生さぬ子育てをして分かった事

恋愛・結婚・育児・闘病・親戚づきあい。。。 【後悔、後を絶たず】だけを集めた、小説&エッセイです( ´艸`)

結婚19年目の二児の母
大人しくて穏やかだと思っていた夫が
少しずつ『モラハラ夫』に変わっていきました

自信満々の夫に「わたしが、おかしいの?」と翻弄されるうちに
動悸やめまいなどのパニック発作が現れました

どこで、判断を間違えたのかな~ と検証する目的で
書いています
似たケースの方の参考になれば・・・

スプーンとフォークを間違えた

子どものチキンを切り分けようとしたら、
スルッと滑って慌てたら

スプーンとナイフで切り分けようとしていた

すると、主人が鼻で笑った

自分は、育児を全くせずに
家事も全くせずに
わたしが、食べていないうちに自分だけ食べ始める
それも、不機嫌にため息をつきながら、無言で餌のようにコミュニケーションは取らずに食べる

身体は、疲れてるし
気持ちは余裕がないし
54の老体にムチ打って、精いっぱい育ててる。。。。

そこで、笑うか?

退職後
それまでに、自分がやってきたことを忘れるな

生さぬ子育てをしている時も、生した子育てをしている今も
ぶち当たる壁は、同じように感じています

親は、子ども為に生きるのか? / 生きているのか?
子どもは、親に愛される為に生きているのか? / 生まれたのか?

という問です
多分、答えは同じ(一緒・一つ)です



少し、脱線します
アドラー心理学が誤解される一つの そして、大きな理由として
『課題の分離』という考え方があります
 
これは、シンプルな事なのですが
伝えることもそして、理解する(腑に落ちる)ことも とても難しいのです

話を戻します

Aパターン
もし
子どもは、親に愛される為に生きている ならば
結果として
親は、子どもを愛するために生きている

このパターンって、因果の逆は成立しませんか?

つまり、A’もし
親は、子どもを愛するために生きている ならば
結果として
子どもは、親に愛される為に生きている
これ、日本語がヘンなので直すと・・・子どもは、親に愛される為に生まれた

Bパターン
もし
子どもは、親に愛される為に生まれた ならば
結果として
親は、子どもを愛する為に生きる

これも、因果の逆が成り立ちますよね?
B’としておきます

AとA’もBとB’も主語が変るだけです

A’の結果が原因となってBパターンが生れる
ループから抜け出せません(;^_^A
卵が先か?
鶏が先か?

どっちを選ぶのは、そのかたの好みなのでしょうが
その根拠(なぜならば)は、人の数だけあるのではないでしょうか?
その【なぜならば】がきっと、一番大事なのでしょう~

Cパターン
ただ、生さぬ子育てをして感じたバージョンがコチラ

もし
子ども、親に愛されたいと思うならば
結果として
(継親含む)は、子どもを愛さなければならない


これは、多分因果の逆は無いと思います

もし、親(継親含む)は、子どもを愛さなければならない 
ならば、結果として
子ども、親に愛されたいと思う
ことは、無いでしょう~~~

『子どもを愛さなければならない』って思うって事は
既に、相互愛情の移動が無いわけですよ

愛情は、相互関係なのでキャッチボールできないのに
一方的に愛情を渡し続けることは、実子相手でも無理なのです(経験則)


実は、わたしはABCどれも誠ではないと考えています

わたしが、生さぬ子育てと実子育てをして感じた感触は

もし
親は、子どもを愛するために生きている
かつ(&)
子どもは、親に愛される為に生まれた

ならば、結果として
楽しい時間を送る

だと思います
愛する事を目的として現在進行している相手と
愛されることを望んで生まれた相手との
時期が合致している期間限定で、楽しく過ごせるのだと思うのです

親離れや子離れがどちらかに起きた時は、潔く手放すことが
楽しい時間をよい想い出に一生楽しめるのだと感じます

実子でも、もう愛せないと感じた時は
素直に認めることです

実親でも、重いなと感じた時は逃げることです

無理をしても、楽しかった時間は戻っては来ない
嫌いな憎しみ・不満になる前に離れた方が良いと感じました

考え方が変ったことは、相手の事情(課題)です
自分がどんなに頑張っても、相手を変えることは出来ません

また、タイミングが合う時期が巡ってくるかもしれません。。。。




子どもは、親に愛されようと思って
親の顔色をうかがい、親が喜ぶような言動しなくてもいいのです(したいのであれば、してO.K)

そもそも、本心から純粋に愛されたいのか?
生存本能で、養育者が必要な時期だけの願望なのかもしれません💦

親は、子どもの為に自分の人生を犠牲にしなくていいのです

自分の為に その行動をやりたければ、やる!!


これは、生した生さぬは関係ありません( ´艸`)


どちらも、自分の人生を楽しくするために存在している対等な関係です
楽しくない関係になった時は、ケンカや説得などの無駄な時間を使わずに
そっと、手を離せばいいのだと

アドラー心理学と教育のためのTOCの考え方で思えるようになりました

教育のためのTOCに興味を持った方は、こんな講座もあります( ´艸`)






もう、10年近く前の話ですけど
今もずっと
答えが出せない問題があります

それは、当時4歳のテンちゃんが
「僕は、子どもなんだから大人が面倒を見なきゃいけないんだぞ!」という問です

これって、深いですよね~

前提は、
当時で言えば
子どもとは、幼児
大人とは、中学生以上高齢者を含む

という定義だと思います

テンちゃんの、かんしゃくにわたしが考えた思考は。。。。

もし、大人の目の前に、子ども(幼児)がいるならば
結果として、大人は、子どもの(幼児)の面倒を見なければならない

何で?という疑問です

しかし、この思い込みは主人にも舅姑にも、わたしの血族にも周囲の他人たちにもありました

どうして?
何のために?
その根拠は?

誰も、答えられずにかんしゃくを起こしてわたしを責めます

否いや、わたしは面倒をみないとは言っていない
みる意味(価値)を教えて欲しいだけなのです

なぜならば、
わたしの疑問にかんしゃくを起こす人たちは
自分がテンの世話をすると不機嫌になるから


正当な納得のいく説明があるならば、その人たちは不機嫌にはならないはず

というのが、わたしの仮説です

例えばです
もし、大人の目の前に、子ども(幼児)がいるならば
結果として、大人は、子どもの(幼児)の面倒を見なければならない

なぜならば、その大人は子どもの面倒を見る事によって報酬を得ているから

これならば、スッキリしますよね?

でも、わたしの職業は違いました


あれから時は流れ、実子を育てている今
この問いの答えを考えるのです

我が子も、父親も周りの人すべてが
わたしが、子どもの面倒をみることを当たり前のように 前提として話をします

もし、お台場の目の前に、子どもがいるならば
結果として、お台場は、子どものの面倒を見なければならない

何で?
という話です
この何でに仮定を入れてみます

まず、親だから
う~~~ん。で、あれば父親でも良いですよね
しかし、『親だから』という一つの前提だけ
この結果は、本当に100%起こるのでしょうか?

子どもが、30歳でも100%の親が面倒をみるのでしょうか?
そこで『子どもがまだ自立・自律していない状態である』と仮定を足してみます

読んでみます
もし
お台場の目の前に子どもがいる
かつ
お台場はその子の親である
かつ
『子どもがまだ自立・自律していない状態である』
ならば、結果として
お台場は、子どものの面倒を見なければならない


しっくり来ますか???
わたしは、しっくり来ないのです

この3つの前提だけでは、『見なければならない』という
強い使命・強制強要を感じません

何かが。。。。足りない?
何が足りないんだろう?


子どもの面倒をみたいという強い原動力
沸き起こるために必要なものは。。。。。??

ホントの想いは、どこにあるんだろう?

育児に限らず、仕事でも勉強でも人間関係でも
因果関係が分からずにモヤモヤする時がたくさんありました

そして、最後は疲弊して最悪の言動をとってしまう悪循環


ある講座で考え方を学んだ数年前からは
図形を描いて整理するようにしています
  *ご興味のおありの方はコチラから読めます

 今では、紙や鉛筆は使わずに頭の中で、描けるときが多くなり
かなり楽になりました( ´艸`)

それでも、落ち込むときは多いですけどね~

ちなみに、わたしなりの答えは

です。
もし、ご興味ありましたら( ´艸`)

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