そして玉子は王子になった

三食外食だった自分もこんな時代となれば渋々ながら自炊をしている。

これはもう仕方がないことなんだと諦めながら、けれどできるだけ美味しいものが食べたいなと、毎食の献立に頭を悩ませながら主婦達に混じってスーパーで買い物をする。

昨日もそうやってスーパー内を物色していると「そういえば」と来る途中どこかの家から漂ってきた甘く醤油が焦げたようなにおいに記憶が呼び覚まされた。

すき焼きだ!

そうなるともう夕飯の献立は満場一致で決定した。
決選投票の必要すらない。

「今夜はすき焼きに決まりね、うふふ」

と新婚主婦であれば可愛らしく思いそうなところ、自分は独り者のおっさんだから、今夜はすき焼きをつまみにワインでも飲もうか、ぐふふと心の中で宣誓した。

100グラム500円という自分の中の最上級、お肉のランクでは3等級の牛肉を200グラム手に取りカゴに入れる。今日の主役はこいつだ。

次にネギをひと束二本取り、白菜四分の一、豆腐一丁、舞茸一株といった具合に代わり映えのしない”すき焼き四役”を昔ながらの保守的なメンバーで起用していく。

飲みなれている一本500円程のワインも忘れない。
我が家の財務省は独り者なのに自分に厳しい。

会計を終え、少し先の未来にやってくる幸せを思うとスキップしたくなるところを抑えながら家への道を急いだ。

家へ帰って手を洗い、買ってきた食材達をキッチンにズラリと並べる。

さぁ始めよう!

手頃な大きさに野菜を刻んでトレイに並べ、最上級で3等級の牛肉をフライパンから近い位置に配置する。

すき焼きのタレを冷蔵庫から取り出しいつでもかけられるようにフタを開ける。

ワインを開けてグラスに注ぎ、まずはひとくちそしてふたくち、とちびちび味わう。

すべての組閣は整った。
あ、いや準備は整った。

よし、肉を焼こう!

と満を辞したその瞬間。

あれ?そういえば玉子がない。

と気付いて頭に白いモヤがかかり、時が止まり、そしてゆっくり絶望した。

その深い絶望たるや。

何かに例えて言おうとしたものの「すき焼きを食べようと思った時に玉子がなかったくらいの絶望」というそのままの言葉以上にこの絶望を表せる言葉が見つからない。

「玉子が欠ければ王子になる」とよくわからないことを思いながら急に重みを増したその立場にひれ伏した。たしかに玉子に書かれている点を取り除けば王子になる。

そんな、一番の大切な側近が欠けていれば主役が引き立つことはないという話。

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