リタイアおじさんの介護とシニアライフ

名古屋市在住の71歳。要介護4(身障手帳1級)の妻を在宅介護しつつ、シニアライフをそれなりに楽しんでいます。

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虫歯の治療が完了

本日で治療終了

今日は歯医者へ行く日です。

4月3日の歯茎の定期チェックで虫歯(右下、端から2番目の奥歯)が発見され、それから治療をしています。

虫歯は進行状況によってC1~C4の4段階に分かれ、それによって治療方法が変わってきます。

虫歯の進行段階ごとの治療法について - 三宅歯科クリニック自由が丘 (miyake-dental.net)

私の場合はC3の段階に達しています。C4だと抜歯が必要になるので、かろうじて、その前の段階にとどまったというところです。

治療には保険治療と自費治療がありますが、私の場合は歯自体が寿命に近づいてきており保険治療を選択しました。

治療は、虫歯部分と神経の除去→歯の根っこ内の清掃→薬をつめる→歯とかぶせ物をつなぐ土台を作製し形を作る→型取りしかぶせ物作製という順で進んでいきます。

前回迄に型取りが終わり、かぶせ物も出来上がったので、今日は土台を入れてかぶせ物を装着しました。

治療時間は20分程度、特に痛みもなく無事終了しました。

昨日迄は治療で歯を削ったこともあり歯がスカスカで、食べ物を噛むと歯に残る状態でしたが、これで元の状態に戻りました。

治療した歯では、まだしっかりと噛めませんが、しばらくすれば思い切り噛むことができそうです。

右の奥歯は食事の際、最もよく使う歯なので、これでおいしく食事ができそうです。

ただ歯自体の寿命がそのうち尽きそうなので、1日も長く治療した歯が持ってくれればと思っています。

ちなみに治療費は5回の診療で計13,040円(自己負担2割)でした。

虫歯の進行度からすると妥当な金額のようです。

初めて頂いた長寿銭

この袋は?

先日、102歳の叔母(母の姉)のお通夜に出席した際、会葬御礼と一緒にこんな袋が入っていました。

弔事なのに赤白の水引が描かれた祝儀袋です。

袋の中を確認すると、5円硬貨が1枚入っていました。

私は前の会社で役員として人事・総務も担当していたこともあり、社員の親族の葬儀にも結構参加しましたが、こんな袋はいただいたことはありません。

調べてみると、これは長寿銭(ちょうじゅぜに)と呼ばれるもののようです。

長寿銭とはなに?配り方と使い方を解説 | 安心葬儀 (ansinsougi.jp)

上記サイトによると、「長寿銭は、故人が長寿で旅立ったことに対するお祝いと故人の長寿にあやかるようにとの願いを込めて、葬儀の際に小銭を配る風習です」とあります。故人の長寿を祝い快くあの世へ送り出すという縁起物のようです。

振り返ってみれば、当日はお通夜特有の重苦しい雰囲気がありませんでした。読経が終わると参列者全員の記念写真を撮影したのも、故人を快く送り出そうとする意図だったのかもしれません。

地域の風習というより100歳を超えて亡くなったことへの記念か?

長寿銭は全国で行われているのではなく、千葉、埼玉、群馬の一部でみられる風習のようです。何歳から長寿に該当するかの基準はないようですが、上記サイトでは個人が80歳以上だった時に配られていることが多いと書かれています。

今回亡くなった叔母は浜松市在住で、葬儀も近くの式場で行われました。浜松市で長寿銭の風習があるとは聞いていません。浜松市に住んでいた父の姉は100歳近く、義父(妻の父)は90歳を超えてから亡くなりましたが、長寿銭は配られていません。

今回長寿銭が配られたのは、100歳を超えて亡くなったことが大きいと思っています。祝儀袋の表面には満102歳という年齢や生年月日が印刷されていました。

長寿銭を配るかどうかは喪主が決めることのようですが、斎場から勧められたのかもしれません。

長寿銭の金額には5円、10円、50円、100円、500円があるようで、それぞれ意味があるようです。

今回頂いた5円には「長寿にご縁がありますように」という願いが込められているようです。

さて、頂いた5円をどうしたらよいかが悩みどころです。

買物に使っても問題ないようですが、せっかくですから財布に入れて縁起物にするのも悪くありません。ただ財布に入れたら、うっかり使ってしまいそうです。

そこで考えたのは、袋ごと母に渡すことです。老人ホームの自室に置いてもらって、長寿のお守りに使ってもらおうかと思います。

母は今93歳ですが、お守り(長寿銭)のご利益でお姉さんと同じように100歳迄生きられるかもしれません。

もし母が100歳まで生きられたら、母の葬儀にも長寿銭を配ろうかと思います。

老人ホームを拒否する親世代

父親が老人ホーム入居を拒否

先日、おばの通夜で久しぶりにいとこに会いました。

うち二人はまだ両親が健在です。

一人は私と同い年(71歳)で、両親は共に95歳前後です。

もう一人は私の4歳下(67歳)で、父親は90歳を超え、母親は89歳です。

どちらも父親の状態がよくないようです。

私と同い年のいとこは60歳定年で仕事を辞めたようですが、がんの手術を2年毎に3回もしており体調は万全とはいかないようです。90代半ばの両親二人の世話は体力的にきつそうです。

4歳下のいとこはまだ仕事をしています。ここ数年は実家から通っていたようですが、先月から100kmくらい離れた場所で勤務するようになりました。両親の介護は奥さんがしているのかもしれませんが、こちらも大変そうです。

このため父親だけでも老人ホームに入って欲しいと考えているようですが、頑強に拒否しているようです。

私の母は自分の意志で老人ホームに入りましたが、父親は晩年老人ホームに入ることを拒否していました。

埋まらない世代間ギャップ

かたくなに拒否する背景には親の介護に対する世代間ギャップがあるような気がします。

私たちの両親の世代は子が親の介護をするのは当然という考え方が強く残っています。

生まれたのは戦前です。旧民法の考え方が離れないようです。

特に田舎ではその傾向が強いような気がします。人の移動が少なく、周りの人も同じような考え方ですから、疑念を抱く余地はないのかもしれません。

もう一つ思い当たるのは親の世代が介護であまり苦労していないことが考えられます。

昔は大家族で介護が必要な人がいても、特定の人に負担が集まることはなく、皆で分担していました。(私が小学生の頃、我が家は9人家族でした。)

また、長生きする人も少なく、介護が必要な人も少なかったような気がします。80歳迄いきれば長生きで、90歳を超えて生きている人などほとんど見かけませんでした。

我々の親の世代が思っている「子が親の世話をする」ということは、子が親を介護するという事ではなく、仕事を止めた親の金銭面を子が面倒をみることだと解釈しています。

親の世代にとっては現在の少子化と高齢化の進展を現実問題として理解できていないのかもせれません。90歳を超えて生きていることなど、親の世代は想像だにしなかったことなのでしょう。

これに対し、いとこたちの方は老後に子供の世話になるつもりはないということで一致しています。私も子供に介護して欲しいとは思っていません。

皆、親の介護で苦労しているようなので、同じような苦労を子供にさせたくないという気持ちが強いような気がします。

私自身は親の介護ではあまり苦労していませんが、妻の介護でその大変さは十分理解しています。

それにしても二人のいとこがどう対応するのか気になるところではあります。(私が口を出すべきではありませんが・・・)

いやがる親を無理やり老人ホームへ入れても、新たな問題を生み出しそうです。説得も困難でしょうから、成り行きに委ねるしかなさそうです。

同じような問題を抱えている方もたくさんおられると思います。

化石人骨発見を夢見ていた頃

化石人骨を探したが・・・

高校時代は地学クラブに所属していました。

そこで夢中になっていたのが化石の発掘です。

私が入学する1年前、谷下(やげ)というところで、地学部の先輩がワニの化石を発見しました。

発掘場所は浜松市浜名区引佐町谷下(当時は引佐郡引佐町)にあり、高校からは15kmくらい北にありますが、私の実家からは3km程度の距離です。

地層は中期更新世、人類史からみると旧石器時代に当たります。

私が高校生の頃、このあたりでは化石人骨とみられる骨が発掘されていました。

牛川人(豊橋市)、三ケ日人(浜松市浜名区)、浜北人(浜松市浜名区)の3か所です。

谷下はここから近く、化石人骨が出てきても不思議はありません。

ということで、1年生、2年生の時は7~8人くらいの部員でよく谷下に化石の発掘に行きました。

現場は石灰石の採掘場の近くで、よくダイナマイトの音が聞こえていました。

ただ残念ながら化石人骨は発見できませんでした。

ワニがいっぱいでてきた!

発掘作業の成果が全くなかったかというと、そんなことはありません。

毎回、ワニの化石が大量に見つかりました。

ワニの化石は私が入学する1年前に発見されたのですが、大量に発掘されたのは私が発掘に参加していた頃です。最終的には約10体のワニの化石が見つかったようです。

化石といっても石の中に閉じ込められたものではなく、骨そのものが出土します。

発掘された化石は高校生が研究材料とするのは無理があるので、東京の国立科学博物館に持っていっていました。

化石はワニだけでなく、カワウソや淡水魚の化石も出てきました。発掘時は何の骨かわからず、国立科学博物館で調べてもらったと思います。

ヤゲワニと命名されていた!

高校を卒業してからはワニの化石のことを気に掛けることはありませんでしたが、ネットで近況を調べてみました。

すると、浜松市文化財情報のサイトにワニの化石のことが出てきます。

文化財情報vol.73/浜松市 (city.hamamatsu.shizuoka.jp)

「約34万年前のワニの化石が、昭和43年に引佐町谷下で見つかりました。その後、約40年間にわたり静岡県立浜松北高等学校生を中心に研究調査が続けられました。化石は発見された地名にちなんでヤゲワニと命名されました。」

と、あります。

私が入学したのが昭和44年です。私の卒業後も後輩の皆さんによって研究調査が続けられてきたようです。

「ヤゲワニ」と命名されたことは初めて知りました。

現在は浜松市博物館にヤゲワニの化石が展示されているようです。

静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド : ワニ,ナウマンゾウの化石 旧石器,縄文時代の出土品 浜松市博物館 常設展示1  (静岡県浜松市中央区蜆塚4-22-1) (livedoor.jp)

「昭和42年(1967年)から5年間、浜松北高地学部によって発掘され、1,000点以上の化石が出土しました。」

とあります。写真も掲載されており、当時を思い出すと感慨深いものがあります。

妻の介護で外出もままならないですが、母の老人ホーム訪問のついでに何とか立ち寄れないかと考えています。

こちらではもう少し詳しく出てきます。

奥浜名湖ツーリズムセンターだより:浜松市博物館 市民協働展「三遠南信土の中のわくわく動物園」9/3迄 (hamazo.tv)

高校時代は深く考えませんでしたが、今振り返ると結構重要な発見であったようです。

沖縄以外で確認された化石人骨は一例のみ

話を化石人骨に戻すと、私が高校時代の頃とは状況が大きく変わりました。

化石人骨とされたものが理化学的鑑定法による再調査で大半が否定されたのです。

従来、更新世人類とされてきた牛川人(愛知県豊橋市)、三ヶ日人(静岡県浜松市)、葛生人(栃木県佐野市)、聖嶽人(大分県佐伯市)については、放射性炭素年代測定とフッ素含有量の測定にもとづく理化学的な調査が行われ、いずれも縄文時代以降の化石人骨である可能性が高くなったのです。

化石人類 - Wikipedia

旧石器時代の化石人骨としては、山下洞人(沖縄県那覇市)、浜北人(静岡県浜松市)、港川人(沖縄県島尻郡八重瀬町港川)、ピンザアブ洞人(沖縄県宮古島)などが出土しています。

沖縄以外では現時点では浜北人だけが唯一の化石人骨のようです。

浜北人が出土した場所は私が人骨を探していた谷下とは数キロしか離れていません。

谷下からも人骨が見つかる可能性があったのかもしれません。

ただ浜北人は約1万4千年前のものと推定されていますが、ワニが見つかった谷下の地層は34万年くらい前であり年代が全く異なります。

もし谷下で化石人骨が発見されていたなら原人ということになり世紀の大発見(日本では一例もなし)となりますが、その可能性は限りなくゼロに近かったと思われます。

入場料を払って話題の本屋へ

何とかモーニングに間に合った!

先週中日ビルに行った際、入場料を払って入る本屋「文喫」にも寄りましたが、モーニングには間に合わず入場は断念しました。

koichi68.hatenablog.com

1週間経ち、今日こそ入場しようと妻をデイサービスに送り出した後、地下鉄に乗って中日ビルへ。

文喫に着いたのは午前10時頃。モーニングが終わるまであと1時間あります。

受付をすると案の定順番待ちとなっており、貰った番号札は31番です。

しばらくすると呼ばれたのは1番の人、どうやら本当に30人待ちのようです。

11時迄(モーニングは11時迄です)に入れるか不安になりましたが、キャンセルした人も数名あり、10時35分には私の番号(31番)が呼ばれました。

受付で渡されたのがこちら。

左の赤い札は首に掛けて有料入場者の証とするようです。

モーニングは朝食券と引き換えになります。

右のバインダーの数字は入場時間です。

席は自由席で、空いた席に座りました。

ドリンク(コーヒー、紅茶)は無料で、自分で取りに行きます。

モーニングのパンはこんな感じです。

ジャム(2種類から選択)か餡が選べます。私は餡をチョイス。

パンは厚切り(4枚切り)で、結構お腹がふくれました。(朝ごはんをしっかり食べていたので・・・)

モーニングを食べた後は、本棚で読む本を探しました。

喫茶コーナーの書棚にもかなりの本がありますが、「嘴広鸛(ハシビロコウ)」というコーナーに行くと本がたくさんありました。

ちなみにハシビロコウはアフリカに生息する鳥のようです。

ハシビロコウ - Wikipedia

私の好きな歴史や宇宙の本も結構並んでいました。

本は新品で購入もできるようです。

本日はこの本をチョイス。

1時間ほど読んでいました。

 

制限時間が90分(30分毎に税込み275円の追加料金を払えば延長できます)なので、12時前に本を棚に戻しチェックアウトしました。

料金は後払いです。

料金は90分で750円(税込825円)ですが、5月6日迄はサービス料金ということで500円(税込550円)で済みました。

フリードリンクかつトースト付きでこの値段ですから、結構お買い得感があります。

次に来る時は正規料金になりますがモーニングの時間帯であればトーストを食べた後、ゆっくりコーヒーや紅茶を飲みながら本をゆっくり読むことができます。

図書館ならタダですが、飲食しながら読む訳にはいきません。

蔵書の数も多いですし、本自体も綺麗です。

読んでみたい本も何冊か見つけたので、近々また寄ろうと思っています。

妻がデイサービスの日の楽しみが増えました。

 

102歳の叔母の通夜に出席

お通夜に出るのも大変

26日(金)叔母(母の姉)が亡くなったと弟から電話がかかってきました。

ちなみに102歳での大往生です。

1年前に危篤(?)との連絡をうけましたが、それから1年以上も生きたのですから、その生命力には感嘆しかありません。

koichi68.hatenablog.com

弟の話では28日が通夜、29日が告別式とのことで、喪主(私のいとこ)の意向はどちらかに参加して欲しいとのことのようです。母の参加は健康面を考えると無理なので、私が代わりに出席せざるをえません。

ただ式場は浜松市で、いつも行く母の老人ホームから更に3kmほど先にあります。

電車を乗り継ぐので片道3時間は覚悟しないといけません。

さらに妻の介護の問題もあります。

こちらは両日とも次女が休みで妻の介護をしてくれるとのことで、どちらかには出席できそうです。

本来は告別式に出席するのが筋ですが、問題点が二つあります。

告別式は午前10時30分開始なので、朝6時台に家を出ないと間に合いません。この時間は妻の介護の時間帯で、着替え、朝食、薬の用意、尿バックの処理等やるべきことが多く、できれば私が処理したいところです。

もう一つは、告別式だけで退席できるのならよいのですが、火葬(骨上げ)や初七日の法要への参加も要請されそうで、その場合は全て終わるのが夕方になってしまいます。次女は翌日から仕事なので、遅くまで妻の介護をさせる訳にはいきません。

そんな事情からお通夜のみに参加することにしました。弟も通夜のみの出席です。

喪主には一昨日(27日)に私から直接電話をし、告別式に参加できないことの非礼をお詫びしました。同時に盛篭(当地の風習)の用意もお願いしました。父の葬儀の際にいただいているので、お返ししなければなりません。

香典を用意すれば準備完了です。(金額は父の葬儀でいただいた分を用意)

昨日(28日)お通夜出席のため午後1時に家を出ました。電車のルートは母の老人ホームへ行くのと同じで乗換が3回もあります。昨日は真夏日でしたので、喪服を着て移動するのは大変です。こういう時は車を持っていたらよかったと思いますが、どうにもなりません。

午後4時に最寄り駅に到着、ここで車で迎えにきてくれた弟と合流、車で10分ほどで葬儀場に到着しました。自宅から3時間以上かかりました。暑さもあって結構つかれました。

久々にいとこと会えた

お通夜の開始(僧侶の読経)は午後5時からで、その間は葬儀会場で待つことになります。

私が着いた頃、他の親族も次々に到着しました。

私の母のきょうだいは6人で、今回亡くなられたのは母の9歳年上の長女の方です。他のきょうだいのうち二人の姉は既に亡くなられています。

今も存命なのは母と、母の兄、母の妹の3人になりました。とはいえ母の妹さんでも89歳ですから大変長寿なきょうだいということになります。

昨日の通夜にも妹さんは出席していました。足は弱っているようですが、痴ほうの気配はなくきちんと話をされていました。

母のお兄さんは95歳と高齢で欠席でした。息子さん(私と同い年のいとこ)が出席するかと聞くと、出たくないと話していたとのことです。

お通夜に参加するのも子供世代となります。いとこがたくさん集まりました。

子供といっても、喪主は80歳前後、その他のいとこも60代半ばから70代後半と、皆結構年寄です。

幼い頃は母の里帰りに連れていかれたので、年の似通ったいとことはよく遊んでいました。ただ、それも小学校の頃までです。

中学生くらいになると母の実家に行くことも少なくなり、大学生になってからは実家を離れたこともあり、いとこと会うことは殆どありませんでした。

読経が始まるまでの間、時間があったので久しぶりにいとこ5人と話すことができました。

うち3人はかれこれ50年以上会っていないと思います。顔を見ただけでは判別できません。それでも回りの人に教えてもらって、一人づつ挨拶をし、話をすることができました。幼いころの記憶とは体形等も随分変わっていましたが、懐かしく話をすることができました。

故人が102歳の大往生なので会場全体に湿っぽい雰囲気がなかったのがよかったのかもしれません。

こんな時しかいとこと話す機会はないと思いますので、電車を乗り継いで参加するのは疲れましたが、参加してよかったと思いました。

独経の終了後、親族一同で写真を撮影しました。

会場の職員に聞くと、撮影した写真は告別式が終了した後、配られるとのことです。

私は告別式に参加できないので、喪主さんにお願いして、自宅に送ってもらうことにしました。

次回母を老人」ホームで見舞う際に、母に渡そうと思ったからです。

母もできることなら葬儀に参加したかったでしょうから、写真を見せれば喜んでくれると思っています。

 

貸金庫は必要か?

手数料はそれなりに高いけど・・・

しばらく前ですが、貸金庫の手数料の案内がきていました。

1年間で22,400円です。

月割りにして1,866円ですから決して安い金額ではありません。

サイズによって料金は異なりますが、私が借りている容量でみると、都市銀行であれば似たような料金のようです。

貸金庫には全自動型、半自動型、手動型があります。

手動型は貸金庫利用者と金融機関担当者が一緒に貸金庫室に入室し、それぞれの鍵で貸金庫の鍵を開け、保護箱を取出して利用するタイプの貸金庫です。

手動貸金庫 | 製品情報 | トータルセキュリティ企業【クマヒラ】 (kumahira.co.jp)

半自動型は利用者のみが貸金庫室へ入室し、自身の鍵で保護箱を取り出し、個室(クーポンブース)で利用するタイプの貸金庫です。

半自動貸金庫 | 製品情報 | トータルセキュリティ企業【クマヒラ】 (kumahira.co.jp)

全自動型は利用者が契約カード等を使って認証を行うことでクーポンブース内へ入室し、タッチパネル操作により保護箱が手元まで自動的に搬送されるタイプの貸金庫です。保護箱を取り出す手間が解消されるだけでなく、時間延長や休日稼働の運用にも対応する最新の貸金庫です。

全自動貸金庫 | 製品情報 | トータルセキュリティ企業【クマヒラ】 (kumahira.co.jp)

どれが利用できるかは店舗によって決まります。

全自動貸金庫を利用するには全自動貸金庫が設置されている店舗で契約するしかありません。

ちなみに私は元銀行員ですので、全ての貸金庫に関わったことがあります。

手動型は開閉の都度銀行員に手伝ってもらわなくてはいけません。専用のブースで保護箱を開けて利用しますが、利用後も銀行員に声をかけて、貸金庫室に戻してもらう必要があります。銀行員の頃、専用ブースに保護箱を置いたまま銀行員に声を掛けずに帰られた方も何人かいました。(幸い事故はありませんでしたが)

半自動型と自動型の違いは自分で保護箱を取り出すか自動的に保護箱が出てくるかです。半自動の場合は保護箱を戻すのも自分でしなければなりませんので、戻し忘れの心配があります。

この点、全自動型は便利です。タッチパネルで全ての操作ができますし、戻し忘れの心配もありません。

私が借りているのは全自動型ですので使い勝手がよく重宝しています。

貸金庫のディメリットは銀行に行く必要があることです。

ちなみに、私の貸金庫の中に入っているのは

自宅や相続した不動産の登記識別情報(従来の登記済権利証に代わるもの)

預金通帳(私自身の通帳の他、妻や母の分も)

実印

保険証券

といったものです。

このうち、登記識別情報、実印、保険証券は滅多に必要がありません。

預金通帳については記帳の必要がありますが、むしろ銀行の貸金庫に入れておいた方が記帳には便利です。他の取引銀行も近くにあります。

ちなみに今はインターネットバンキングで預金の動きが確認できるので、頻繁に記帳しなくても不便はありません。

こう考えると年間22,400円を払っても貸金庫を借りる意味はあると考えています。