瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “聖母マリアは母なる性質の化身そのものです。聖母は大勢の、さまざまな信仰をもつ人々にご出現なさいましたが、そのご出現を通して、今は平和と希望の時、神の愛へと還る時だと告げてこられました。聖母マリアは、キリストの御母としての地上での役割を終えられてからも、ずっと私たちとともにおられ、この二千年のあいだ、その再臨が世界中で目撃されています。なぜ今、聖母の恩寵がこれほどにあふれているのでしょうか、それを理解するためには、ざっと過去をふり返ってみる必要があるでしょう。

 

 大天使ガブリエルが処女マリアに現われて、神に仕える者としての役割を告げてから、素朴な若き乙女の生活は一変してしまいました。マリアは、今日なおくり展げられている叙事詩の欠かせない一部になってしまったのです。聖母の役割は、時が移ってもほとんど変わりません。かつて幼いイエス・キリストを覆っていたマントは、今でも世界を覆い、その愛に満ちた抱擁で私たちを暖めてこられたのです。人種、肌の色、信条を問わぬこの愛こそ、聖母マリアを世界の母としたのでした。

 一九〇〇年以前の聖母のご出現については、百以上の記録があります。その中でも、とくに有名なのは、フランスのルルドでのご出現です。一八五八年、ルルドのある洞窟で、ベルナデット・スビルーという若い乙女の前に聖母が現われ、以来、その洞窟は世界中からやってくる大勢の巡礼たちにとって、癒しと霊的覚醒の源となりました。ベルナデットは聖女に列せられました。「ベルナデットの歌」という映画は、そこで起こっているかずかずの奇跡についての現代の証言と言えます。

 ルルドと同じようによく知られているのは、ポルトガルのファティマでの出来事です。一九一六年の春、平和の天使ミカエルが三人の子供の前に現われ、「まもなく聖母が来られます」と告げました。聖母は一九一七年五月一三日にやって来られ、毎月一三日に、村はずれの羊の放牧地へご自分に会いにくるよう頼まれたのです。聖母は子供たちに、もしロシアが自分に帰依するなら、世界は大いなる平和と調和の時代を迎えるでしょうと約束なさいました。残念ながらこれは実現せず、世界はやがて、ふたつのおぞましい戦争を目撃することになったのです。

 聖母はまた、一九一七年一〇月一三日、正午に奇跡を見せるとも約束なさいました。その噂はヨーロッパ中に広まり、七万人もの人々が期待をこめてその牧草地に集まってきました。大雨のために皆はびしょぬれになりましたが、やがて大いなる太陽が輝いたと思うと、それが火の玉のように爆発し、地球に向かって突進してきたのでした。一二分後に、ようやく正常に戻りましたが、泥んこの地面や群衆の衣服を一瞬のうちに乾かしたあと、マリアがお姿を現わされました。この奇跡の物語は、今でも霊的なグループでくり返し取り上げられています。”(P1~P3)

 

 “さらに近年の例では、聖母マリアは、ガラバンダルという小さな山村に出現なさいました。テピヤック・ヒルやその他のご出現の地と同様、ガラバンダルは現代生活に侵食されていない静かな村です。ここでのご出現が、キューバのミサイル危機の時期と一致していることが、私にはとても興味深く思われます。私たちの世界が一触即発の危機にあった時期だということが。

 ガラバンダルでは、一九六一年六月一八日の夕方、四人の少女のもとに天使が現われました。少女たちの名は、コンチータ・ゴンザレス、マリア・ドロレス・メイゾン、ヤシンタ・ゴンザレス、マリア・クルソ・ゴンザレス。年齢は一一歳ないし一二歳。少女たちは、その日から一二日間のあいだに、八回、天使の出現を受けています。そして、七月二日になると、聖母ご自身がふたりの天使を従えて、少女たちの前に現われたのでした。その日が最初で、それから四年間(一九六一~六五年)にわたって、ガラバンダルでは二千回以上ものご出現が見られたのでした。

 少女達は、いつ聖母がご出現になるか、分かったといいます。というのは、その時には、三つの喜びを感じたからだそうです。まずはじめに、かすかな感情のさざめき、それからやや深い胸騒ぎ、そして、最後に彼女たちを聖母ご出現の場所に導く、強い内的な呼びかけ。少女たちは村の別々の場所にいても、いつも必ずきっかり同じ時刻に、聖母に会う場所に到着しました。

 少女たちは全員、聖母マリアを同じように描写しました。髪は濃い栗色で腰までたれており、それを真ん中で分けておられること。お顔は繊細で、手はほっそりしており、ご自分をカルメルの聖母と名乗られたこと。聖母は天からの声で語られますが、少女たちには、地上の自分の母親に話すように話してほしいと頼まれました。聖母は少女たちが考えたり感じたりすることすべてを知りたいと望まれました。聖母と少女たちの語り合いは、しばしば自然の法則に反する、不可思議な現象をともないました。私は、少女たちが聖母にキスしようとして、空中に浮かんでいる白黒の記録映画をみたことがあります。少女たちが忘我状態に陥って彫像のようになっているところが、写真に撮られてもいます。医者が四人がかりでも、彼女たちを動かせなかったといいます。また、彼女たちが、頭を真後ろにそらして天を仰ぎながら、非常に険しい岩だらけの地面を行きつ戻りつしているところを目撃されてもいます。最後のご出現のとき、聖母はコンチータに言われました。

 「私はガラバンダルの人々のためだけに来たのではありません。全世界のため、全人類のために来たのです」

 これは、ますます多くの世界中の子供たちを訪れるたびに、くり返されるメッセージのひとつです。”(P10~P12)

 

 “今日、もっともよく知られているご出現の地は、メジュゴリエでしょう。そこは、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)の僻地の山村ですが、一九八一年六月二四日以来、その地で聖母マリアが六人の子供に毎日現われ、ご自分を平和の女王と呼ばれました。これまでに一五〇〇万人もの人々がこの村に巡礼にやってきましたが、いまもなお訪れる人があとを絶ちません。ここは世界でもっとも長い、公の場ではもっとも継続的な聖母ご訪問の地です。聖母は幻視者のひとり、ヴィッカ・イヴァンコビッチにこう語られました。

 「私のメッセージは人種や宗教にかかわりなく、すべての人に等しく向けられたものです。天国には分けへだてはないのですから。人々を分離させているのは神ではなく、人間なのです」

と。

 聖母マリアは、私たちが世界平和のために祈ることを望んでおられます。あるメッセージで聖母はこう申されました。

 「愛する子供たちよ、世界は祈ることと断食の価値を忘れています。祈りや断食によって、戦争もやめさせることができ、自然の法則も一時中断させることができるのです」

 このメッセージは、後に戦争で荒廃することになる、まさにその地域でもたらされたものです。聖母はそこで起こることを知っておられ、だからこそ、紛争が起こる前に人々に祈るようにと促されたのです。同様の出来事が、ルワンダのキベホでも起こりました。一九九一年一一月、聖母が七人の若者――アナサリー・ムカマジンパカ、マリー・クレール・ムカンガンゴ、ステファニー・ムカムレンジ、アグネス・カマガジュ、アルフォンシン・ムムレケ、エマニュエル・セガスターシャ、ヴェスティン・サリマ――に現われました。この七人の若い幻視者にたいして、聖母は再び、平和への道として祈りの大切さを説かれたといいます――その地が内戦にさらされる何年も前に。

 マリアとヨセフが、ヘロデ王の迫害を逃れてエジプトのゼイトゥーンを通られたことは広く信ぜられています。中東で最初の和平条約が結ばれる直前に、マリアがゼイトゥーンに現われたのは、偶然とは思えません。一九六八年四月二日、聖マリア・コプト・イコン教会のてっぺんに聖母が現われ、ドームにそって移動されたのでした。そこでは、聖母は主に二、三回現われましたが、数分のこともあれば、八時間にも及ぶこともありました。二年間にわたるそのご出現のあいだ、群衆は増え、あらゆる人種、階級、職業、宗教の人々が聖母を目撃したのでした。その人々によると、聖母は輝かしい白光に、時には無数の色の光に包まれていたといいます。そしてたびたび、オリーブの枝を持って下に集まっている群衆を祝福されました。多くの人が奇跡的に癒やされたことが報告されていますが、特別なメッセージを受けた人はいませんでした。そこにいた正統派、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教などの人々の心を動かしたのでした。

 ノスタルダムスとはラテン語で「聖母」の意味になりますが、彼は聖母の信者でもありました。聖母が人類に警告を代々にわたって伝えていく方法として、彼に未来を予言する能力を分け与えたことは、十分考えられます。

 時代がたつにつれて、聖母のメッセージは、ノスタルダムスの予言のような大きな破壊や災害の予告から、世界の平和、希望、愛の約束へと変わってきています。聖母のご出現の姿も変化してきました。以前は、いわゆる聖母の色とされる青い衣だけでしたが、今では、金の飾りのある淡いピンクの衣で現われます。それは、女性らしい色、愛とやさしい慈しみの色であり、聖母のメッセージにおける強調点が反映されているのです。

 マリアはこれまで天使の中の女王としても知られてきましたが、最近、こうした光の存在にたいする関心が爆発的に高まっていることは、とても感動的なことです。天使たちはいつも聖母のご出現の前触れとして現われ、しばしば聖母につきそって天からやってくるからです。天使たちが今再びやってきたのは、聖母が世に広く知られるようになる前兆ではないかと私は考えます。今の時代は、聖母の愛に満ちた導きがどうしても必要であり、私たちをもう一度喜びの状態に返すために、聖母はいてくださるのです。”(P15~P16)

 

 “聖母は、あらゆる人種、あらゆる宗教の人々のためにここに存在されています。私たちを和解させ、私たちが神に戻ることによってひとつに結ばれるようにと、ここにおられます。私たちが愛の力に心を開けるよう、私たちのハートに触れるためにここにおられるのです。

 何世紀か前には、聖母の祝福を受けるのは、ほんのひと握りの高められた方々だけでした。聖母に会えるのは聖人だけで、一般の人々は、日常生活からかけ離れた彼らの神秘体験に畏れを抱くだけでした。

 でも、聖母は私たちとともにおられたのです。ご自分が愛を注がれるのに、小さすぎる人も大きすぎる人もいないことを、聖母は私たちに分かってほしいと望まれています。私たちすべてをご自分の子供とみなし、私たちの傷を癒やし、恐れを克服させたいと望まれています。聖母は平和と統一のメッセージを携えてやってこられました。私たちが祈りを通して神に心を開くなら、霊的健康を取り戻せると聖母は約束なさっています。聖母マリアは愛と慈しみの化身であり、聖母との出会いはどんな人の心にも感動を与えずにはおきません。

 私たちのあいだに聖母がおられるということは、まさに恩寵の賜(たまもの)なのです。

ローン・ジェンセン(スパルタ、ニュージャージー州)”(P19)

 

 

 “なぜマリアが世に出てくる必要があるのか?なぜ彼女は多くの場所で、多くの人びとの前に現れるのか?私はこれらのことを聖母に聞いてみた。聖母はためらうことなく私の質問に答えてくださった。彼女が今日世界に出現する目的は、二千年前、天使ガブリエルが彼女に、あなたは神の子の母となるよう選ばれたと告げた時と何ら変わらないと明言した。その時の彼女の役割は、キリストを世に送ることだった。聖書でマリアは、「みことばのとおりになりますように」と言っている。この「はい」という受諾の返事は単なる応諾ではない。これは永遠の「はい」なのである。今日の彼女の義務も同じである。救い主イエスを世に送り出すこと。キリストを神の人々のもとに送り、あらゆる年代を通じてイエスが人々の心に生まれるようにするのが彼女の仕事である。今この瞬間、彼女はきわめて多くの場所に現れる。それが聖母の役割なのである。

 マリアは今世紀なぜこれほどしばしば出現するのか私に説明してくださった。彼女は私に砂漠を見せた。それから私は一滴の雨粒が砂漠に落ちるのを見た。それは熱い砂の上に落ちるや否やたちまち蒸発してしまった。そしてマリアは言われた。「もし神が砂漠に花を咲かせたいと思ったら、雨粒を一滴だけ送ることはないでしょう」私はマリアは雨粒なのだと分かった。聖母マリアはまずルルドとファティマに出現した。それは春が来て砂漠に降る最初の雨の数滴だった。その日以来、マリア出現の報告は殺到している。この報告のおびただしさは、この世界の精神的危機を暗示している。人々は癒やされない精神の渇きの中で、さまよっているのだ。神は人間が神の理解と愛の中で栄えることを望んでおられる、だから神は神の子イエスの母マリアがくり返し何度も現れるようにしてきた。彼女の出現とメッセージを通して、私たちは神の意識で満たされ、神をより深く知り、そして私たちの霊性を神との強い絆で花開かせることができるのだ。”(P233~P234)

 

 “マリアはまた伝達手段としてインスピレーションを用いることを私に教えてくださった。私がある神父にマリアとイエスの私のもとへの訪れとメッセージについて話した折、彼は今まで一度もマリアを見たり来たりしたことはないが、しばしばインスピレーションが与えられるのを感じると言った。その夜遅くマリアは私にその神父のところに行って、こう告げるようにと言われた。

 「私は伝達手段としてむしろインスピレーションを使いたいと思います。そのほうがあなたの信仰を最大限に生かせると思うからです。そして私も完全にひかえめになっていられます」

 このメッセージで、私は信仰の働きは神との関係を強めることを思い出した。翌朝ミサのあとで私は神父にマリアが語ったことを伝えた。私はマリアがすべての人にこのことを知らせたかったのだと思っている。

 マリアとイエスは多くの方法で出現をつづけておられる。私たちは聖書、教皇、神父、宗教上の家族、友人、書物、ラジオ、テレビなど、さまざまな情報源をもっている。しかし時として神や自分の信仰を理解するのに必要な情報が得られないので、マリアとイエスは出現なさるのである。

 神は私たちを深く愛しておられる。そして、私たちが栄えるのを見ることを望んでおられる。神は邪悪に対して私たちが結束することを強く説いている。誰でも祈りとお互いへの慈しみの仕事を通して神を助けることができる。私は人々と人々の必要のために祈りつづけるだろう。あなた方もまた自分自身のため、そしてほかの人たちのために同じことをして下さるよう願っている。

 祈りの時間をつくってほしい。祈りは抱擁である。それはあなたが神のもとに行き、神と語る時間である。祈りのあいだ、神はあなたが神の無条件の愛を理解するのを助けてくれるであろう。なにが起ころうとも、あなたはいつも神のあなたへの愛を信じることができるであろう。

シルビア・L・グローガー(リトルトン、コロラド州)”(P236~238)

 

(ローン・ジェンセン「聖母マリアの出現」(天使館)より)

 

*聖母からの内的な呼びかけを受けて走り出した少女たち(ガラバンダル)

 

 

 

*明日は「母の日」で、明後日の5月13日は、カトリックの典礼暦では「ファティマの聖母マリアの記念日」です。メジュゴリエなど、数ある聖母マリアのメッセージでは、カトリック信徒たちが受ける特別な恩寵(秘跡)について繰り返し語られていますが、かといって「すべての民の御母」である聖母は、他の宗教の信徒たちをも決して拒まれることはなく、子供たち全員に何らかの恵みが用意されています。聖母マリアご自身が、世界中のすべての人々から「母」と呼ばれることを望んでおられるようですし、せめて明日あるいは明後日は、聖母に祈りを捧げて(特にロザリオの祈りを喜ばれるそうです)、自分と聖母マリアとの結びつきを意識し、黙想してみてはいかがでしょうか。実際に聖母からの何らかのインスピレーションを受けられる方もいらっしゃると思います。

 

*先程、大規模な太陽フレアの爆発が頻発したせいで、ロンドンや中国の新疆ウイグル自治区など世界中でオーロラが観測されたというニュースを目にしました(今晩、北海道でも観測されるかも?)。実はファティマの聖母マリアのメッセージの中には、『世界大戦の予兆として、空に異象(オーロラ)が示される』という内容のものがあって(『不思議な光が、夜に輝くのを見たら、これこそ神が与えられるしるしと思いなさい。世界には戦争と飢えによる天罰がくだり、教会と教皇に対して迫害が生じるでしょう』)、実際に1938年1月にヨーロッパ全域で濃い赤色と紫色のオーロラが観測され、その翌年に第二次世界大戦が勃発しました。ウクライナやガザだけでなく、中国の経済崩壊も始まりつつあり、いったい、これから世界はどう変化していくのか、より一層注意すべきでしょうし、いずれ来るであろう破局を回避あるいは軽減するために、さらに多くの人びとの祈りが必要とされているように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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