とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「こんなはずじゃなかった」となる理由は○○です

新年あけましておめでとうございます、という言葉を書くのもお恥ずかしいくらい間が空いてしまいました(^^;

 

本番が近づき多忙だったこともあるんですが、本番が近づくにつれ「中学受験、ここがおかしい」という想いがふつふつと沸き、かえってブログが書けないでいました。

 

今日は、「こんな受験になるはずじゃなかった」について書きます。

 

毎年、秋も深まるあたりから「こんなはずじゃなかった」という親御さんの愚痴を聞くことがおおいです。

 

「○○校目指してたのに、まさかそこから偏差値20下の学校になるなんて」

「4年のときはαだったのに」

「わが子が最後まで本気出さないとは思っていなかった」

エトセトラエトセトラ。

 

ええと。

ゴーマンかましてよかですか

なんでそんなにうまく「あなたの思う通りに」行くと思ってたんですか!?

我々講師から見たら、すべて「想定内」の出来事です。

長年やってると、子供を見た瞬間にある程度ポテンシャルはわかります。

あ、誤解のないように申し上げておきますが、このポテンシャルというのは人生のスパンではないです。「12歳までに」「15歳までに」「18歳までに」それぞれどれくらい伸びる子だろうなあ、というのがわかるという意味です。

つまり、先行逃げ切りタイプか、先行するけど伸び悩むタイプか、完全な後伸びタイプか、という意味ですね。

 

中受で言えば「12歳までの『伸びしろ』」が問題になるのでしょうが、それは

・現時点での語彙力

・現時点での数学的論理力

・好奇心

・克己心

・生真面目さ

で、ほぼ決まります。

前2つは学力ですが、これが低くても後3つでくつがえす子もいます。

それらも含めて、我々講師は「ああ、12歳時点で勝負するなら○○だろうな」というのは「見える」わけです。

これは、低く見積もるわけではありません。

何度もこのブログで書いていますように、サピや四谷や日能研の「データ」ではボロクソ言われてる子でも「ああ、○○受かりますよ」と思う子は受かってきましたので。

そのあたりまで「見える」ということです。

 

で、ですね。

年初のブログから厳しいことを書きますが。

 

「こんなはずじゃなかった」と思う方は

「こうなるはずだと思った自分」を恥じていただきたい。

 

冷静に見れば、わかるわけです。

12歳でその子がどういう感じになっているか、想像がついたはずです。

懸念材料はたくさんあったはずです。

・人の話を聞かない

・他人にも心があることをわかっていない

・欲望が我慢できない(ネット中毒など)

・どうも、数のセンスがないっぽい

・語彙がない

・科学的事象に興味がない

・ニュースに興味がない

エトセトラエトセトラ。

 

「こうなるはず」というのは、我が子が心を改めて奇跡的に最高のパフォーマンスを見せた場合の「ベストな場合の予想」だったんじゃないですかね。

それじゃあ、旧日本軍です(^^;

シミュレーションは、良い場合悪い場合両方考えないと。

あと、我が子の「アチャーな資質」が変わると思わないこと。

中高生にもなると本人にとっても将来が見えてきますので「あ、このままだと俺/私ヤバいかも」と思い始めますが、小学生でわかるわけがない(一部の聡い子除く)。

 

話を戻します。

なぜ多くの親御さんが秋~冬にかけて「こんなはずじゃなかった」と思うのか。

それはズバリ「自分だけはうまくやれる」と思っていたからです。

自分だけは、人を出し抜いて得ができると思っていたからです。

百歩譲って、人を出し抜こうと考えているのが「本人」ならたしかに他人を出し抜けることはあるでしょう。

でも、中学受験は親御さんがするわけじゃないですよね。

 

自分だけは賢く情報を取捨選択して人を出し抜ける、と考えている親御さんは基本的に人の話を聞きません。

「良い話」しか聞きたくないからです。

具体的に言うと、

・「○○校も視野に入れてはどうですか」→まったく聞かない

・「自閉的傾向が国語の伸びを阻害しているので、そこから考えては」→まったく聞かない

エトセトラエトセトラ。

「賢く情報をファクトチェック」ではなく

「自分の描いた筋書きに都合の良い情報」を取捨選択されてきたわけです。

周囲の助言は「こうなるはず」という親の思いに邪魔だから無視するわけです。

だからこそ、土壇場になって「こんなはずじゃなかった」になるわけですね。

 

タイトルの○○は何かというと。

「自分だけはうまくやれると思った心」であり

「人を出し抜けると思った心」なんだと思っています。

 

よく言われてるじゃないですか、詐欺に引っかかるのは「私だけは詐欺なんかには引っ掛からない」と思いこんでいる人だって。

 

自分だけはうまくやれる、と思う前に、「素」の子供さんをちゃんと見てあげていただけたらな、と思う今日この頃です。

 

蛇足ながら。

10~11歳時点で極端に語彙が少ない子は、本人が外界に興味がないタイプのためか、あるいは失礼ながらご家庭の責任ですね。

語彙が極端に少ないということは社会で生きていくときにかなりヤバいわけで、中高生なら私と出会ったことでそのヤバさに気づき激変した子もいます。でも、小学生は難しいですね。なぜなら彼らの「社会」は非常に狭いので。私がどれほど「中受するしないにかかわらず『鼻が高い』という言い回しを12歳で知らないのはやばいよ」と力説しても、彼らはそのヤバさに気づきません。なぜなら、彼らの社会は「家庭」がほとんどだからです。家庭でそういう言い回しをされていなければ、彼らにとっては慣用句や言い回しなど「暗記させられる小難しい表現」でしかないでしょう。

 

さらに蛇足ながら。

何度も書いてますが、低学年から先取りさせていた親が

「4年/5年のときはαだったのに」

え、それ当たり前です。

6年で頭角を現す、あるいは6年から受験勉強始める子はたくさんいます。

競馬で言えば「サシ馬」です。

その存在を考えず、先取りだけで点数取ってても後から抜かれるの当たり前ですよね。