煙袋斜街は北京で最も古い繁華街のひとつです。
什刹海歴史文化保護区の中心で、東側の地安門大街と西側の前海に挟まれたエリアです。
約300メートルの商店街に、昔ながらの風情ある老建築が軒を連ねます。鼓楼や南鑼鼓巷などと並んで、老北京を感じさせてくれる場所です。
清の乾隆時代には鼓楼斜街と呼ばれていたそうですが、清代末に今の名前に改称されました。
積水譚が京杭大運河の始点/終点だった元代には、南方から貨物を運んできた多くの交易人で賑わったとされています。
清代になると積水潭は水路としての役割を終えますが、繁華街として発展し、前海と地安門外の商業街を結ぶ場所だった煙袋斜街には遊興場や酒楼、茶屋が設けられ、賑わいました。
煙袋斜街が最も盛んになっていたのは清代末の光緒年間でした。煙袋斜街という名称になったのはこの頃だそうです。今残っている老建築は、この頃の建築でしょうか。
このレトロな雰囲気なので、さぞや北京の庶民に親しまれた場所だったかというとそうではなく、皇族や高官に奉仕するアッパー向けの格式高い商業エリアで、庶民は足を踏み入れることはできなかったようです。
国から中国歴史文化名街の指定を受けています。
什刹海歴史文化保護区の中心で、東側の地安門大街と西側の前海に挟まれたエリアです。
約300メートルの商店街に、昔ながらの風情ある老建築が軒を連ねます。鼓楼や南鑼鼓巷などと並んで、老北京を感じさせてくれる場所です。
清の乾隆時代には鼓楼斜街と呼ばれていたそうですが、清代末に今の名前に改称されました。
積水譚が京杭大運河の始点/終点だった元代には、南方から貨物を運んできた多くの交易人で賑わったとされています。
清代になると積水潭は水路としての役割を終えますが、繁華街として発展し、前海と地安門外の商業街を結ぶ場所だった煙袋斜街には遊興場や酒楼、茶屋が設けられ、賑わいました。
煙袋斜街が最も盛んになっていたのは清代末の光緒年間でした。煙袋斜街という名称になったのはこの頃だそうです。今残っている老建築は、この頃の建築でしょうか。
このレトロな雰囲気なので、さぞや北京の庶民に親しまれた場所だったかというとそうではなく、皇族や高官に奉仕するアッパー向けの格式高い商業エリアで、庶民は足を踏み入れることはできなかったようです。
国から中国歴史文化名街の指定を受けています。