかった人間がむしろ責任を問われる。

非難の十字砲火を浴び、謝罪や釈明を求められ、「 けじめ 」 をつけろと脅される。

それが日本社会のルールです。

システム全体にとっては 「 よいこと 」 をしたのに、個人的には何一つ 「 よいこと 」 がない。

だったら、失敗なんか認めず、 「 すべて絶好調です 」 と嘘を言い続けて、責任を先送りした方が 「 まだまし 」 だということになる。

要するに日本社会には最悪の事態に備えて 「 リスクヘッジ 」 をしておくという習慣がないということです。



●発は火力や水力より経済的に安上がりだから推進しようとしているのではない。

●発のリスクを高めて、次に事故があったらもう日本は住めなくなるかも知れない。

だから再●働に前向きなのだ。

つまり、無意識に破局、それも、とてつもなく巨大な破局を求めている。

そうしてこれを日本全般にひろげて、日本人は潜在意識的に破滅願望を抱えた国民なのだと…。



映画「日本沈没」見た。

学者の出した対策のひとつに
「 何もしないで皆で沈む。日本人ならこれが最もふさわしい 」というのがあって、素直に納得したわ(笑)



「 日本が沈没するぞー! 」
どこの国に移住する? 5000人調査結果


日本と共に沈む人が第一位だって。

全く理解できない。。。



日本人は悲観的になると思考停止に陥る。

わが国では 「 さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える 」 という構えそのものが 「 悲観的なふるまい 」 とみなされて禁圧されるのである。

「 悲観的な見通し 」 に耳を貸さなかった。

「 大変なこと 」 を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。

だから、「 悲観的なこと 」 について考えるのを先送りした
のである。

「 被害を最小限に止めることができそうな対策 」 しかない。

でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。

場合によっては叱責される。

だから、みんな黙っている。

黙って破局の到来を待っている。




「 行き着くところまで行く 」というのは、言い換えると
「 このままの方向に進むととんでもないことになるということがわかっていても、
手をつかねて何もしない 」 ということである。

「 最悪の事態が到来するまで何もしない 」 というのは日本人の宿痾である。

どれほど危機的な事態に遭遇しても、何もしないで先送りして、
ますます事態を悪化させることに長けた人々ばかりで日本社会が占められるようになった。

日本人は 「 最悪の事態 」 について考えると、とたんに思考停止して、絶望に陥り、使い物にならなくなる。

その手立てについてみんなで知恵を出し合おうではないかと申し上げているのである。

なのに 「 そういう話はするな 」 と言われる。

日本人は 「 今のプランAが失敗した場合のプランBを用意する 」 ことを 「 敗北主義 」 と呼ぶ。

悲観的になると思考能力が低下する。



日本人には「最悪の事態に備える」という発想そのものが希薄です。

「 最悪の事態を想定すると、最悪の事態を招き寄せる 」 という呪術的な信仰が日本人にはあります。

「 最悪の事態に備えて… 」 と口にすると、「 それは敗北主義だ 」 「 そういう悲観論を語るな 」 と罵倒される。

「 負け幅 」 や 「 被害 」 を最小化するためにどうすればいいかということを日本人は考えません。

「 勝つ 」 ことしか考えない。

「 最悪の事態 」 を想定すると、全国民が一気に悲観論に落ち込んで、頭が働かなくなり、何もできなくなり、結果的に最悪の時代を呼び込んでしまう・・・と広く信じられていたからです。

だから、そんなことを考えるよりは 「 すべてがうまくいったバラ色の未来 」 を想像して多幸感に浸っている方がましだ、と。そう考えた。

そして、運悪く、予想外の危機的状況に際会したら、みんな一緒に肝をつぶして、一緒に被害をわかちあって、一緒に懺悔しよう・・・。

そういうことを日本人は久しく繰り返してきました。

この病的傾向は 「 日本人には危機管理能力がない 」 という冷厳な事実をまっすぐに見つめない限り決して改善することはないと思います。




ean701 at 06:30│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
海外移住の地図帳 🏚 日本沈没が既に始まっていることが判明南海トラフ地震(西日本大震災.日本壊滅地震)とは