とある講師のホンネ

フリーの講師。国・数・英・理を指導中。東大卒。現在は家庭教師中心ですが、大人の文章教室なども開いています。

「二月の勝者」の迷走とおおたとしまさ氏(2)

前回の続きです。

mikoto2020.hatenablog.com

 

前回も書きましたが「塾の特待生は【搾取】をしている」という言葉がショッキング過ぎてまだモヤモヤしています苦笑

そもそも、自分が払ったお金を相手がどう使うかに文句をつけるのってとても浅ましいと思うんですけどね。ある塾が優秀な子を無料にするのは、無料にすることでその子たちに来て欲しいからでしょう?目的は合格実績だけではなくて集団としての底上げや他生徒への刺激などいろいろあるでしょう。それってその塾の勝手ですよね。特待生制度があるかないかは、特待生じゃない子からの月謝の高低となんら関係ないと思います。税金なら使途に何か言いたくなるのはわかりますが、自分たちが塾に行きたいと考えて自発的に払ったお金を特待生に使われたら【搾取】だというのはさもしい以外の感想がありません。もし仮に、世の男性が「レディースデーは俺たちの払った金を搾取して成り立っている!」と言い出したら高瀬氏はどう答えるのか興味があります。

 

さて、今日は少し話を進めます。

 

3)教育虐待から目をそらしている

教育虐待が一番起きやすいのが中学受験です。中高生になると親のほうもわが子の実力がどれくらいか受容ができていることが多いから無茶振りも起きにくいし、子供の方も親に反発する力を持っている。高校生ともなると親自身がとうてい解けない問題が出てくるのでそうそう強いことも言えない。

翻って、中学受験では誰も「適正レベル」を言ってくれないのでとんでもない高望みをしがち。ひたすら勉強させれば何とかなる気がしてしまう。

私は実体験として数々の悲劇を見てきました。

前回ご紹介したインタビューでは、肝心の被害者(子供)の視点がばっさり欠けているところにゾッとしました。これは、以前「翼の翼」の感想でも書いたことですが。

 

mikoto2020.hatenablog.com

 

くだんのインタビューの中では3人とも、「親が自分の中の怪物に気づいて飼いならせればいいですね」などとノー天気に仰っているんですが、飼いならせる人が少ないから悲劇が起きるんでしょうが!私が再々その危険性を訴えているのは、「あとで気づいて反省したからいいじゃないの」では取り返せない傷が子供に残るからです。

「二月の勝者」でいえば、里依紗の母親が後でいくら悔いたところで里依紗が10~12歳で受けた傷は今後長く取り返しがつかないと思いますよ下手したら一生。里依紗母が反省したらそれで良し、なんですかね。

 

おおたとしまさ氏は、以前こんな記事を書いておいでです。

bunshun.jp

氏の意見としては、

・思春期に受験をするのはよくない

・なぜならその6年間は「ぼーっと過ごし」「たくさんの人に出会える」時期だから

・中受は偏差値にこだわらなければ「全入」なので、無理せず入れるところに入って中高一貫の6年間を有意義に過ごせばよい

ということのようです。

ツッコミどころだらけな気がするのは私だけでしょうか。

たしかに、多感な時期の受験は苦しいことも多いでしょう。異性に興味も出てくるし、部活や趣味に本気で打ち込みたい子たちもいるでしょう。でも、だからこそ自分をコントロールする力を育てるチャンスともなりうる。

結局、小受だろうと中受だろうと高受だろうと大受だろうと、自分の実力より難しいところを目指せばハードな道になるのは変わらない。どっちがマシか論争でしかないかもしれない。それがいつならいいのか、は個人差が大きいでしょう。でもやはり私は生物として本能的に、まだ身体のできあがっていない弱弱しい10~12歳の子供を数年間「ランキング」の中に放り込むのはかわいそうだと感じる(本人が勉強大好き競争大好きな場合のぞく。そういう子は好きなだけやったらいい。スポ小と一緒)。

おおた氏が中受における教育虐待から目をそらしているのは意識的なのか無意識なのか。「全入」状態だからと言って、今のまま無理せず入れるところでいいという親がいると本気で思ってるんでしょうか。おめでたいな。

中受塾に入るということは、イコール3年間絶え間ないランキングのストレスに身を投じることなのに。

 

3人とも親を啓蒙しようとされているようですが、啓蒙でなんとかなるような甘い話じゃないんですよ、闇落ちするタイプの親の承認欲求というのは。ましてや、現代というのは「親」という立場の人を叱れない世の中です。たとえば昔なら、親の不注意で子供がけがをしたら医者が叱ってくれました。今や、そんなことしたらSNSで即拡散。

 

高瀬氏は「万人がモンスター化するときがある」と仰ってましたが、それもまた違う。うちの親もそうでしたけど、子供がどの学校に行くかということに左右されない親御さんも、割合としては少ないとしても確実にいる。あるいは、内心ではヤキモキしていても子供に対してはきちんと一線を引ける親御さんも多い(現在担当している生徒さんの親御さんはほとんどそうです)。

 

前回も書きましたが、子供の受験に過度に振り回されて闇落ちするタイプの方は、ギャンブルやったらまず破滅するタイプ。そういうタイプにまで中受を薦めておきながら「ほどほどにね」などと言うのは、例えは悪いですがカイジに借金させてギャンブルさせる遠藤のとっつぁんみたいなもんだと感じます。ギャンブルなら金がなくなるだけで済みますが、親が受験ジャンキー化した場合「被害者」が生まれますよ。

 

「6年間ぼーっとするため」に、人格形成される非常に貴重な10~12歳の時期を教育虐待下におくのをよしとするのは本末転倒だと思う。

さらにツッコむと、おおた氏は「海外には高校受験はない」と言ってましたがそれを言うなら海外には日本のような苛烈な中学受験塾はないですよ笑

 

4)いわゆる「意識高い系」の意見

「お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中ではな」という名セリフがあります。

インタビューの印象は、まさにそんな感じ。

3名とも、目線が今の自分の立ち位置でしかない。

だから「(自分より)優秀な人たちは下を見下しているに違いない」「(自分より)優秀な人たちは貧困層に興味がないに違いない」と思い込む一方で、自分たちの中の差別意識には無自覚。おおた氏は「全入」だから学力に合ったところに入れればいいと提唱していますが、だったらなぜ公立中ではダメなんでしょうか。無意識に私立中のほうが「環境」がいいと考えているからではないのでしょうか。全入状態の私立中に行くことは、「金がない家の子のいる集団」「学力の低い子のいる集団」から「イチ抜け」することなんじゃないでしょうか。

 

誤解のないように念を押しますが、私はそういう「環境買い」を否定しません。価値観は人それぞれ。ただ、そういう意識がありながらキレイゴトを言うのはみっともないなと感じます。自分たちもそうだったことを他人がやると批判するのはダブルバインドですね。それともご自分たちは「そのまま」で入れる中学にお子さんを入れたんでしょうか。

 

前回の繰り返しになりますが、高瀬氏は「(アゴアシ付きで)灘ツアーをする子たちは自分たちが【搾取】していることに気づかず大人になっていく」と仰っていますが、それは「年間100万前後の塾代」を払い「貧しい子のいない世界=私立中」に行く子も同様ではないんですか。偏差値が低いと貧しい子に思いやりを持てるんですか?下剋上を目指して勉強嫌いな我が子に課金上等と啖呵を切った武田母は、貧困層への思いやりを持っていますか?

 

いろんな人と接することが大事だと言うなら、なおさら「似通った環境の人間が集まるところ」を目指すのは矛盾していませんか。たとえば貧困家庭の子や低学力の子。小学校の頃って、あまりそういう事情はわかりません。多様性が大事、思いやりが大事というならば、それなりに世の中が見え大人の世界の話も少しわかる中学時代に「いろんな子」がいる環境にいることが大事なんじゃないのかなあ。それに背を向けて口だけで思いやりだの多様性だの言われましても、という感じ。

 

「意識高い系」の方の意見が苦手なところ。

それは、自分の失敗談は隠す、あるいはそもそも自分(だけ)はうまくやっていると思い込んでいるところです。そんなことは子供本人に聞いてみないとわからないのに。

「自分もそう褒められた親じゃない」と謙遜はしてみせつつ、実際に何をやってしまったかは明言しない。「しくじり先生」のように「私は渦中にいるとき鬼になってしまった」とでも言ってくれれば説得力があろうものを。

 

 

それにしても、「二月の勝者」は連載当初に比べてかなり変節したなあと感じます。

高校受験を否定し、サッカー少年の三浦くんに大人げなくリフティング勝負を挑んでまで「お前はプロにはなれないよ」と引導を渡し中受をさせた黒木。その黒木の立ち位置は、決してブラックジャックにおけるキリコのような「否定されるべき信念」ではなく作中でずっと礼賛されてきた。

私自身は現在の行き過ぎた中受には懐疑的ではありますが、黒木の考え方は考え方としてありというか、もろ手をあげて賛成はできないけどそういう信念の持ち主としては小気味いいなくらいに思っていたのですが。

黒木がいまさら「いいひと」になろうとしているなら、三浦くんの夢を打ち砕いたことは作中で否定されなければいけないと思うが。

 

続きます。