自信をもつということ | さびしいときの哲学

さびしいときの哲学

大切なひとを失った方、一人ぼっちで寂しいと思う方へのメッセージ

気がついてみたら、空の青さにも秋の清しさがあって、暑いけれども、もう季節は変わっているのだなと感じます。

 

圧迫骨折でコルセットと車椅子生活だった母も、「しょうがない」と言いつつ、いつの間にか自分を通してしまうという天性の強かさで、コルセットもいつの間にか外してしまい、職員の方が戸惑うくらい、立ってあちこちし始めるようになりました。

 

とは言っても、整形外科の先生がレントゲンを示しながら、全然治っていないというか、ひびはそのままとのこと。コルセットを外している状況に、先生は「あ〜」とため息をしつつも、「やっぱりきついから」という母を横目に「施設でもこういう感じで、どうしたものでしょうか」というわたしの問いに、「これで支障がないのならば、もう好きにさせてあげてください」と苦笑。

 

夏真っ盛りの時は、食欲も落ちていたが、今はしっかり食べるものも食べて、前と比べて支離滅裂にはなっているけれども、「有難う」という返事はきちんとしているみたいで、それさえ言えればなんとかなるだろう、と思っています。

 

昔は、その自分流を押し通すのに巻き込まれるのが、本当に嫌でした。思春期の頃から、母とは取っ組み合いでもしそうな勢いで、言い合いをしたものです。そうでなければ、自分というものがなくなりそうでした。

 

だから、結婚しても、同じ県内に住みたくはないと思っていました。

 

帰省しても1週間以上いると、必ず、ぐさっと突き刺さるような言葉を投げかけてくる。しかも、的確に心を抉るような言葉を言ってくる人でした。

 

それでも、必要以上に頑張ってしまう自分は、どこかで母に褒めてもらいたいという欲求があるのかもとも思ってしまう。

 

昨年末に、母が施設に入るということでUターンしましたが、今でもこうしてある程度の距離を保たなければ、やっていけない自分がいます。不満をもらせる父がいなかったら、わたしはどうなっていたんだろう、と思ったりもします。4年前に父が亡くなったときは、正直心細く感じたものです。ただ、父が亡くなってから、母は私に、無理はしなさんな、ということを言うようになりました。

 

当初は、なんだか梯子を外されたように思いましたが、傍目にも無理しているような娘が心配だったのと、母自身もまた無理をしていた自分に気がついたからそう言ったのかなと思っています。

 

母が無理をしていたのは、自律神経がダメージを受けやすいというか、今ならば、天気病という名前がつくのですが、そういう過敏なところがある自分が、怠けているみたいに感じていたからだと思います。そうでないときの頑張りが半端なかったし、また、白黒はっきり言う人で、自分の意見はきちんと主張する人で、よくも悪くも決して妥協せず、後先も考えませんでした。

 

今では、だいぶん穏やかになったと思います。昔のことを蒸し返しているように思われるかもしれませんが、今の母を見ていると、そんなこともどこかはるか彼方のことで、どこか許している自分がいます。

 

もう終わってしまったことだし、私と母って、そういうものだったんだ、受け容れるしかないと。ただ、そうは言っても、尊敬もし、母には敵わないわたしです。

 

性格は父譲りですが、身長は私の方が高いものの体の方は母譲りで、自分ももれなく超低血圧で天気病です。ここ2,3日、午前中は頭が締め付けられるようで辛く、眩暈もして、薬も効かず、夕方あたりから元気になってせっせと活動し始めるのですが、どうかすると午後あたりまでうだうだしてしまう自分にめげそうになってしまいます。

 

でも、今、これでいいのかな、と思っています。今の自分がそういう自分でいることを欲していると、自分を信じることにしています。これからまた、あちこちと、いろいろ忙しくなるし、休めるときに休んでおこうって。

 

自信ってそうだよね、自信って持つものじゃなくて、自分を信じることだよね。自分はこういう人間なんだって受け容れること。それが良くても悪くても。だって、良いか悪いかなんて、自分がそう思い込んでいるか何かからそう思い込まされているだけだから。

 

現在(いま)の自分をまんま受け容れて、これでいいのだって思ったら、すっごく楽になる。自信って、そういうことじゃないかな。そこからだよ、何かが始まるのは。