欧米を真似る意味無なし!?ー文化のはざまに横たわる深い溝

海外から講師を呼んで講座を開催する。海外へ研修ツアーに行く。
それ自体に問題はない。
しかし、現地で使われているものを輸入して使い、方法を真似て日本で実践しても、結局は一部の新しもの好きで、お金に余裕のある人々の間の、一時の流行に終わる場合が多い。

ここでは、一般的に先進国とみなされている欧米諸国から何かを学ぶというシチュエーションに絞って話を進めたい。
なぜ、こうなってしまうのか。答えは簡単。日本人の思考を形成している価値観と、欧米人のそれが、相容れないからだ。勿論、「欧米」とひとくくりにするのはまちがっている。それぞれの国、地方、民族、ひいては個人個人がちがった価値観を持っている。それは承知のうえで、あえてここでは、欧米と日本に分けて考えたい。

欧米は個人主義であり、日本は連帯主義である。両者に優劣はない。
海外で生まれ育った講師は、いくら東洋的思考や日本の文化に理解があったとしても、「日本人」になることは出来ない。結局のところ、日本人の感じ方考え方を理解することは困難である。

ある国に5年以上住み、その国の言葉を使って、現地の人たちのみと付き合いながら生活すると、その国の人になると私は思う。例えば5年以上、ドイツでこのように日本人と接触を持たずに生活すると、ドイツ人と同じように感じ考えるようになる。その後、帰国した場合、再び日本人に戻って、日本社会に馴染むのに10年かかる。逆もまたしかりで、5年以上、日本で、日本人とだけ関わって生活した人は、日本人のようになる。勿論、自分が生まれ育った母国の価値観が消えてしまうわけではないので、帰国すればいずれは元に戻る。しかし、二つの文化を知る者は、その間にまだがる決して埋めることの出来ない溝を知る。謙虚に生きようとする人にとって、その溝は一生、人知れず、心に抱き続ける痛みとなる。それはちょうど、自分自身の中に二人の人間がおり、そのうちの一人は感じることも考えることも、話すことも、呼吸することさえ許されないような状態だ。留学した人が、現地で生活した時間が長くなればなるほど、帰国しない道を選ぶようになるのは、このためだ。

海外の講師と同じように、長年海外で、現地の人とのみ関わりながら生活している人も、日本人の感じ方考え方が理解できなくなる。一時帰国をして講座等で教えても、外国人講師と日本人受講生の間に存在する、そう簡単に埋めることの出来ない溝が、同じようにそこにも存在する。

これは、20代で6年間ベルリンに留学し、帰国してからはドイツ人講師を日本に招き、講座を行い、通訳を請け負っていた私が行き着いた結論だ。

ここで、「安楽死」に関するドキュメンタリーをひとつ紹介したい。

安楽死を決意し、スイスで最期を迎えたパーキンソン病患者の迎田良子さんと、安楽死に反対し、重い障害を負いながらも文字盤を使って目の動きで人々にメッセージを伝え続けるALS患者の岡部宏生さん、お二人の考えにはどちらも深く共感できる。ここにはまさに、二つの文化の、二つの価値観を見ることができる。つまり、自分の人生を自分らしく全うする権利を尊重するスイス人の価値観と、自分の行動が他の人に及ぼす影響を先行して考える日本人の価値観。安楽死はあくまでも、スイス人の個人主義的価値観のうえに成り立っているものだと、私は思う。それをそのまま日本に採り入れればよいという単純な問題ではない。

文化と文化の間に横たわる渓谷は、決して浅くない。同じアジアの国同士でさえ、そうだ。
その谷の深さを理解することこそ、私たちが国境を越えて、西洋と東洋というちがいを超えて、文化や価値観のちがいを超えて、互いを理解する唯一の方法だと、私は思う。

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