三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

去年の自分を否定するための反省文、戒め

いつまでも考えていても、何も閃かねぇ。

 

雑談

何かしら、常に考え事をしていないと不安になるんだよ。不安だから考える、考えるから余計不安になる、その打開策を考えていて更に不安になる。ストレス・スパイラルみたいな感じなのだろうか。

 

物心ついた時から、常に何かを考えている。慢性的に脳は疲れ切っているわけだ。ぼーっとして椅子に座っているだけに見えても、脳内ではごちゃごちゃといろんなことを考えている。たまにノートに考えていることを書き出してみても、結果として「そもそも何について考えていたんだっけ?」となる。

 

瞑想を一時期やっていたこともある。確かに何も考えないように努めるのは難しい。呼吸に集中する。しーん・・・・ とはちょっと違う、無に近い状態がやってくる。それが終わったところで、何か生産性が上がるかと言われると、目を開いた瞬間に思考のゴミが津波のように脳内に溢れかえる。頭の中は思考の残骸で埋め尽くされているわけだ。そんなわけで、瞑想はしなくなった。

 

口で呼吸をして、精一杯表情の緩んだ顔でぼーっとしてみることを凄く稀に実行する。とりあえず何も考えていない状態。馬鹿面そのもの。そうすると、ものの10秒もしない内に脳内のニューロンがブチ・・・ ブチ・・・ と断線していく感覚が生じてくる。多分誰も共感してくれないだろう。何かその状態がとてもヤベェ感じがしていて、怖くて常に考え事をしている。そうするとニューロネットワークの回路が、かろうじて全て接続された状態を維持出来ているような気がするからだ。

 

 

 

さて、前回も少し触れた内容を今回は掘り下げる。

ダラダラと暇さえあれば考え事をするか、本を読むか、くらいしかしていない休日がもうすぐ終わりを告げる時刻に差し掛かった。明日もまた仕事か、と。2連休だったのに、ちっとも休まった感じがしない。

しかも一日8時間も働いていないのだから、どう考えても過労死するほどの労働量じゃないのは明らかだ。

 

年明けから将来について、ずっと考えていた。職場がもしも無くなったらどうしよう、クビになったらどうしよう、本当にやりたいことってなんだろう、もう少し稼げるようになった方がいいのか、漠然とだが大学にもう一度行きたいなぁとか、まぁそんなことを考えていた。

 

何度でも書くが、今の仕事は丸の内・大手町界隈の小売でのレジ打ちと品出しだ。どこにでもあるチェーンストアだ。時給が高いのと、割と客の民度が高いので幾分か落ち着いて働けるのがメリットだと思っている。楽しくはないが、生きていくための仕事だと割り切っている。ライスワークというやつだ。

 

そこで週に4日出勤、合計30時間程度働いている。バイトなので祝日の多い月には手取りが減るが、それでもこの程度の労働時間で手取りは12万前後となる。それほど贅沢をしなければ、のびのびと生きていく事が出来る境遇である。

 

今の下町のアパートからは、ほぼドアトゥドアで出勤可能。決まった時間に出勤し、残業はほぼ無く定時に上がれる。楽で、そこそこ稼げて、満員電車で消耗する必要もなく、ただレジを打って品出しをして商品の棚の陳列を考えれば一日が終わる。

 

流石に休憩時間を除けば、ずっと立ちっぱなしなので帰ってくると疲れる。簡単に残り物の飯を食べて、Kindleを眺めたら即寝る。

 

翌日起きたら朝食の後にコーヒーを飲んで一服し、シャワーを浴びてから身支度を整えて出勤する。

 

今はこういうサイクルで生活をしている。大卒の初任給が手取りで18万程度と聞けば、自分はそれよりも6万円ほど低いが、まぁこの労働量だったら妥当だろ、とも割り切っている。特に金のかかる趣味もなく、人付き合いもない。

 

お金は無いけれど、はっきり言って楽だな〜 と思っている。

 

 

 

 

でも、その仕事・・・今の暮らしっていつまで続くんだろう?と、近頃不安に感じてきたわけだ。

 

自分は正社員じゃない。所詮ただのバイト。もしも入院をするようなことになったら、どうなるのか。何か持病が悪化して、働けなくなったらどうすればいいのか。この仕事を仮にも死ぬまでやっていくのか。不安になってくる。

 

一応願い出でれば正社員になる道も用意はされているが、そうなると勤務地は別の店舗になることは絶対だ。それに週5で40時間労働、それほど賃金は変わらない。まぁ入院するようなことがあったら、ちょっと保証金が出るとか、その程度の違いでしかないわけだ。

基本はスタッフが少ない時間にシフトが割り振られ、閉店時間まで働いたら翌日は早朝出勤なんて事も十分に有り得る。どう考えてもメリットの方が少ない。

 

ウチの店には客として、ビルの警備員とかも来る。40,50過ぎのおっさんばかりだ。何が警備員なのだろうか、正直言ってアタイでもぶっ飛ばせる自信がある。お前ら本当に働いてんのかと。ただ突っ立ってるだけだろと。しかし、どの警備員も疲れた顔をしている。長い奴はずっと続いているが、どうも何か弱い奴ってのは8ヶ月くらいすると急に来なくなる。

 

身体に悪そうなパンばかり買っていて、弁当すら作れないのかと情けなくなってくる。それでも手には結婚指輪をしていたりするから、人生って分からない。前科が無くて、ただひたすら立っていることさえ出来れば誰にでも勤まる仕事だ。偉そうに言うなって?アタイも過去に警備員のバイトをしていたことがあるんだよ。

 

ただな、どうもこのおっさん達、非正規雇用っぽいんだ。そう、8ヶ月くらいすると一部の人員が入れ替わる。彼らにノルマとか売上目標の達成なんて無いと思うんだが、何かが理由で解雇に至るのか。店にやってくるおっさん達は、例外なく未来が見えない、将来性の無い目をしている。

 

自分と、このおっさん達の違いってなんだろうなぁ・・・と、最近自宅に帰ってから布団に入る時に考えるようになった。

 

別に正規雇用だから、老後まで安泰なのかとは言い切れないが、年齢を重ねたフリーターの存在が消失しつつあるように感じるのはアタイだけだろうか。皆どこへ行ったんだ?

 

今の仕事は間違いなく日本中探しても「こんなに楽な仕事ねぇよ」ってくらいに美味いポジションだ。同じチェーンストアでも、他所の店舗に応援に行けば忙しさは段違いだ。果たして今の、この境遇はいつまで続くのか。いつか終わりが来るのは間違いないと確信している。

 

売り場では元気そうに振る舞っているが、10年後の自分は一体どうなってしまうのだろうか。想像もつかない、恐ろしい未来が待ち受けていそうな気はしている。

 

 

 

どうも暇になると、ダラダラと考え続ける癖がある。接客中は勿論そんなことを考えている余裕は無いから、まだ気が紛れるのかもしれない。

 

そもそも将来どうしたい、どうなりたいなんて分かるか。どうしようもねぇんだよ。

 

ただひたすら考えて、考えて、考えて・・・気づけば今年も24分の1が終わった。こんなことをしていて何になる?職業は哲学者じゃねぇだろ。「今年のアタイは一味違うんだぜ!٩( ᐛ )و」そう豪語出来るくらい、一つは行動を起こしたか?初詣に行っただけだろ。

 

お金を貯めて5月は旅行に出かけよう!去年の段階でそうプランを練っていたじゃねぇか。ところがどうだ、毎月の給料で一ヶ月を生き延びるので精一杯で、ちっとも貯金が増えない。

このままで良いのかよ。

 

結局今年の大型連休もどこかの店舗に応援に行って疲れて終わるのか?嫌に決まってんだろ。

 

冬型の鬱なのか知らねぇけれど、何もかも興味が無くて、百済ねぇし、つまらねぇ。一体いつになったら自分は活動的になれるの?生産的になれるの?ぼやっとしていると、あの警備員のおっさん達みてぇになっちまうぞ!それで良いのかよ?

 

年が明けてから具体的に何をしてきた?まだ「一年の計は元旦にあり」とか言って計画練ってんのかよ。いつも休日に引きこもってコーヒーを飲んで過ごしていて、何が得られた?

幾ら考えたって名案なんか思い浮かばねぇよ。時間の無駄だ、働け!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きている限り働け!とにかく手を動かせ!体力の限界まで活動しろ!それで一日8時間は寝ろ!駄作でも良いから何かを創造しろ、支離滅裂でもいいから何か書け!ネタがねぇなら出かけろ!行き先なんか決めるな!地平線の果まで行け!帰って来れなくなるくらい疲れろ!意味が無くても写真を撮ってこい!刺激が足りねぇ!圧倒的に足りねぇ!!気絶するくらい美味えコーヒーが飲みてぇ!発展途上国の訳のわからん料理屋の飯を腹いっぱい食いてぇ!!それをブログに書け!すぐに書け!長文にこだわるな!常にディスプレイにはブログエディターを表示させとけ!もう一生考えんな!無駄だ!無意味だ!働け!両手かキーボードのどっちかがぶっ壊れるまで酷使しろ!嫌になったら出かけろ!目的に固執するな!自分の人生を文章に変換してネットにアップしろ!You Tubeはやらねぇ!Tik Tokもやるな!飯と風呂とコーヒーとタバコだけは休憩として認めてやる!もっと視力を下げろ!そして稼いだ金で新しいメガネを買え!あとはひたすら貯金しろ!生活レベルなんて上げんな!物価が上がるような商品は潔く購入の選択肢からはずせ!コーヒーだけは惜しみなく金を使え!一秒足りとも悩むな、考えるな!将来の心配なんかするだけ無駄だ!働けなくなったら潔く○ね!そういう人生だろ!

 

 

 

 

やる気がない。突き詰めればそういうことなのかもしれない。それも根源的には「体力がないから」に収束すると思う。体力があれば、休日もアクティブに出かけまわったり、ひたすらブログを書いたり、何かが変わる予感がしている。しかし、体力をつけるためのやる気が起きない。

 

体力が先か、やる気が先か。バカみたいに大人しく引きこもっていても、事態は何も前進しない。それはここ3年位のコロナ禍でようやく分かった。6畳1間のこの狭い空間で支配者を気取っていても、たかが知れている。限られた資源と空間、そして時間を酷使してアウフヘーベンを経る必要がある。

 

実に無駄な時間を浪費した。結局何も名案が思い浮かばなかった。本を読む時間が減り、ネットやSNSに向き合う時間も減り、友達も去っていき、一体何が残ったのだろう?

 

失敗しても良いから、様々なことに手を出しておけば良かった。誰にも相手にされなくても街に出かけてみればよかった。特に注目されなくても、何かSNSに投稿しておくべきだった。

 

何もここまで書いた「働け」とは、金銭に直結した行為に限らない。兎に角誰の目にも止まらなくても、自分はこういう事をしたんだ!という証をどこかに刻んでおくべきだったのだ。生産性のある物事を、評価は気にせずにコンスタントに発表していくべきだった。それが自分にとっての真の労働なのだ。お金は後からついてくればいい。ゴミのような駄作で良いから、世に出し続ける。不快だから辞めろと言われても、気にせず続けていく。いつか認められる日が訪れるまで・・・。

 

正直に言えば、夢もやりたいことも、ずっと考えていても答えが出なかった。それっぽい結論を出しても「え?それってどうなの?」と、すかさず脳内でツッコミが入る。そして再び一から考え直す。こうして大学を卒業してからの一年間を無駄にしたわけだ。

 

自分にはどこか、一部の隙もない完璧な答えを生み出そうと躍起になっていたところがある。無駄だった。それならば一層、誰かに論破されて悔しい思いをしながら行動を軌道修正していった方が遥かにマシだった。

 

そろそろ自分は「若い」という最強のステータスから脱却する時期に差し掛かっている。戻りたい過去も無く、縋り付きたくなるほど頼れる人もいない孤独と真剣に向き合いながら、最高に不安定な足場を全力疾走で駆け抜ける時期が訪れようとしている。

 

どうも石橋を叩いて渡っている余裕が残されていない。蔦でこしらえたロープのようなものを、壊れたらお終いだと割り切って進むしかない状況にある。もう考えている時間は無いのだ。

 

どう頑張っても自分に出来ないことは潔く切り捨てる。その代わり、出来ることには精一杯取り組む。自分に出来ることはなんだ?得意不得意は別として、文章ならばまだ書ける。美味いコーヒーが淹れられる。何時間も銭湯に入り浸れる。これだけでまだまだ書けるネタはあるじゃないか。

 

なんで自分は一回のブログに対して、常に最高傑作の一撃を提供しようと悩んでいたのか。共感が欲しかったのか?それだけか?

 

もったいぶっていないで、恥を文章として晒すのがこのブログの醍醐味だったのではないか。仕事から帰ってきて疲れている場合じゃないんだよ。生きてきた証をここに残すんだよ、それも克明に、忠実に、出来るだけ面白く。

 

感受性が低下していて世の中が面白くなくても、逆に言えばそういう状態だからこそ、この世で一番面白いのは自分以外にいないだろう?と本気で思っていただろ。それを書けよ。ディスプレイの外側の現象を観察して、感じたことを文章に変換して発信するのが努めだろ。アホ共にマウントをとられて泣いているようじゃ駄目なんだよ。統失がこの世に織り成すジャイアントキリングを実現するのが自分の使命ってもんだろ。

 

かつてこういう発言をしていたよな?「最底辺から最先端へ」って。この東京でも最新のツールを使いこなせている奴はほとんどいないんだ。最新のスマホを所持していて、結局やっていることは誰が使っても大差のないSNSばかりだ。誰もAIなんて気にもとめていない。

 

AIよりも面白い文章は、今の時点ならば自分でも出来そうな気がしている。納得の行く答えを出してもらって、それが真偽不明でも喜んでいるバカ共と一緒にするな。こっちは意味不明で支離滅裂だろうと、天然知能丸出しの文章を書いてやる。「中国語の部屋」が一丁前に成熟しやがって。こっちは6畳一間のアパートで妄想炸裂型の解を導いてやる。AIと戦うつもりはねぇ。意見に価値がなくても、面白くて読み応えのある駄文を書かせたら、こちらにもまだ分はある。

 

 

長くなった。疲れている場合じゃない。いつまでも考えている場合じゃない。何も思いつかなくても、常に手元に文章を紡ぎ出せるエディターかデバイスを用意しておく。毎日歯を磨くように、習慣的に文章を書くことを癖にする。毎日ブログを更新するとまでは行かなくても、必ず何か書く。無意味な計画を練ることに人生の大半を費やしている場合じゃない。ゴールが分からなくても、途中で道に迷っていても、とにかく回り道をしようが進むしかない。もう立ち止まっていられる余裕は残っていないのだから。