水天宮、参拝してみた【突然寒くなりました】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんばんは、わたしです。


最近人生が上手くいきません。

トラブルが連鎖的に起きて心が病みますわーガーン

まぁ人生そんないいことばかりなわけではないんですけどね。


 そろそろどこかで連鎖を断ち切りたいところです。


新たな古い神社へ行くか…


もう緊急事態宣言解除になりましたし、そろそろ遠出がしたいところです。


そんな思いの中本日書いたのがこちら。


 
 県社 水天宮
 
 
 

神社鎮座地:福岡県久留米市瀬下町

 

神社御祭神:天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼

 

神社社格:県社(明治)→別表神社(神社本庁)

 

神社御朱印:ありキラキラ

 

神社HP全国総本宮 水天宮リンクsuitengu.net

 

 

 

はい、というわけで1日目は久留米市の水天宮です。

 

東京の日本橋の水天宮をはじめ、全国に約30社ほどの分社を持ち、

 

 

それらの総本宮が当社になりますニヤリ

 

 

一般的に知名度は日本橋の水天宮の方が高いため、

 

 

区別して久留米水天宮と呼ばれています。

 

 

 

 

 
獅子狛犬さんがすごいスリムですね。
 
しかもかなりの鳩胸・・・堂々としてます。
 
しかも足も長い・・・獅子狛犬界でもイケメン枠でしょうね。
 
 

 

 

こちらは境内社の真木神社です。

 

御祭神は眞木和泉守保臣命という方で、Wikiには真木保臣という名で出てきます。

 

真木家は水天宮の宮司を歴任している神職家で、

 

この方は水天宮の宮司とともに久留米藩士でしたラブ

 

そして幕末に攘夷活動に参加し、歴史的に有名な蛤御門の変で戦い、

 

最期は会津藩と新撰組によって京都の天王山に追いつめられ、爆死自害したそうですガーン

 

 

しかし、この方の倒幕運動、そして楠木正成公の篤い崇拝者だったことから

 

湊川神社や、靖国神社をはじめ護国神社などの

 

日本の英霊系神社を創建する要因になったそうですハッ

 

やはり神主が尊王攘夷の先頭で活躍したという働きは大きかったということですね。グッ

 

 

 

ちょうど行った時には夕方だったので誰もおりませんが、

 

綺麗な参道です。掃除が行き届いてますね。

 

 

 

水天宮は鎌倉時代に按察使局(あぜちのつぼね)伊勢という方が創建しました。

 

この方は源平合戦で壇ノ浦にて入水された第81代安徳天皇の祖母である二位の尼に仕えており、

 

同じく入水を謀りますが源氏側に捕らえられ、終戦後に今の筑後川の辺りに逃れ来ます。

 

そして安徳天皇さまと平家一門の菩提を弔うため神社を創建し、当人は剃髪し尼となりましたキョロキョロ

 

そしてこの地で加持祈祷を行なっていたことからかつては尼御前大明神と言われていたそうです。

 

ちなみに有名な東京水天宮は9代目久留米藩主が江戸の藩邸に勧請したもので、

 

ハワイにも分社がありますびっくり

 

 

 

神門を超えてる前に・・・

 

 

 

まずは手を洗いましょう。

 

というか、このコロナで神社側も柄杓が使えない代わりを色んな工夫をしてますよね。

 

 

 

こちらが拝殿です。大きくそれでいて華美のない木造の社殿はまた良いですね。

 

中世以降の創建、そして伊勢さんが剃髪して名を千代と改め、

 

加持祈祷を行なっていたことから「尼御前神社」と呼ばれていました。

 

まあ安徳天皇さまの菩提寺みたいな感じで創建されてますからね。

 

拝殿の建築様式もどことなくお堂を感じさせますキラキラ

 

ちなみにこの伊勢さん出自は石上神宮の神官家だそうです。

 

家柄からして神社に深い所以があったわけですね笑い泣き

 

 

 

こちらは本殿後方にある水神社です。

 

水の神様である彌都波能売神さまと鵜葺草葺不合尊さまを祀っており、

 

彌都波能売神さまは水の神さまであることから農業、漁業、航海安全、

 

鵜葺草葺不合尊さまは安産の御神徳があります。

 

現在の水天宮の御神徳で一番有名なのは安産・子授けですよね。

 

水天宮の説明書きを見る限り、それらの大元はこの神社にありそうです。ハッ

 

元々この鎮座地、筑後川沿いにも河童水神の民間信仰があったそうですし、

 

尼御前神社の時代には御祭神として本社に祀られていたそうですから、

 

水天宮の歴史としては間違っていないです。

 

神様云々というより、この土地に対する信仰が起源ということですね。

 

また、画像下の小さな獅子狛犬、これは「肥前狛犬」というもので、

 

自分の痛い部位に対応する箇所を撫でると痛みが和らぐという「撫で狛犬」なんだそうですしっぽフリフリ

 

よく確認していませんでしたが、どちらも狛犬さんだったかもしれません。

 

 

 

 

こちらは本殿右手にある末社で、写真左が秋葉神社、右が千代松神社です。

 

火避けの神様炎で知られる秋葉神社ですが、ここでは開拓の神様である阿遅鋤高日子根命さまが祀られています。

 

千代松神社は創建者である按察使局伊勢さんを祀っており、

 

改名した「千代」の名と、亡くなったあとお墓に松が植えられたことに因みます。

 

 

また写真には撮り忘れましたが、この水天宮は軍艦千歳の艦内神社として奉斎されており、

 

境内に軍艦千歳慰霊碑があります。

 

 

 

 

みなさんご存知の通り、御祭神の一柱であり創建の中心になった安徳天皇さまは、

 

源平合戦の最後に壇ノ浦で入水なさり、わずか8歳で崩御されましたえーん

 

しかしこの水天宮には安徳天皇生存話が存在しており、

 

そちらでは27歳に崩御なされたそうです。

 

 

詳しくはHPで読んでください上矢印

 

 

 

あ と が き

 

《赤間神宮水天門》

 

 

 

という感じでいかがだったでしょうか。

 

水天宮自体は東京でも有名ですし結構分社が多いのでなんとなく知ってましたが、

 

 

なぜ安産の神様なのか、安徳天皇さまとの関係はなんなのかは知らないままでしたし、

 

これは総本宮であるこちらに来てみないと分からない事ばかりでしたねキラキラ

 

 

そしてこの神社本来であれば風浪宮のあとに作成して

 

 

筑後地方三社巡りの一角として紹介したかったのですが、

 

途中でやる気がなくなってしまいました( ̄+ー ̄)

 

まぁでもこうして書き切れたので良かったです。

 

最後の一角は…また麓から歩いて参拝できたらやりましょうかね。

 

 

そいでは本日はここまで!!!!

 


 

また来週お会いしましょう。

 

 今日から一気に寒くなりましたからみなさん体調崩さないようにしてくださいね!!



最後までご拝読ありがとうございます。

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