野菜屑漢方薬 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “『クスリになる野菜と野草と』。この本は、戦後、信州黒姫山麓の開拓地に入植した著者が、その過酷な生活の中で実践と、膨大な研究資料を元に編まれた薬草、民間治療の集大成である。開拓民ということで病院で満足のいく治療を受けることもできず、栄養失調や過労による病などで命を落としていく仲間。そしてこどもたち。人々は、それぞれの地方に伝わる民間伝承や知恵を持ちより木を剥ぎ、草をむしり、野菜の屑までも食らい、薬効を見つけ出してきた。

 しかし、本書はそうした重く、哀しい歴史には一切触れず、たんたんと薬草の利用法と薬効についての簡素な解説にとどめている。正直のところ、ものたりなさも感じる。退屈でもある。だが、その豊富なデータに驚かされる。そして、読みかえすうちに、文章を飾ったり、饒舌に語らなくても、その奥に引き込まれる。風景が見えてくる。

 著者の、人間や草木に対するいつくしみが伝わってくる。この本はいまの自然食ブームに便乗した本ではない。著者である狩野誠さんには、いろんなことを教えられた。自然の中に生きることの何たるかを、人間としての精神の在りようを。狩野誠さんは人生における師である。我が雑想小舎の命名を勧めてくれたのも彼であり、看板を彫ってくれたのも彼である。

 狩野誠さんがこの本を編まれた折、「本は書店ではなく、八百屋さんの店頭で販売したい」と言われた。野菜と一緒に売る本である。都会人は山野に出て草花に接する機会が少ない。しかし、日々、野菜という植物には接している。野菜を単に食物としてだけでなく、自然物と見ることも可能である。それは心の持ちようだ。一本のだいこんの尻尾が、一個のなすのヘタが、たまねぎやみかんの皮が、我々人間の健康に役立つ薬になる。そのことを知ることによって一見無機的な都会が有機的に作用することにもなる。日々食し、捨てられる野菜屑にまで心をよせるゆとりは、現代人の心の健康に、何よりの薬となる。

 

 ボクは勝手にそう解釈して、この本の中から都会でも日常簡単に手に入る野菜だけを取りあげて、その利用法を「野菜屑漢方薬」と名付けている。狩野誠さんには、あるいは不本意かもしれないが、自然に接することが少なく、足下の草花に心を向けるゆとりを失いかけている都会人にこそ、心、そして生活のありように小さな指針にでもなれば、それはそれで意義があることだろうと思う。

 我が家でも、狩野さんに教えられ、いままで野菜屑は堆肥にするだけだったが、乾燥させて保存するようになった。「野菜屑漢方薬」は我が家に大いに役立っている。歯痛のときには、なすの黒焼きの粉末をすりつけ、アレルギー体質の娘は、たまねぎの表皮を粉末にして常用している。また、しそ、みょうが、よもぎ、みかん、だいこん、にんじん、パセリ、セロリなど何でも乾燥保存して、風呂に入れる薬湯浴を楽しんでいる。こういう楽しみを知ると、こどもたちも山へ遊びに行った折など、いろんな草花を摘んできて、今日はツメクサ湯、明日はクローバー湯、あさってはスミレ湯と、騒ぎ立てる。

 こうした、ちょっとした気持ちの持ち方で日々の暮らしが随分と豊かになる。気分がおだやかに、ゆとりが持てるようになる。人に対してやさしさが持てるようになり、自分に謙虚になれる。”

 

(遠藤ケイ「雑想小舎通信 田舎暮らしの民俗学」(かや書房)より)

 

*大本愛善苑、出口すみ子二代苑主はダイコン飯が大好物だったそうですが、かつて日本が貧しかった時代には、野菜屑などを捨てることなくご飯に入れて炊いた「糧(かて)飯」というのがありました。明日「人日の節句」は、七草粥を食べる日ですが、普段でも時々はご飯に野菜屑を入れて炊くと、薬効もあるそうですし、野菜不足を補うこともできると思います。

(魚乃目三太「宮沢賢治の食卓」(少年画報社)より)

 

・七草粥の効能

 

 “昔から「なづな七草唐土の鳥が渡らぬさきに云々」と云ふ歌がある。これは唐土の鳥即ち外国の飛行機から毒ガスを投下するその時に、なづな七草を食べて居れば毒ガスにあたらぬと云ふ予言警告である。

 なづなと云ふのは冬青々としたもので、松葉でも葱でも皆薬となるものである。七草は七種の意である。”

 

 “毒ガスよけには、ラッキョウと梅干、松葉を噛むこと、大根や葱を生で食べるとよい。”

 

 “戦術も、だんだんあくどくなつて、近頃は又毒ガスを盛に使用するやうになつて来たが、日本のやうに菜食主義の国にあつては比較的その害は少ないので、日本人の皮膚は肉食国の欧米人に比して毒ガスに対する抵抗力は非常に強いのであるから、左程恐るるには足らぬのである。昔から正月の七日の行事に七草粥といふのがあつて「七草なづな、唐土の鳥が、日本の国へ渡らぬ先に……」と囃しながら七草をたたいて、それをもつて粥を作り一家が食する習慣があるが、是は一方食物の用意をせよとの神意であるけれど、又一方には菜食の必要を説かれたるもので、唐土の鳥が渡らぬ先、即ち外国の飛行機の襲来に備ふる為め、菜食して肉体的の抵抗力をつくつておけと云ふ事なのである。かうした非常時に際して、平常から菜食して居る人のより強さを十分知る事が出来るであらう。”

 

(出口瑞月「愛善健康法 薬の巻」天声社より)

 

 

 

 

 


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