バルト先生の説教のなからから抜粋
キリストを拒否し十字架につけたのは、にんげんである。そして、
人間は、今もなお彼を十字架に付けている。
今日、全ヨーロッパが一つの大きな
ゴルゴダではないであろうか。すなわち、そこでは人々が
今日でも二千年前と同様に
「われわれはこの人がわれわれを支配するのを欲しない」
と叫び、キリストが今日でもその幾百万の兄弟たちにおいて血を
ながさねばならない、ゴルゴダではないであろうか。
そうだ、われわれ人間は、そのような者である。今日(この戦争の時にあたって)
その様に語るのは極めて当然のことであろう。
1917年4月6日、受難日、ザーフェンヴィルにて
説教後の祈り
~私たちはめいめい、このことを、ただ自分たち自身のためにだけではなく、
ほかの人びと のためにもお祈りいたします。
私たちは、この家にいるすべての人びとのために、
世にある すべての囚われ人のために、
また肉体や魂に悩みや病を持っているすべての人びとのために、
所有を失って、故郷を追われたすべての人びとのために、
また、私たちには隠されていても、
あなたの御眼からは隠されていない
悩み、苦しみを持っているすべての人びとのためにお 祈りいたします。
私たちはまた、身内のもののため、両親、教師、子供たちすべてのために、
国家、行政、裁判などにつとめを持つ、責任ある人びとのために、
あなたの福音の説教者や 宣教師のためにも祈ります。
担わなければならないものを、担って行くために、
これらの人びとと私たちすべてに助けをお与えください。
しかもまた、正しいことを考え、語り、行ない、とりわけ、
あなたがその人びとや私たちに与えようと願っている能力に従って
信じ、愛し、望むことができるように 助けをおあたえください。
1955年4月10日復活日、バーゼル刑務所にて