HBD in Liaodong Peninsula

ぶらぶら街歩き日記です。北京編4年目です。

通州 通運橋

2022-01-20 | 北京を歩く
通運橋は通州区張家湾鎮の簫太後河に架かっている古代の石橋です。





11世紀の初めごろに橋が架けられたそうですが、当時は木造の橋であり、後に今の石橋になりました。

今の御影石で構成される3連のアーチ橋は1605年の完成とされています。明の第十三代、万歴帝・朱翊釣の時代です。



全長は約40メートル、幅は約9メートルです。
両側の欄干に22対の獅子が並んでいます。一つ一つの表情が違っていて、盧溝橋と同じです。盧溝橋は近代史も相まって有名な観光地ですが、こちらはほとんど知られていません。
同じような石橋ですが、どちらが先輩に当たるのでしょうか。





現在、通行用の橋としての役割は終えていて、車両は入ることができません。徒歩でのみ渡ることができます。

車両の通行をさせないための配慮なのか、橋の保護の目的なのか分かりませんが、橋の敷石は敷き替えが行われたらしく、凸凹になっています。



轍の跡はしっかり残っています。これも盧溝橋と同じです。

橋の南側は張家湾の老街が残ります。古くから東から北京市内に人と貨物を運んだ重要な橋です。

欄干部分に改修された跡がはっきりと残っています。
1851年に改修が行われたという記録がありますが、これがその時の改修跡でしょうか。

橋は3つの大きなアーチが支えてます。簫太後河も京杭大運河の一部で、西側は北京城の朝陽門まで繋がっていました。貨物を積んだ船はこの穴の部分を通過したのだと思います。



ここは軍事的にも重要な場所であり、橋の北側にあった張家湾城は約3㎞の城壁で囲まれていました。



今も一部が保存されています。かつて、張家湾城は500人の守備兵を動員して城を守ったそうです。

東京で例えるなら、江東区の中川船番所みたいな役割を果たした場所でしょうか。街の中心の東側にある点も同じです。



川の南側に連なる老街は今も当時の雰囲気を残しています。

ここを通過すると、次は通州城です。

地元では、この城壁に使われているレンガは紫禁城を作ったときの残りものとも伝えられているそうです。

かつては物資を運ぶ行商で賑わった千年の古代都市は、運河の衰退にともなって衰退して姿を消し、今は荒涼としていて、本当に何もありません。



現在も「一京二衛三通州」という言葉があるそうです。一は北京、二は天津、三が通州です。通州がそれだけ物流上も軍事上も重要であったということを示しています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 張媽媽特色川味館 - 本場... | トップ | 天津 惠中飯店旧趾 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿